1878-05-01から1ヶ月間の記事一覧
1878年5月30日 木曜日 母は悩みに強く耐えているが、私はその支えとなれますように。 私たちはどうしたら良いのかお導き下さい、と祈っている。 富田氏はこの話を聞いて、驚き呆れておられた。 今日の午後会った大鳥氏も同様だった。 「納得がいかな…
1878年5月29日 水曜日 今日という日は、我が家の人々にもたらされた悲しみと、悩みの故に永遠に忘れられない日となるであろう。 父は、我々の敵である矢野の仕業で、東京府から免職になったのだ。 父は六月一日をもって、この学校を去らなければなら…
1878年5月28日 火曜日 一日中土砂降りで、夕方には上がって欲しいと思いながら、家の中で過ごした。 母は休暇が待ち遠しいのだ。私も母のために休暇が早く来ればよいと思う。 八月には日光に行くつもり。 ディクソン氏も同行して二週間日光におられ、…
【クララの明治日記 超訳版解説第47回】 「ということで、その時、歴史は動いた。遂に“その時”が来てしまいました。 1878年5月14日、赤坂の紀尾井坂、清水谷において大久保利通卿が暗殺されたことで、日本のその後の進路は少なからず変わることになります…
1878年5月24日 金曜日 昨日と今日はまったく怠けてしまった。 昨日は何もする気がしなくて『スペクテーター』と『マーミヨン』を読んで過ごした。 私の進路ははっきりしているように思う。 私は文学以外のものはすぐに退屈してしまう。 けれど、文学…
1878年5月22日 水曜日 昨日の午後はお客様がひっきりなしにみえたので、九時半になってやっと夕食にありつく有様。 聞いた話によると、ジョージのところに手紙があまり沢山来るので、警察が新聞を発行していると思って家に張り込みをさせ、聞き込みを…
1878年5月19日 日曜日 日曜学校へ出かけた時は、まだ風が吹き荒れていた。 そんな生憎の天気なので、学生が大勢来るとは思えなかったけれど、案に相違してかなりの出席者があった。 今日はヴィーダー先生が説教される番だった。 しかし、長いこと待っ…
1878年5月16日 木曜日 今月の14日の朝、恐ろしい暗殺事件があった。 大久保利通氏が太政官への途中、赤坂の官邸から五町と離れていない地点で五人の男に殺されたのだ。 「それでね、それでね!」 今日やって来たお逸が興奮気味に詳細を語ってくれた…
1878年5月15日 水曜日 松平氏の音楽会に出かける支度をしている間に何人かのお客様がみえた。 まず新田タキジロウ氏が来られた。沼津の近くの新田村に住むご家族のところへ、しばらく帰っておられたのだ。 体が弱く、肺結核のため声が出なくなってい…
1878年5月14日 火曜日 横浜に行ったが、雨に降られてしまった。 しかも金曜日のフランス船で着いた品がまだ開けてなくてがっかり。 帰りはジュエット氏と一緒だったけれど、気持ちの良い人で、アメリカ人らしいアメリカ人だ。 私は土曜日に再び元気を…
1878年5月13日 月曜日 昨日、横浜から来られたS・R・ブラウン先生の興味深いお説教があった。 今日は上杉氏と大鳥ひなさんの結婚式。 純日本風で行われた式に参加したウイリィは、十二時頃に帰ってきた。 その留守中、ちょっとしたハプニングが起き…
【クララの明治日記 超訳版解説第46回】 「……はじめまして、ツンデレおしゃまさんなユウメイさん」 「……はじめまして、島田髪になると急速に老けるお逸さん」 「……というわけで、実はこの5月2日のアディ嬢のパーティーが、明確に私とメイが同席している…
1878年5月11日 土曜日 満開の牡丹を見に今日は目黒に行った。 おやおさんとおすみと女中、アディとうちの女中と私の六人で、村田氏の家に行った。 村田氏、林氏、盛、富田氏が待っていて下さった。そこからみんなで目黒に向かった。 静かなところで、…
1878年5月8日 水曜日 毎日があまり早く過ぎて行くので、何処に行くのかと思うようだ。 お逸は昔のままの髪型のお逸に戻った。 良かった良かった。 母は頭痛がして起きられなかったので代わりに私が全部教えた。 しまいにはくたびれて倒れてしまいそう…
1878年5月4日 土曜日 工部大学校に勤めているイギリス人のマンディ氏――ディクソン氏のお友達でもある――が夕食にみえた。 十一月の天長節の日に一緒に王寺へ遠足に行った方で「アメリカに定住する予定なのでアメリカ人のお宅を訪問したい」と仰っていた…
1878年5月2日 木曜日 家中ひっくり返ったような大混乱。 その理由は他ならぬアディ嬢のパーティなのだ。 出席者は誰と誰? 殆どみんな。 ダイヴァーズ家のフレッド、イーディス、エラ、サットン家のフロラとフレディ。 ユウメイ、ヴァーベック家のエマ…