Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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最後に今回分の「クララの明治日記 超訳版」解説を、いつも通りにお逸(勝海舟三女)とユウメイに。


【クララの明治日記 超訳版解説第82回】
「今回は特に解説すべき事項はありませんわね。
日記の最後で話題になったグラント元大統領の日本訪問については、これから数週にわたり話題になりますし」
「うーん、折角だからナポレオン三世の話をしよっか? 日本では叔父に較べればずっと影が薄いから、この機会に」
「そうですわね、グラント将軍との比較の意味もあってよいのではないの?」
「では、解説を。ナポレオン三世こと、シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、ナポレオン・ポナパルドの弟ルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス・ド・ボアルネの三男として、1808年パリに生まれました。
でもご存じのようにナポレオン一世は1815年、ワーテルローの戦いに敗北。その後、ルイ・ナポレオンは長きにわたり、ヨーロッパ各地を転々する羽目になります」
華麗なる一族も没落してしまうと哀れなものですわね」
「だけど、ここからが不屈の闘志を発揮。というか、闘志だけあって、前半生は失敗だらけなんだけどね。
まずイタリアで過激派組織に入って、オーストリアの官憲に追い回され、フランスに帰国してから王制打倒のクーデターを起こそうとして二度も失敗して監獄行き」
「よくそんな惨状から大統領にまで上り詰めましたわね」
「ある種の“怪人物”だよー。
皮肉な話なんだけど、知名度が上がったのは、二度目の蜂起で惨めに逮捕された後の裁判の場だったり。そこで堂々たる“民衆主権論”をぶち撒けてるんだよね」
「でも、そのまま牢獄に放り込まれたのでしょう?」
「それがこの牢獄生活こそが、この“怪人物”を決定づける契機になるの。
この牢獄の中で勉強しまくった三世は、その集大成として“貧困の根絶”という論文を書き上げたわ。凄く興味深いのでその一節から引用するね。
『労働者階級は、なにものも所有していない。なんとしてもこれを持てる者にかえなければならない。労働者階級の資産は腕だけである。この腕に、万人に役立つ使用法を与える必要がある。彼らは遊蕩好きの民の間に置かれた奴隷のようなものである。社会の中に彼らにふさわしい場所を与え、彼らの利益を大地の利益に結びつけなければならない。要するに、労働者階級は、現在、組織もなければ連帯もなく、権利もなければ未来もない。彼らに権利と未来を与え、協同と教育と規律によって彼らを立ち直らせなければならない』
ちなみに、この一文の四年後に発表されたのが“共産党宣言”。
如何に三世が的確な現状分析とその解決策に関して優れた知見を持っていたか、分かるってものだよねー。
しかも非現実的な部分の多かった共産党宣言に較べて、今日で云う“修正資本主義”にまで踏み込んでいるのだから、当時の時代背景を考えると本当に吃驚な話なんだよ」
「なるほど。歴史的に見れば価値ある論述であることは分かりましたけれど、投獄された後、どうしましたの?」
「え? 石工に変装して脱獄。そのままイギリス亡命」
「大ナポレオンの甥がそのざまですの……」
「それ、ナポレオン三世が大嫌いだったヴィクトル・ユゴーの造語ね。
大ナポレオンに対して、甥は小ナポレオンだっていう陰口。
ま、陰口程度の嫌いっぷりじゃなかったみたいだけど、その話は省略。
ついでに云うと、ナポレオン三世が大統領になった時、大絶賛していたのは秘密。
ルーピーを熱狂的に支持した何処かの国民と似ているよねー」
「……積極的に支持していたとは思いませんけれどね。思いたくない、ともいいますけれど」
「で、話戻って。
イギリス亡命2年後に勃発したフランスの2月革命。その補欠選挙で議員に当選して、晴れて帰国。
フランスに舞い戻ってからは、とんとん拍子。
というか“それでいいのか、フランス国民!?”て感じ。
第二共和政下の1848年12月の大統領選挙で、あっさりと当選しちゃうの」
「……日本も大概だとは思いますけど、フランスもヒドイものですわね」
「で、当選するとあっという間に権勢強化。
完璧に孤立無援状態から僅か3年後。1851年12月2日に、大統領自らクーデターを起こし、叔父に続く第二帝政を確立しちゃうの」
「誰も止める人はいませんでしたの?」
「それがこれまた叔父と同じで、ちゃんと選挙をやってから帝政を開始しているんだよね。ちゃんとフランス国民のお墨付きなわけ」
「度し難いですわね。“ヨーロッパ制覇の夢よ、再び”という幻想でも抱いたのかしら?」
「でも初期はちゃんと勝ち続けたからね、勿論本人が戦闘指揮を取ったわけじゃないけど。
クリミア戦争、清国とのアロー戦争、イタリア統一戦争、メキシコ遠征などなど、殆ど負けてないんだよ。
もっともメキシコ遠征は後にしっぺ返しを喰らって、このあたりから政権が失墜した、というのが一般的な見方。
でも今日評価されているのは、外征より内政だよね」
「パリの大改造でしたかしら?」
「そう! このパリ大改造の模様をコンパクトに纏めた文章があるので、以下少し長いけど紹介。
どこかの引用ではなく、ここのブログ主のオリジナル文章だけど。それでは、どうぞ!
『この日、一八七〇年七月一九日。
スペインの王位継承権を巡るフランス帝国プロイセンとの間の確執は、遂にフランス帝政議会の、プロイセンに対する正式な宣戦布告となって結実する。
後に普仏戦争と呼ばれることになる戦争の開幕である。
これより十七年前の一八五三年。セーヌ県知事オスマンがパリに赴任したとき、この花の都はその名に値せぬ巨大な芥溜めのような町だった。
中世以来、自然発生的に増殖を続けてきた建物は、曲がりくねった狭い路地の両側に立ち並び、そこに住む住人は一年中一度も室内で太陽の顔を見ることなく生活していた。
クーデターにより叔父に引き続く第二帝政を確立したナポレオン三世は大土木事業に踏み切る決意をし、オスマンにこの古き都の大改造を命じる。
パリ中の細く曲がりくねった不規則に走る道は、周囲にひしめき合う無数の建物と共に尽く踏みつぶされ、その跡には太く、直線上の道路が描く幾何学的な均整の取れた都市が生まれた。近代パリの誕生である。』
以上」
「……評論は遠慮させて頂きますわね。
何を云っても気持ち悪いことになってしまいますから」
「ブログ主はこの後に描かれるパリの模様も含め自画自賛しているけどねー。
簡潔かつ的確にパリ改造の本質をついている、といって。
問題はコレが投稿小説の一節だったりすることなんだけど。メフィスト賞に送った、一応カテゴリーはミステリー小説の。
ちなみに“パリの歴史とパリ論”が全400ページ中、100ページくらい♪」
「そんなところばかりに力を入れるから“人間が描けていない”と評されるのですわ!」
「おっと、選挙速報見ながら書いていたら、どんどん長くなってしまったので、ナポレオン三世とパリ大改造の話はまた別稿で。もし“読みたい”という方がいればだけど。
そんな奇特な方がみえましたら、web拍手で、一言でよいですのでお願いします!」
「勝手に話を閉めるのはおよしなさい。まだ解説が残っていますでしょうに!」
「おっと、忘れるところだった。
クララが今週の日記の最後のところに書いている、リンカーンの次の次の大統領にして、南北戦争の英雄、グラント将軍だけど、将軍はこの後、7月3日、アメリカ艦リッチモンド号で金剛艦の出迎えで横浜に入港して、しばらく日本に滞在します。
この辺りは次週以降、ひたすらクララの日記でも話題になるのでお楽しみに」
(終)


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