1878-01-01から1年間の記事一覧
1878年12月31日 火曜日 古い年の最後の日。 これがこの世で過ごす最後の日であるとしたら、平然と未知の世界に入ってゆくことができようか。 今日の一日はあっという間に過ぎてしまった。 いくつかの贈り物を受け取ったが、これらは片付けておかなけ…
1878年12月30日 月曜日 金曜日に母は横浜に出かけ、帰りは遅かったがウィリイを連れて帰って来た。 まったく偶然に横浜でウィリイに会ったのだ! 母がある店に入っていた時だ。 「船! 奥様! 船!」 うちの車夫のボズがそう叫びながら飛び込んで来…
【クララの明治日記 超訳版解説第66回】 「ということで、今回は蓄音機の披露会と我が家の年末の模様をお送りしました」 「随分とユニークな慣習ですのね、女中たちがその家の青年を胴上げする、だなんて」 「アットホームだよね。武家屋敷の使用人なんて…
1878年12月25日 水曜日 メリークリスマス。 芝教会へクリスマス礼拝に行った。 ウィリイが帰って来るのを待つことにしたので、今日はクリスマスのお祝いはしない。 「じゃあ、うちに餅つきを見に来なさいよ」 お逸がそう誘ってくれたので行ってみる…
1878年12月23日 月曜日 母はお昼に横浜に行ってしまったし、アディはネリー・アマーマンのところへ遊びに行ったので私は一日中独りきり。 オルガンを少し弾き、羽根をついて暖まってから裁縫をしたり、書き物をしたりした。 家の中は静まり返り、書…
1878年12月22日 日曜日 今日はソーパー先生が「徳」について説教されたが、後ろから風が吹き付けるので母が心配して、私に家に帰るようにと云った。 そのため私はお説教を聞くことができなかった。 私たちの隣の席のホワイト夫人が、暖房が暑過ぎて…
1878年12月21日 土曜日 母は午前中にド・ボワンヴィル夫人を訪問した。 可哀想にチャーリーちゃんは種痘で腕に炎症を起こしてしまったのだ。 夫人はうちのすぐ近くの赤坂檜町に近く越して来る予定である。 月曜日の午後教会の飾りつけを私に手伝って…
1878年12月19日 木曜日 金沢から電報が来た。 ウイリィは二十六日頃に帰って来るとの報でとても嬉しい。 昨晩ド・ボワンヴィル夫人と一緒に聖歌隊の練習に行き、火曜日は母と二人で横浜へ行った。 今夜はユーイング氏の蓄音機を見せる会に大勢のお客…
【クララの明治日記 超訳版解説第65回】 「今回の最初の日記で、明治当初の日本音楽の在り方の方向性が少し見えますわね」 「他の分野は欧米文明を徹底的に追従したのに対し、音楽は“和魂洋才“とする予定だった、ということみたい。 雅楽稽古所の開所式に…
1878年12月16日 月曜日 ひどい風邪を何処かでひいてしまって、一日中寝ていた。 鼻風邪は不快で気分が滅入ってしまう。 でも母とアディに相手をして貰い、裁縫の本を読んだり、昨日松平夫人が持ってきて下さったお菓子を頂いたりして、結構楽しく過…
1878年12月15日 日曜日 『あらゆる変化に備えるように』 ミーチャム先生が「人は草の花の如し」のテキストを使ってそんな説教をなさった。 おやおさんがおすみと家来である小泉氏を伴って日曜学校に来られた。 小泉氏は相変わらずの黄色い肌をして、…
1878年12月14日 土曜日 日がどんどん過ぎていく。 しかし、クリスマス準備は一向にはかどらず、私は時々気が滅入ってしまう。 近くの人たちがしょっちゅう訪ねて来る。 勿論会うのは嬉しいのだけれど、一日が細切れになってしまう。 大山夫人は毎朝…
1878年12月10日 火曜日 勝家の方々は、とても親切にくださって毎日必ず何回も訪ねて下さる。 でも引っ越し以来、まだ勝氏にだけはお会いしていない。 「クララだけじゃなくて、家族である私たちだって会ってないんだよ」 とは、お逸の弁。 勝氏は訪…
1878年12月9日 月曜日 大鳥氏が新しい家に昨日来訪され、滝村氏もみえた。 滝村氏は会長の岩田氏から次のような招待状を持ってきて下さったのだ。 「牛込の音楽協会の開会式に出席して下さいませんか」 音楽協会の正式な名前は『雅楽稽古所』というら…
【クララの明治日記 超訳版解説第64回】 『神様がノアに命じて箱船を造らせた窓は、明かりを採るためではなく、悪人の溺れる様を見るためのものである』 「……牧師がこの発言とは、流石にげんなり致しますわね、同じキリスト教徒としては」 「何処かの天空…
1878年12月7日 土曜日 水曜日以来私たちの新しい家への引っ越し作業が続いており、何もかも混乱状態。 初日の水曜日には滝村氏がみえて重いものは荷造りをしてくださった。 木曜日の午後、氷川町に来てみるとお逸、おせき、およね、勝夫人、内田夫人…
1878年12月3日 火曜日 今朝大山夫人は授業が終わってからしばらく雑談をして帰られた。 その後、私は森夫人の好物である蜜柑ゼリーの作り方を教えるために森家に出かけた。 一番のご家来やその他の人々が森夫人、料理人と私の周りに集まり、私がゼラ…
1878年12月2日 月曜日 お逸と大山夫人が今朝みえたが、その時間、私は村田氏のところでカメヤとストーブを買う交渉をしていた。 村田氏は今日大変沈んでいらっしゃる。 彼のところの一番上手な作業員が機械で指を切断してしまったのだ。 新たな生徒と…
1878年12月1日 日曜日 今朝は晴れて風の穏やかな気持ちの良い朝。 アディと私は教会まで歩いて行った。 マクラレン氏は横浜に行ったので、最近宣教師として来たホワイト氏が代わりを務めた。 ミス・ホルブルックも来ていたので小さい女の子たちを引き…
1878年11月30日 土曜日 今朝母とアディは横浜に行くことになった。 私は二人を駅まで送って行き、その帰りに日曜日のための食料を買いに行った。 我が家の主任賄い方は私なのだ。 市場での買物を済ませ、テーブルに置く花や果物を買い、そのあと二箇…
【クララの明治日記 超訳版解説第63回】 「久しぶりにマッタリとしたクララの日常の一コマでしたわね」 「でも、ものすごく生々しい話もあったよね。村田家の夫婦喧嘩の模様とか、独身女性が男性に愁波を送るYMCAの会の様子だとか」 「肉食系腐女子の…
1878年11月27日 水曜日 今日はお天気が悪くて、一日中家にいてクリスマスの準備にせっせと針仕事をした。 晩までには、私たちが作っている赤ちゃんの乳母車用の毛布に、ピンクの四角を数個縫い足したし、ウィリイのスリッパに沢山刺繍をしたし、私の…
1878年11月26日 火曜日 蓄音機や電話についてのユーイング先生の講演を聞きに、YMCAに行った。 YMCAにいる間にかなり強い地震があり、家に帰って床に就いてからもまたあった。 会には大勢の人が来ていたが、大半は宣教師団に所属する独身の…
1878年11月25日 月曜日 村田夫人が来て、ご主人と初めて喧嘩をしたという話をした。 「どうしてまともなシャツを作ってくれないのか!」 村田氏が古いシャツを持ってきて、そう云ってきたそうだ。 「わたし、シャツなんて縫えません!」 「では、習…
1878年11月24日 日曜日 アディと私は今朝日曜学校まで歩いて行った。 けれど、少なくとも三マイルはあるのでとても疲れた。 ミス・ホルブルックという新しい先生がみえたが、オルガンも歌も駄目なので、私はやはりお役御免にはならない。 今日のテキ…
1878年11月23日 土曜日 今朝ド・ボワンヴィル夫人が母と一緒に祈祷会をしに来られたので、私は紅葉を飾り、部屋をできるだけ綺麗にした。 紅葉の暖かい色が、真っ青の壁紙と美しい対照をなしている。 食後、母と私は重要な訪問に出かけた。 マッカー…
1878年11月22日 金曜日 シェパード家のグレタとアニーは、母にとって大変な重荷である。 特にグレタはぶきっちょで、無知で、しばしば生意気である。 年は十二だが、年の割にはおませで、態度が横柄だ。 「わたしね、アメリカに帰ったら、いーっぱい…
1878年11月21日 木曜日 今朝外出の支度をしているところへ、村田夫人が入ってこられた。 更にそのすぐ後に佐々木氏、疋田氏、ヘップバン夫人と続いて来られる事態に。 生徒が来ていたこともあって本当に大変だった。 ヘップバン夫人は、母のクリスマ…
1878年11月20日 水曜日 昨日の土砂降りがやみ、明るい太陽が出たので、私たちは喜んで横浜へ出かける支度をした。 十二時の汽車に間に合わなかったので、一時の汽車を待った。 駅の待合室で、近くアメリカに出発されるので衣装を整えるために横浜へ…
【クララの明治日記 超訳版解説第62回】 「突然だけど、今回分の内容とは全く関係ない解説してもいい?」 「なんですの、いきなり? 今回分は確かに特に説明を要するところもありませんけれど」 「先日久々に本屋に出かけたら『江戸奇人伝−旗本・川路家の…