1878-07-01から1ヶ月間の記事一覧
1878年7月29日 月曜日 今朝私たちがまだ寝ているうちに滝村氏がみえて、なんと午後三時までおられた。 「パリの博覧会に送るための古典音楽についての長い論文を書いたのですが、クララさんに不備な点を直して欲しいと思いまして」 私は一日中その仕…
1878年7月27日 土曜日 母とアディと私は、今日いろいろの方を訪問して歩いた。 まずメアリと名付けられた新しい赤ちゃんを見に津田家に行った。 次に杉田先生のお家に寄って楽しい一時を過ごし、それから銀座にも出た。
1878年7月26日 金曜日 午後、お逸が迎えに来たので、一緒におやおさんを訪ねた。 でも出かけるのがとても遅くなってしまった。 というのは、出ようとしたところへ、丁度ヘップバン夫人が来られたので、私はお話をするために出立を遅らせたのだ。 今日…
1878年7月23日 火曜日 毎朝十一時に来る小さな生徒が二人できた。 有祐さんの従兄弟で、薩摩のサムライの子供である。 上の子が十三歳で横山元千代、下の子が十歳くらいで横山壮次郎という名前だ。 我が家に初めて勉強に来た時には、元千代が大きい声…
【クララの明治日記 超訳版解説第52回】 「引っ越し先が落ち着いて、クララの日常が戻ってきた感じだよね」 「その“日常”にもサラリと福沢諭吉、中村正直、楠本正隆といった大物が登場していますわね」 「一番最初に登場する人は放っておくこととして、中…
1878年7月19日 金曜日 昨日の朝ビンガム夫人を訪ね、大変親切にして頂いた。 夫人は日光へ行った時、無鉄砲な人力車の車夫に悩まされた話をして下さった。 全速力で走っては急に止まり、冷たい水をがぶがぶ飲み、水に飛び込む。 「手首や踵にまず水を…
1878年7月18日 木曜日 ここ数日、なんとかして家の中をもう少しましにしようと努めている。 敷物を上げてその下を掃除した。食堂も少し変えなければならない。 今日は玄関の畳を上げて掃除し、その上に縄で編んだ敷物を敷いた。 風が強くてほこりが舞…
1878年7月15日 月曜日 ウイリイが癇癪を起こして、横浜へ行ってしまった。 使用人のヤスがしでかした間違いに腹を立てたのだ。 「ヤスが出るか、自分が家を出るかだ」 遂にそんなことまで宣言する始末。 だけど、いろいろの理由で私たちはヤスにいて…
1878年7月14日 日曜日 今日の午後、富田氏が来ておられる間に、私とアディは二階の格子のあるベランダから、ディクソン氏が馬に乗ってネクタイを直しながら通っていくのを見た。 あの滑稽な帽子でそれと分かった――兜にトルコのタオルを巻き付けて、横…
1878年7月13日 土曜日 今日はアディと一緒に勝家にお逸を訪ねていった。 お逸もお逸のお母様もご在宅だったので、お母様にいろいろ親切にして頂いたお礼を云った。 お母様はそんなことなんでもない「九牛の一毛」に過ぎないと云われた。 とても楽しか…
1878年7月12日 金曜日 引越をしてから毎日とても忙しい。 朝のうちに家事を片付け、午後は出かける。することは山ほどあるのだ。 昨日の午前中は、書き物をしてもよかったのだが、前の晩に一睡もしていなかったので、家事を済ませたら休みたくなった…
【クララの明治日記 超訳版解説第51回】 「ということで、復帰第一回はホイットニー家の引越の模様をお伝えしました」 「永田町界隈は随分と豪華なメンバーが軒を連ねていますわね。よくもこんなに敷地があったものだわ」 「日記中でも触れられているけれ…
1878年7月8日 月曜日 昨日は七月の七日、七夕祭だ。 この日に雨が降ると幸運とされ、降らないと非常に不運である。 幸い昨日は雨が降ったから私たちは大丈夫だ。 それにしても私たちの悩みは果てることがないのだろうか。 ウイリィが銀行に預金したお…
1878年7月7日 日曜日 新しい家の窓辺で、私はこれを書いている。 引っ越しはとても大変な騒ぎだ。 アメリカから日本に来る時でさえこれほど大変ではなかった。 木曜日、私たちは独立記念日を引っ越しによって祝したようなものだ。 それから丸三日間、…
1878年7月4日 木曜日 朝 栄光の日 輝かしい独立記念日! ……にしては外は惨めな陽気であるし、部屋の中はさらに惨めである。 引っ越しのための荷物でごった返している。今日か明日のうちに引っ越すのだ。 私は永田町に荷物を受け取りに行かなければなら…
1878年7月3日 水曜日 今日は終日永田町へ。 運び込まれて来る荷物をお逸の義兄様である疋田氏と一緒に受け取っては整理した。 母と私は朝早くその家に行き、誰もいなかったので、家を神様に捧げる祈りをした。 神様は私たちの願いを聞き入れてその家に…