1878-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1878年4月30日 火曜日 輝かしい「東の星」は本日めでたく「日出ずる国」にその姿を現した。 この日を祝してクラブの女の子たち、エマ、ジェニー、ガシー、メイが家に集まった。 ジョージは後から様子を覗きにやって来た。 楽しい時を過ごして、簡単な…
1878年4月29日 月曜日 ユウメイが今朝満開の躑躅や椿の花束を持って遊びに来た。 私たちは新聞の話をして、午後サットン氏のところへ行くことにした。 お逸は髪を島田に結ってきた。 島田の似合う人もいるが、お逸は平凡な老けた女に見える。 いつも…
1878年4月28日 日曜日 タムソン先生のお説教はいつになく短かったが、とてもよいお話だった。 私はビンガム公使の隣に坐っていたのだけれど、傷が痛んであまり集中できなかった。 礼拝の後、大鳥家の使用人である竹下氏を逃れるためにメイと急いで帰…
1878年4月27日 土曜日 外は土砂降りの上、少し風邪気味。 これでは一日中、何処にも行けそうにない。 気分晴らしにお菓子を作ろうと思ったのに「病人は台所に来ては駄目」と母に怒られてしまった。 母はアディの洋服を裁つ時に失敗して、がっかりして…
【クララの明治日記 超訳版解説第45回】 「クララも忙しいよね、新聞作りにワクワクしたり、どん底まで落ち込んだり、アンナ先生のお誕生日祝いをしたり」 「そうですわね、お兄様をからかったり、クララと遊ぶことしかすることがない“おいっちゃま”とは違…
1878年4月25日 木曜日 母の誕生日 朝日が窓の格子を通して射し込み始めた頃、私は窓辺で囀る小鳥に目を覚ました。 まだ四時だったけれど、私の体は痛みをおして――昨夜は寝付きが悪く、十ニ時になってやっと寝苦しい眠りについたのだった――起き上がっ…
1878年4月24日 水曜日 お逸が遊びに来た。 でも、なんだかつまらなさそうな表情をしているので、水を向けてみると、お兄様が休暇を終えて海軍兵学校に戻るということだ。 お兄様をからかうことが、お逸の最近の最も楽しい娯楽なのだ。 母が、ド・ボワ…
1878年4月23日 火曜日 新しい畳が今日「ようやく」来た。 午後には絹地を買いに出かけた。 白木屋で雷雨のために足止めを喰ったけれど、店員がとても丁寧で親切だった。 「越後屋では外国人に慣れているので、言葉遣いも丁寧で外国人向きだ」 それが…
1878年4月22日 月曜日 今日は母に叱られて、とてもみじめな一日だった。 ウイリイは笠原を信用していなくて、私が一緒になってよからぬことをしていると、母に告げ口したのだ。 それで私は酷く叱られ、憂鬱になってしまった。 兄の悪口が癪に障って、…
1878年4月19日 金曜日 今日は杉田氏たちが何処かに連れて行って下さることになっている。 でも、受難日だったので芝の教会にまず行った。 ショー先生が祈祷文を読まれてよいお説教をされた。 ひどい雨だったけれど、杉田先生のところへ行ってみると、…
1878年4月18日 木曜日 今日はよいお天気だったので、母と一緒にホートン夫人やサットン夫人を訪問した。 お逸と小鹿さんが夕方うちへ遊びに来て、十時までいた。 私たちは一緒に木挽町の花市に出かけた。 お逸と私が並んで歩き、小鹿さんが先導、ウィ…
1878年4月17日 水曜日 今日、アディと母と私は、勝氏一家と向島へ行った。 勝夫人、お逸、おゆめ、おせきの四人は私たちの家から一緒だったけれど、小鹿さんは先に行かれた。 よく晴れて桜が綺麗だった。 向島は濃い八重桜が満開で、枝が道の上に広が…
1878年4月13日 土曜日 今日は村田氏、富田氏、高木氏と目黒に行く予定で、大いに楽しみにしていた。 昨日富田氏も高木氏もみえて「ちゃんと支度をしておくように」と云われた。 ところが九時頃から突然の烈しい雨。 がっかりした私は諦めてお菓子を作…
1878年4月11日 木曜日 昼食の時に、マッカーティー夫人からのメモが届いた。 ヴィーダー家で集会があるという知らせだったので、一時半までに支度をすませた。 ユウメイが誘いに来てくれて、二人で元気よく加賀屋敷へ出かけていった。 私たちが一番乗…
【クララの明治日記 超訳版解説第44回】 「病に苦しむ美少女たる親友を、心の底から心配するアメリカ人少女。なんて美味しいシチュエーションなんだろう♪」 「その病で苦しむ少女の趣味が“実の兄をからかって遊ぶ”ってものでなければ、もっと共感も得られ…
1878年4月4日 木曜 万愚節 十時に家を出て、まずお逸のところへ病気全快祝いを云いに行った。 私は歓迎され「ゆっくりしていくように」と云われた。 次に福沢先生の所へアルバムに書いて頂くために行った。 彼は上機嫌で部屋に入って来られるなり、あ…
1878年4月1日 月曜日 お昼に横浜に用事があって出かけた。 けれど急いで回ったので、あまり面白くなかった。 横浜の品物がすっかり減ってしまっていたし、あっても値段が高くて買えなかった。 例えば革手袋。私のサイズは六なのに七か八しかなかった。…