1877-07-01から1ヶ月間の記事一覧
1877年7月31日 火曜日 今日は一日中台所仕事で忙しかった。 家の中のことをする使用人はテイだけだが、ヤスがよく手伝ってくれる。 午後母とアディが出かけた後でケーキとパイを作り、カステラをまた作ってみた。 外観が綺麗に出来上がり、得意になっ…
1877年7月30日 月曜日 今日、母とウィリイが横浜へ行ったので、私が家を片付け、皿洗いを手伝った。 笠原さんは今日も来なかった。 ウィリイが来るなと言ったのかではないかしら? ああ、私が大好きな人は皆去って行ってしまう! ミカドと皇后様は今…
1877年7月28日 土曜日 昨夜は本物の台風が荒れ狂っていた。 それでも今朝はもう出て来ないのではないかと思われた太陽が顔を出した。 使用人がテイとヤスだけになったので、仕事は山のようにある。 新しい料理人の万吉はバターとチーズを見たら気持ち…
1877年7月27日 金曜日 いろいろの家事を済ませた後、母が帽子を被って云った。 「一緒に開拓使まで来るように」と。 風がかなりひどくて、途中は大変だった。 開拓使では役人が輸出用の林檎を包装しているところで、母に沢山質問をした。 果物はアル…
1877年7月26日 木曜日 今日はなんて風が強いのだろう。北から吹く本当の暴風だ。 雨も土砂降りで、戸が開いてしまいそうなのを押さえるのに苦労し、張り出し窓からはひどく雨が染みこんだ。 夜までにやんでくれるといいと願ったが、むしろ激しくなる…
1877年7月25日 水曜日 今年はまだ旅行に出ていない。計画はいろいろあるのだが、皆の意見が纏まらないのだ。 精養軒から食事を取るのは今日が最後で、また奮闘が始まることになった。 疋田氏が万吉という若いサムライを寄越したので、この夏は彼に料…
1877年7月21日 土曜日 今週はいいことが一杯あったのに、暇がなかったり面倒臭かったりしてあまり日記は書かなかった。 日記とは素晴らしいものだ。 けれど、ハリエット・ニューウェルやアン・ジャドソンの日記を読むと、自分の日記に愛想が尽きてく…
1877年7月20日 金曜日 夏休みのため、昨日最後の授業をし、今日は父の働く商法講習所の所長である矢野二郎氏を食事にお招きした。 正直に云えば、わたしも父も矢野氏があまり好きではない。 けれど、少しへつらうための政策である。 西田伝助氏、高木…
【クララの明治日記 超訳版解説第32回】 「16歳で男二人を天秤に掛けるなんて、クララ、恐ろしい子!」 「天秤に掛けていると云うより、前者の笠原氏は“遊び相手”、後者の大久保氏は“ただ憧れているだけ”じゃありませんの? もっとも2年前の、アメリカ…
1877年7月17日 火曜日 おやおさんがまた勉強を続けることになった。 ウィリイは昨日松平家へ行って、アメリカから帰国されたばかりのご亭主に会って来た。 三年ばかり前に松平康倫氏、松平定教氏、南部栄信氏の三人の若い殿方がアメリカへ渡った。 南…
1877年7月16日 月曜日 丁度二年前の今日、私たちはサンフランシスコにいた。 二年後の今、過去がまざまざと蘇る。 欠点も多く間違いも犯したけれど、私はこの二年間に随分経験を積んだ。 確かに年も取ったし、色々な身分の人とも数多く出会い、彼らの…
1877年7月10日 火曜日 昨日から色々のことがあったのに、なんだか書く気にならなかった。 おやおさんがおやめになる。婚約者の松平康倫氏が帰国なさるからだ。 おやおさんはとても利口で教えがいのある生徒だから、すぐに結婚なんかなさらないといい…
1877年7月5日 木曜日 「これはもう駄目ですね。切開して骨を取り出さないと」 突然の医師の宣告に私は驚愕する。 悲鳴を上げる間もなく手術を施された私の左手の親指は切断され、二度とピアノが弾けなくなった……。 「―――!?」 声にならない悲鳴をあげて…
1877年7月3日 火曜日 最近ウィリイは勝家へ出向かないで、勝家の子供がここへ来ることになっている。 庭で彼らと遊んでいたら、私宛の手紙が来た。 開けると「R……」という署名が目に入った。 そして内容はと云うと……愛情の告白なので、たまげてしまっ…