Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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遅ればせながら「君の名は」を観てきました。
ネタバレ含みますので以下隠しますが、とりあえず当ブログ的には碧ちゃんがでてます。しかも結構メインなところで! いつものように普通の声優使わないと思っていたのでこれはサプライズで嬉しかったですね。あと「言の葉の庭」からゲスト出演なのか、引き続き花澤さんキャラも登場します。
自分の新海誠歴は「ほしのこえ」を予約購入したのが先か、OPムービーの為だけに「Wind-a breath of heart-」のファンディスクを購入したのが先か、今となっては記憶の遥か彼方な程度に長いです。
それでも熱狂的なファンかと云えばそういうわけではないのは・・・自分がハッピーエンド至上主義者だからでしょうか(虚淵作品を除く。といっても虚淵作品は一般常識からだとバットだけど「作中キャラ的には」幸せ、という場合が多々ですが)。
新海作品の映像美は大好物ですし、時間と空間の隔たりと繋がりを描くテーマもまた好きなのですが、ストーリーはどれもハッピーエンドはなく、良くてビターエンド。
秒速5センチメートル」に至っては視聴者の精神を削る作品が挙げられるときの常連となっているのは新海作品に触れたことがある方にとっては常識のことで。
という訳で今回の「君の名は」はレンタル待ちしようと思っていたのですが、ネットを通して聞こえてくるのは絶賛の声。
「ああ、なるほど。ハッピーエンド主義に転向したのか」と容易に理解し、安心して劇場に。
ま、多大な製作費を使えばリターンが当然必要ですからね。それをご本人が理解したのか、周囲のPDさんあたりが説得したのか、物語は今までの新海作品同様、時間と空間のつながりと隔たりというテーマを描きつつも、一般大衆に受け入れられる物語に落とし込まれていました。
ですが観終わっての感想ですが、周囲の大絶賛ほどには感銘を受けませんでした。と云いつつも、映画を補完する小説二作はすぐに購入しましたし、ブルーレイも初回限定版を購入するのでしょう、多分。
不当に低かった新海作品の一般人の評価が突然跳ね上がってる一方、昔から付き合っている側としては新海作品のクオリティならこれくらいヒットしても当然、という思いがあるからなんでしょうね、この複雑な気持ちは。
ともあれ、映像美と見事なハッピーエンドを観たい方は是非劇場へ。


蛇足として作中で重要なアイテムとなる「口噛みの酒」について、自分が書いたオリジナル小説から神話の起源譚を語らせて貰います。
こっちは日本神話にありがちなバットエンドな話です。
オリジナル小説の途中の途中からなので全く意味がわからないと思いますが「口噛み酒」の起源については大学の講義で学んだことも含めて書いているのでお暇な方は一読を。


「ふぅ、喰った喰った」
 妙齢の美人には似つかわしくない台詞とともに合掌した先生は、悪戯っぽく笑いながら私に云った。
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはこんな下品な言い方しちゃ駄目だぜ」
 更に先生はバックから透明の液体が満ちた小さな瓶を取り出した。コップを用意しようとすると、先生は「私は瓶から直接飲むから平気平気」と云って瓶を煽った。微かなアルコール臭がする。
「先生、真昼間から日本酒を飲むのは……」
 常識など信じていないのに私が常識論をぶつけてみるけど、一顧だにされないどころか、完全な駄目人間の答えが返ってきた。
「大丈夫大丈夫。そもそも私はお酒が少し入ってないとしゃんとしないんだよ。
 そうだ、日本酒と云えば『風土記』に面白い話があるんだ。今度家で家庭教師しているときに聞かせてあげよう」

 時はまた現在の、私の部屋へと立ち戻る。
「私たちが現在慣れ親しんでいる日本の昔話だけれど、同様に過去に遡れば遡るほど、多くのものが血腥かったり、救いようのない凄惨な話だったりするわけ。
 日本の昔話の変遷というテーマだけでも大命題になっちゃうから結論だけ云うけど、主な原因は仏教の因果応報の概念が入ってきたことだね。仏教が広まると同時に因果応報っていう庶民にも納得しやすい概念がいきわたり、昔話の話の組み立てそのものを因果応報的なものに書き換えてしまったのさ。
 それでも幸いなことにこの国では古い文献である程度その変遷が確認できる。歴史の授業で習ったでしょう『風土記』。あの中の『丹後国風土記』になかなかシビアな話があったりする。物語の分類としてはいわゆる白鳥処女伝説の変形だけど、内容がえげつない」
 先生は邪悪としか表現のしようのない笑顔を浮かべて講釈を始めた。
 折角の美人なのに彼氏が全然できないというのは時折こんな笑顔を浮かべるからだろう。
丹後国に住んでいた翁は近くの池で水浴する八人の天女のうちの一人の衣裳を蔵した。そして天に帰れなくなった天女の一人に子供となることを強制し、十余年の間、扱き使った。
 どう扱き使ったかと云えば、天女が水浴していた池の水を引いて米を作らせ、その米から酒を造らせたんだ。ちなみにこの頃の酒と云うのは普通に醸造するのではなく、お米を一度口に含んで噛み砕き、口から吐き出した米を醸造するというものだから、大変な重労働だったわけ。
 天女の造った酒は一杯飲むと万病が治るという噂を呼び、人々は一杯の酒を求めるために車一台の財貨を積んで、翁の家に列を作った。
 しかしさっきも云ったけど、口噛みの酒を造るのは大変な重労働だ。勿論原料の米作りもだけどね。だから十数年も働き倒せば身体はもうポロポロだ。そして使い物にならなくなった天女を、翁と媼は家から追い出した。ただ追い出したんじゃない、泣きながら家においてくれと哀願する天女を、散々罵倒して、だ」
 先生の話を聞いていて、私は正直……ゾクゾクした。
 天上界の住人が理不尽に地上に留め置かれ、ボロボロになるまで扱き使われて襤褸雑巾のように使い捨てられる。
 これこそ私の望む無残な死の在り方ではないだろうか。
「追放された天女は苦しい流離をすることになった。現在もなお『風土記』に残された地名を頼りに、天女の歩いた道筋を辿ることができて、私も実際に歩いたことがある。さほど大きくはない川沿いの道に沿って、点点と神社が存在していたよ。
 そして最後に天女は竹野の郡の船木の里の奈具村に辿り着き『ここにきて、やっと安らかな心になれた』と云って、この地に住み、神として祭られたという」
 最後になって天女に救いがもたらされたことに私は内心舌打ちした。その不幸のどん底のまま死を迎えていれば、まさに私の願望と重なるというのに。
「この天女が祀られたのが奈具社という名前であることからこの話は一般に奈具の天女譚として知られていて、最終的にこの奈具社には豊宇賀能売神トヨウケヒメという穀物神が祀られた理由、という縁起譚の構造になっている。ちなみに神名のウケは食物のことで、食物・穀物を司る女神ということだね」
トヨウケヒメという名前には記憶があります。確か伊勢神宮の外宮に祭られている神様ですよね?」
 私は内心の落胆を隠しつつ、記憶の棚から最適の解を導き出す。
「流石はお嬢ちゃん、よく御存じだ。この神のおかしなところはかなり重要な神であるにもかかわらず、古事記には出自が載っているけど、日本書紀には全然出てこないところだ。
 古事記の記述だと伊弉冉尊火之迦具土神を生んだ際に、陰部を焼かれてしまった。伊弉冉尊はもがき苦しみ、その尿から罔象女神ミヅハノメノカミが生まれ、次に稚産霊神ワクムスビノカミが生まれた。豊宇賀能売神はこの稚産霊神の子とされ、天孫降臨の後、外宮に鎮座したと記されている。
 しかし古事記の記述より、具体的で信憑性があるのは伊勢神宮外宮の社伝の方。こちらでは雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ『自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国丹波にいる御饌の神、豊宇賀能売神を近くに呼び寄せなさい』と言われたので、丹波から伊勢神宮遷宮させたとされている。
 こうして伊勢神宮の外宮にも祭られることになった豊宇賀能売神は以降、大体の地方の場合、天照大神とともに祀られることになる。穀物神と太陽神、これ以上分かりやすい組み合わせはないからね」
「お話としては面白いのですが、昔話の理不尽さという論点から随分離れてしまった気がするのですが」
 綺麗な落ちではあるが、私としては物足りないことこの上ない。私は話を主題に引き戻す。
「ああ、ごめんごめん。一応これでも前振りのつもりなんだ。
 先程も言ったけど、天女が豊宇賀能売神になるまでの理不尽さは善悪の因果関係による論理ではなく、古今東西の神話の共通的な要素である『富は異境からもたらされる』という信仰に基づくものだ。これはいわゆる白鳥処女伝説というやつで、これの類型は世界各地に、それこそメソポタミアの昔から確認されている。
 私はこれまでそのような神話を生み出した、当時の現実の世界を解明しようと研究してきたわけだけど、およそ二年前、その研究を根本的に突き崩すような『現象』が始まった。言うまでもないことだけど、鬼や悪魔の出現だね」
「先生!」
 私は咄嗟に先生に注意を促した。鬼の話題は鬼を呼ぶ。今やそれが共通認識だ。
 私自身は鬼に殺されることこそが本望だけど、この先生を失うのは厭だった。息苦しい空気が蔓延するこの世界に、こんな天衣無縫な人が一人くらいいたっていいんじゃないかと思うからだ。
 だけど、先生は手のひらをひらひらとさせて、心配ないとジェスチャーで返すだけで、更に言葉を継いだ。
「鬼や悪魔は理不尽に人を殺す、と考えられている。しかしそれは本当にそうなのか。
 そしていま世界各地で発生している『現象』が人類史上、本当に二年前に初めて観測されたのか。
『富は異境からもたらされる』と同時に『災厄もまた異境からもたらされる』と云われてきた。これは大半の世界での神話で共通して語られていることだ。
 そしてここからは想像だ。確証はない。しかし私はかなりの高確率で、世界はかつて無数に並行して存在し、その間の行き来も可能だったのではないかと考えている」
(以下略)


こちらのオリジナル小説は電撃の一次も通りませんでしたが(報告遅れましたがもう一方も二次落ちでした)、同じテーマで書き直してまた応募しようかなと。
というわけで全編読んでくれる方、募集中です。つきあって頂ける酔狂な方が見えましたらhitonoumirx@yahoo.co.jpにメール下さい。