1878-06-01から1ヶ月間の記事一覧
1878年6月26日 水曜日 横浜に住むシモンズ先生のご両親が東京見学に今朝出て来られた。 ご老人には、十五マイルというのは相当の距離だ。 母とウイリイが案内役になったので、授業は私が引き受けなければならなかった。 みんなはまず芝のお寺に行き、…
1878年6月25日 火曜日 一日中大雨で、お逸は来なかった。 盛もお休みだったけれど、逞しい令嬢たちは雨にも風にも負けずやってきた。 私たちは引っ越しの第一段階として古い手紙を整理した。 やっと手紙をきちんとした形にまとめることには成功。 約…
【クララの明治日記 超訳版解説第50回】 「……父親が失職している割には、意外と楽しそうに過ごしていますわね、クララ」 「くよくよ悩んでいても何も解決しないからねー、アメリカ人らしいとも云えるけど」 「更に踏み込んで云うなら、クララたちには“神様…
1878年6月23日 日曜日 今朝、少し散歩したので、母と私は日曜学校に少し遅れてしまったけれど、私がオルガンを弾く時間には間に合った。 会衆は大勢だった。 パーソン先生は、ヨハネ伝の中の「人新たに生まれるにあらずば……」のところをテキストとし…
1878年6月22日 土曜日 昨夜床に就いたのは十二時を回っていたので、私たち一家が起き出したのは九時過ぎ。 ネリー・アマーマンの甲高い声で目が覚めた。 彼女はアディと遊ぶためにやってきたのだ。 お昼に新しい赤ちゃんを見に、母と富田夫人のところ…
1878年6月21日 金曜日 今朝、ヘップバン夫人が子馬の馬車を用意させて、居留地へ連れて行って下さった。 そこで母の注文の品を買い、ヘップバン夫人に見立てて頂いて、綺麗な帽子を買った。 他に、二、三箇所寄ってから山手に戻り、隣のシモンズ夫人…
1878年6月20日 木曜日 今日、ウイリィが横浜に行くというので、母は私にも一緒に行くようにと云った。 二時の汽車に乗ろうと出かけたのだけど、駅に駆け込み、汽車の扉が閉まる直前に乗ることができた。 ポート氏も同じ汽車だったし、とても厭なイギ…
1878年6月18日 火曜日 富田夫人に、男の赤ちゃんが今夜生まれた。 私は本当に吃驚した。というのは、昨夜一緒に富田夫人と庭を散歩したりしていたのだ。 皆さんきっとお喜びであろう。 授業が済んでから、日本橋に出かけた。 そこで工部大学校のお友…
【クララの明治日記 超訳版解説第49回】 「最初に断っておきますわよ。クララが参加したYMCAというのはキリスト教青年会、つまりYoung Men's Christian Associationの頭文字であって、決して西城秀樹の歌詞ではありませんことよ」 「…………えっ!? な、な…
1878年6月16日 日曜日 ひどい雨の日曜日。それでも、私たちは十時に日曜学校に行った。 しかし、参加者は日本人の男の子がたった一人。 半時間もオルガンの前に腰掛けて弾き続けたているうちに、ウィリィ・ヴァーベック、マクラレン氏その他が来た。 …
1878年6月15日 土曜日 今日はとても楽しい一日だった。 こういう土曜日は理想的だ。 十時までに家を綺麗に整頓し、それから靴下の繕いをしている母のために『スペクテーター』紙を読んであげた。 その後、少しばかり書き物をした。 昼食後、森夫人に…
1878年6月14日 金曜日 この家とも近くお別れなので、お世話になった方たちを招いた。 上杉夫妻、インブリー夫妻、尊敬する説教者のインブリー氏に会いたがっておられたディクソン氏に、マーシャル氏。 インブリー夫人は快活な話し好きで、人をもてな…
1878年6月13日木曜日 今日父のところへ、楠本東京府知事から会いたいとの書面が届いた。 代理としてウィリィが出向いたところ、知事の下に海軍卿勝安房守殿から手紙が来たというのだ。 「私が二年前に商法学校に寄附した千ドルはホイットニー氏が学長…
1878年6月12日 水曜日 あと二週間でこの家を去らなければならないのは残念だ。 二年近く私たちが雨露をしのぐよすがだったのだから。 しかし変化は必ず来るものだし、それほど悪い事態でもない。 今朝森夫人を訪問して新しいピアノと楽譜を見せて見せ…
1878年6月11日 火曜日 森夫人が訪ねて来られ、楽しい話し合いができた。 「永田町にある我が家の持ち家に入りませんか?」 二、三日前に富田氏から聞いていた話を、正式に申し入れをされた。 私たちは神様に私たちの住むべき家を選んで下さるようにお…
1878年6月8日 土曜日 今日はアディに手伝って貰って客間の大掃除をすることにした。 昼食後、マツを連れて勝家に行った。 勝家の方たちは皆とても親切だ。 小鹿さんはとりわけ陽気で、いつもの気の抜けたようなところはなかった。 小鹿さんと二番目の…
【クララの明治日記 超訳版解説第48回】 「遂に正式に父親ウイリアム氏が商法講習所――現在の一橋大学の原型――から解雇されてしまいました。 今回分は流石に落ち込み気味のクララとアンナ先生の姿が描かれています」 「確かに異国の地で一家の大黒柱が“無職…
1878年6月6日 木曜日 母は学生たちの綴りの能力や、フッカー著『自然の本』の知識について試験をしているけれど、とても苦労で、このまま続けていったら病気になってしまうのではないかと思う。 疋田家の玄亀ちゃんが一日中アディと遊んでいったけれど…
1878年6月5日 水曜日 午後森氏を訪問した。 森氏は外務大輔に就任するために、清国駐在公使をしておられた北京から帰って来られたのだ。 親切に家の人たちの様子をお尋ねになった。 奥様は心配そうで、元気がなかった。 英という名の赤ちゃんが生まれ…
1878年6月4日 火曜日 昨夜、学生が来たことをお逸に話したら非常に喜んでくれた。 「当然のことよね!」 一緒に芝に行き、それから勝家に行った。 夫人が出て来られて、私に色々親切に云って下さり、私たちの困難に同情して下さった。 「きっと万事上…
1878年6月3日 月曜日 我が家の困難のことを考えて終日憂鬱そのものであった。 矢野は私たちに対して実に意地悪い仕打ちをする。 私は悲しみと憂鬱のために授業もろくに出来なかった。 母とアディは横浜に行かなければならなかったので、ウィリイと私で…
1878年6月2日 日曜日 家中の人が陰鬱に何とも悲しい聖日であった。 その上、一日中雨降りだった。 私は止むを得ない理由で日曜学校に遅れた。 アレグサンダー先生がヨハネ伝の次の箇所をテキストにして説教された。 「我らもし罪を告白せば、神は我ら…
1878年6月1日 土曜日 昨日今日は本当に悲しい日々だった。 それはどうしようもなく、ただ待つより仕様のない時の生命を食い潰すような悲しみである。 待つことは何よりも辛い。 私はもっとしっかりして、耐えなければならないのだけれど、今日は完全に…