1878-08-01から1ヶ月間の記事一覧
1878年8月31日 土曜日 ゆうべはとても眠くて一晩中ぐっすり眠った。 兵隊の再度の反乱があったにもかかわらず、天皇陛下は昨日北陸地方と東海地方への旅に出られた。 陛下は後継者に有栖川宮をお決めになったそうだ。 有栖川宮は十五歳で海軍省へ行っ…
1878年8月30日 金曜日 私の生涯の新たな区切り目に来た。 今日が私の十八歳の誕生日なのだ。 お逸と私は誕生日がごく近いので、一緒にお誕生祝いをすることにした。 昨日松平家に行った時に、私の家で勝家の方々や滝村家の方々にお会いになるよう、お…
【クララの明治日記 超訳版解説第55回】 「明治日本最初の軍部の反乱! 近衛砲兵大隊による赤坂御所襲撃計画! 暗躍する謀略家岡本柳之助の影に見える囚われの陸奥宗光の姿! 刑死者55名、処罰者302名! 明治前期日本の歴史の最大の闇! それが竹橋事…
1878年8月27日 火曜日 今朝は朝寝坊をしてしまった。 雨が降っていたし、前の晩寝ていなくて疲れていたのだ。母はだいぶよくなり、床の上に起き上がって、いつもの母のようだ。神様が私の祈りに答えて下さったことに感謝する。 午前中は早く過ぎてし…
1878年8月26日 月曜日 昨夜母が急病になった。 こんなことは久しくなかったのだけれど、二年前に罹ったのと同じ病気で、あの時は午前三時にアンダーソン先生を呼びに行ったのだった。 父もアディも使用人たちもみんな寝込んでいて、こんな時に呼べる…
1878年8月25日 日曜日 今朝早く礼拝に行った。 アディは猛烈に歯が痛むので、抜かなければならないと母は考えている。 アレグザンダー先生のお説教だったが、正規のお説教ではない。 正規の礼拝は来週の日曜日から始まるのだ。 私の日本語の日曜学校…
1878年8月24日 土曜日 昨夜は恐怖の夜だった。 十一時頃に兵士の一団が開成学校の近くの竹橋にある司令部で反乱を起こしたのだ! 私たちはその自国に五発の砲声で目を覚ました。 宮城から聞こえてきたそれは、非常事態の合図なのだ。 五分と立たぬう…
1878年8月23日 金曜日 授業が済んでから昨日貸していただいたフリーザーを返しに、器にいっぱいのアイスクリームを持って勝家に行った。勝提督はアイスがお好きなのだ。 お逸もおせきも留守だったけれど、奥様がおいでになって楽しい話し合いをした。…
1878年8月22日 木曜日 同人社の先生方五名が父や私たち家族と顔合わせをするために、中村正直氏の養子である中村一吉氏と連れだってみえた。 静かな気持ちのよい話し合いだった。 中村氏が一番感じの良い青年だったけれど、もう一人、もっと若い素敵…
【クララの明治日記 超訳版解説第54回】 「今回は随分と短めでしたわね。このシリーズ最短ではないのかしら?」 「この後、一気に日記が連日立て込むからねー。過去ログとして上げる時に、区切りがないと、このコーナーを挟めないわけで」 「そのような場…
1878年8月20日 火曜日 しばらく日記を書く気にもならなかった。また書く機会もなかった。 お逸が木曜日の晩、私の家に泊まり、金曜日ずっと一日いたが、夜は蚤と騒音に悩まされたようだ。 おやおさんは発疹で寝込んでおり、盛はチフスに罹ったので授…
1878年8月14日 水曜日 みんなでウィリイを見送りに行く支度をした。 母と私はついでの用事で横浜に行くことになっていた。盛、雄、小鹿さん、疋田氏など皆さん駅に来られた。笠原が付き添っていくことになっている。 家を出る直前に富田氏からの手紙…
1878年8月13日 火曜日 ウィリイは石川県加賀郡金沢町にある啓明学校に教師として近く赴任する。 悲しいけど、お金がないのだから致し方ない。 家ではウィリイに依存している度合いが高いので、兄に行かれてしまうのはとても困る。 が、如何ともしがた…
【クララの明治日記 超訳版解説第53回】 「今回は解説すべき点は特にないよねー。クララの日常の一コマ、みたいなかんじで」 「それでは、今回はクララの二面性を見ていくことにしましょうか?」 「ん? 二面性ってなんのこと?」 「伝道に熱心なクリスチ…
1878年8月11日 日曜日 昨日郵便が着いて、沢山の手紙が来た。 その中にセアラ叔母さんのが入っていて、ホイットニーお祖父さんの死を報せてきた。 お祖父さんは六月十八日に苦しみ悶えながら亡くなった。 二週間悪寒や熱や足の激痛があって寝ていたが…
1878年8月9日 金曜日 数日ひどい痛みを覚えていたが、母のお薬と包帯のお陰で、今日はずっと楽だ。 ヘップバン夫人は、ニ、三週間函館に行かれるそうだ。 帰ってきた後は、姪御のリーナが一緒の家に住む予定である。 サム・ヘップバン氏の奥様とはだい…
1878年8月8日 木曜日 家に帰って来るとき、ウォトソンという立派な顔立ちの礼儀正しい紳士の庇護下におかれた。 この方はヘップバン先生のお友達である。 久しぶりに中原国三郎さんと一緒で、東京まで楽しい旅であった。 東京に着いてからウォトソン氏…
1878年8月4日 日曜日 もう八月だとは信じられない。けれど、時は容赦なく過ぎていく。 水曜日から、横浜のヘップバン家に来ている。静かな楽しい日々である。 始めの三日間、母とアディは息抜きにグランドホテルに泊まっていて、私も時々会いに行った…