Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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往事のノートルダム大聖堂を偲ぶ。。。オリジナル小説「終の七-パリ夢残」公開

[雑記]

ノートルダム大聖堂が燃えてしまいました。。。
その昔、ノートルダム大聖堂を初めとした19世紀パリの史料を大量に読み込み、一本投稿小説を書き上げたことがあるのです。
で、完成した小説の送り先は講談社メフィスト賞
当然メフィスト賞に掠りもしませんでしたが、それでも幸い座談会の本編で取り上げられ、しかも読んで貰えたのは当時の編集長で、鉄鼠の檻狂骨の夢を書いてた当時の京極夏彦を担当していた編集者の方でした。
奇しくもその号は「空の境界」の第一章が、本編が出版される前に試験的にメフィストに掲載された号で・・・って云うと十何年前の話かバレますね。
で、当時の編集長様曰く「この作者は歴史は詳しいですが、人間が書けてません」とバッサリ。
・・・いや、京極夏彦を担当していた編集者に「歴史は詳しいですが」と書かれたことは正直嬉しかったんですけどね。
もっともその後のアドバイスで「作品を書く時の視点の取り方がおかしい」みたいなことを指摘して貰えたのですが・・・そのアドバイス通りに書こうとするようになった途端、文章が書けなくなって今に至るのです。。。もう十年以上本格歴史小説書けてない。。。
とりあえずそんな事情はさておき。
「往事のノートルダム大聖堂を偲ぶ」ということで、その没った小説の冒頭をアップ。
物語本編は一八七〇年七月一九日、普仏戦争の開幕の夜のパリから始まります。
で、その冒頭がノートルダム大聖堂のアーチ状の曲面天井の上でのバトル、更に云うと最終章はノートルダム大聖堂の内部でバトル、という展開です。
お時間のある方はおつきあい下さいませ。
タイトルは少し当時から改称して「終の七-パリ夢残」になります。

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 私はその最期の瞬間……

       「忘れたくない」と強く想った。


『プロローグ』黒船

 月のとても綺麗な夜だった。
 湾の中に打ち寄せる波はどこまでも優しく、海面のスクリーンに月読命の秀麗な素顔を浮かび上がらせる。
 段々畑が無数に点在する丘に囲まれた湾。その最も奥まったところにある港には幾つもの巨大な影がそびえたつ。水面から高く突き出した、独特の巨大な舵をつけた一本マストの和船だ。前後が極端に湾曲した急角度の船縁は、優美な姿を月明かりに浮かび上がらせる。
 静物画の中から切り出されたような静寂と静謐に支配された空間。
 だが、その美しい絵画のキャンパスを覗き見ることができる者がいれば、右端の一点に黒い染みを見つけることだろう。
 染みは明らかに周囲に浮かぶ和船とは異なる、禍々しいシルエットを投げかけていた。あくまで曲線を基調とした和船に対し、鋭角的に縁取られたその影は、天に向かって三本マストを威圧的に突き出している。マスト後方の煙突からはどす黒い煙が吐き出され、凶暴な姿をいやます。
 やがて絵画の黒い染みに近づく小さな影が現れた。正体は先端が三角形の形をした平底船だ。船体は櫓までも漆黒に染められ、船に乗り込む影たちもまた、黒の忍び装束を纏い、黒の覆面で顔を覆っている。
 音もなく忍び寄った漆黒の船は異形の影――この当時としては最強の戦闘力を誇る甲鉄艦だ――の船尾に船体を寄せると、漆黒に染め上げられた縄を帆柱に向かって投げつける。
 異形の影から五〇間(約九〇メートル)ほど離れたところに浮かぶ小舟。
 その船上で眼前の光景を見つめる初老の男。首領と思ぼしきこの男が振り上げた右手を下ろすのと同時に、黒装束の男たちは無音で異形の船へと乗り込んでいく。
 全員が甲板に上がったことを確認すると、予めの打ち合わせ通り、幾人かの集団に別れ、忍びたちは船内へと散っていく。
 小舟の上には首領の傍らにもう一人。服や刀の拵えで明らかに高位の地位にあると思われるまだ三十路前後の若い武士が、眼前で繰り広げられる光景を落ち着かぬげに見つめている。底冷えする時期であるにもかかわらず、男は吹き出す汗を盛んに拭っている。
「ほ、本当に大丈夫なのであろうな?」
 首領は視線を真っ直ぐ前に向けたまま……何も応えなかった。

 その《災厄》と最初に出会う羽目になったのは船室へと向かった一団だ。
 八つの影は目的の場所に辿り着くと、更に息と気配を消して船室内の様子を伺う。
 そして集団の長を任された男が突入を指示しようとした瞬間……その顔から銀色の穂が生えた。煌めいた銀光が槍の穂先であり、壁越しに突き出されたそれが長の顔を無造作に貫き通したのだ、ということを残る七人が理解する機会は永遠に訪れなかった。眼前の光景を理解すべく瞬きをした刹那、彼らにも長と同じ運命が訪れていたからだ。
 断末魔の一つすら残さず、男たちの生命の灯火は消えた。

 甲板前部の操舵室へと向かったび忍たちは、月明かり差し込む室内に蠢く人影を認めるや即断即決し、扉を蹴倒して乱入する。部屋の中心で陽炎のようにゆらめく人影を前列四人、後列四人の二重の円陣に取り囲む。包囲が完成するや、前列の四人は刀を突き出し、後列の四人は飛び上がり、頭上から刀を振り下ろす。
 同士討ちを全く厭わぬ攻撃をかわす術はない……筈だった。
 白刃が人影を貫くと思った瞬間、彼らの標的は雲散し霧消する。前列の男たちはたたらを踏み、必死に繰り出した刃の軌道を逸らすが、身体まではかわしきれず互いに激突してしまう。直ちに態勢を立て直すべく飛び起きようとした彼らの頭上に、後列の男たちが降ってくる。忍びにはあるまじきことに前列の男たちは絶叫を上げた。彼らの仲間が物言わぬ八つの塊となって降ってきたからだ。
 絶叫が響き終わったとき、操舵室には十六の肉塊が転がっていた。

「一体、何をしておる? まだ成功の狼煙は上がらぬのか!?」 舶来の銀時計にしきりに目を落としながら、目付役の武士は苛立ちを露わに首領を責め立てる。
「……いま暫く。いま暫くお待ちを」
 何の感情も籠もらぬその言葉にますます激昂し、目付は声を荒げる。
「貴様ら、お庭番の最精鋭であろうが! それがたかが《追儺師》あがりの忍び風情の生命を奪うのに、何故にこのように手間取るのだ!? ええい、貴様らのような下賤の者を信じた儂が愚かであったわ! かくなる上は……」
 首領は初めて目付役へと視線を向けた。その眼光に宿るのは混じりけのない殺意。声にならぬ悲鳴を上げ、船上で一歩後ろずさった目付に、もはや一瞥もくれず首領は再び視線を戻す。そして視線を前方に向けたまま、強く噛みしめるように問う。
「お忘れですか? その化け物を創り上げるよう命じたのが貴方がただということを!」
「既に上様より下知は下っておる! そもそも我らとて、人の世の理を知らぬ《真正の人外の化生》を作れなどと命じた覚えなぞない!」
 目付役の武士は悲鳴をあげるように叫んだ。

 甲鉄艦後部下方、蒸気機関のある船倉に向かった一団。彼らの視界に飛び込んできたのは、蒸気機関に向かい黙々と作業する小柄な男。男は入口の扉が明け放れたことに気付かぬふうに、無防備に背中を向け何やら作業を続けている。その奇妙な行動も、忍びたちの判断に何の遅滞をももたらさない。放たれた無数の苦無が男の背中に飛来する。
 鈍い音ととも苦無は全て男の背中に突きたった。だが男は何事もなかったように背を向けたまま作業を続けている。着込みか! そう判断を下した忍びたちは苦無を刀に持ち替え、男の背中に殺到する。
 ここに至り、ようやく男は振り返り……無造作に両腕を突きだした。
 男の両腕には無数の黒光りする鱗のようなものが生えていた。忍びたちが突き出した刀は吸い込まれるように、その無数の鱗と鱗の狭間に絡み取られる。そして男が特に力を入れたとも思えぬふうに無造作に両手首を半分返すと、絡み取られた刀は高い音を立てて、すべて砕け散った。男が更に手首を半分返すと、逆立った鱗は無数の刃となり、突き出された男の両腕は忍びたちを完膚無きまでに斬り刻み尽くした。

 船奥の弾薬庫で作業を続けていた四人の忍びたちは拍子抜けしていた。
 彼らは更なる上位者からの密命を帯びていた。この船に乗り込んだ《化け物ども》を殺しきれぬときには船ごと爆破し、その存在を地上から抹消するという密命だ。
 作業は順調に進んだ。船内各所から仲間の断末魔が幾つか上がったが、彼らは使命のための尊い犠牲だ。なにせ相手は《鬼すら狩る者》。まともな手段で殺し尽くせる筈もない。
 爆薬を仕掛け終わり、速やかに撤退しようとして……彼らは血臭に気付く。慎重に扉を開いた先に彼らが見いだしたのは、退路を確保させていた部下達の変わり果てた姿だ。
 死体はあまりにも奇妙だった。誰一人として、抵抗を示した痕跡がないのだ。全く無防備のまま喉元を断ち切られている。監視の者には単独戦闘を禁じてある。たとえ抵抗できず殺されたとしても断末魔の悲鳴一つでもあげ、他の仲間を速やかに離脱させるためだ。
 そして長が己以外の――弾薬庫に忍び込んだ部下たち諸共――一切の気配が立ち消えていることに気付いたとき、彼もまた物言わぬ骸となり果てていた。

「何故だ! 何故爆発せぬ!?」
 打ち合わせの刻限を過ぎても炎上する気配を見せぬ甲鉄艦に、目付の武士が怒鳴る。
「……それは一体どういうことでございますか!?」
 答えを半ば予想しつつも詰め寄らざるを得なかった。これが幕府存続のために粉骨砕身してきた彼らに対する仕打ちだとは信じたくなかったからだ。
「上意である! 貴様のようなお目見えも叶わぬ者が知る必要はない!」
「貴方がたはっ!」
 堪え続けてきたものが忍耐の防波堤を超えた。強く噛み締めた唇から鮮血を吹き零し、目からは血の涙を流しながら首領は目付の武士の襟元を掴み上げ、そのまま締め上げる。
「き、貴様、儂を誰だと思っておる!」
「主 主たらずば、臣 臣たらず!」掴み上げた襟をそのまま喉元まで持ち上げ、更に責め立てようとした刹那……首領の頭が石榴のように弾け飛んだ。
「……と、遠町筒!?」そのままへたり込み、船上で尻餅をついた目付は、魂が消え失せた表情のまま呆然と呟く。その顔は首領の血を浴び、真っ赤に染まっている。
 遠町筒とは狙撃用の銃である。しかし信じられなかった。甲鉄艦からこの小舟までの距離は五〇間以上。しかも頼りとなる月明かりは先程から群雲に覆われ、地上は黄泉闇の支配する領域と化している。 これは既に人による業ではない。化け物にしかなしえない業だ。奴らはやはり異形の鬼そのもの……
 そして再度の銃声。瘧のように震えていた目付の男の身体は跳ねたように一度痙攣し、そのまま動かなくなった。
 
 甲鉄艦は船体から本格的に蒸気を吹き出しはじめる。出航準備が整った証だ。
 任務を放棄し、船内から甲板に逃げ戻ってきた忍びたちは既に恐慌に囚われていた。本来忍びにとって、恐怖や焦りという感情は無縁のもの。そんな心の隙間は、一瞬の判断の遅滞が確実に死をもたらす世界では判断を鈍らせる為のものでしかないからだ。
しかし、それは相手が人間の場合だ。たとえ人外の化生とかつては呼ばれた忍びと云えど、泰平の世が二六〇年も続いた今、真性の人外の化生《鬼神すら斬り伏せる》と云う化け物を相手にするなど想定できる筈もなかった。
 文字通り死に物狂いで船尾まで辿り着き、小舟に飛び降りようとした忍びたちの前に、小さな影が立ち塞がる。
 群雲が千切れ、再び漏れてきた月光のスポットライトが浮かび上がらせたのはまだ前髪を上げる年頃にも至っていない童だ。夜の闇に染められた豊かな黒髪は、群雲を吹き飛ばした潮風にたなびき、白い紙のように明るい彼女の肌とのコントラストは、それを眼にした者の魂を消し飛ばす。
「……何故このようなところに子供が?」
 男たちは忍びにはあるまじきことに《この世ならざる光景》に思考の全てを停止させた。この船に乗りこんでいるのは人外の化生だけの筈だ。
 二六〇年もの間にこの国を支配してきた政府、その支配を背後から支えてきた闇の機関。その総力を捧げ産み出した暗殺技術の結晶体は……既に創り上げた者たちの思惑を超え、外界への侵略を開始しようとしていた。
 一つ可愛らしく小首を傾けた童女は、この世ならざる美しい笑顔を浮かべ、男たちに向かって一歩を踏み出した。

《幕間》

 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!
 血に染まったような雲の後ろに太陽が沈み、落日の最後の一閃が建物の窓を燃え上がらせる。焼けさかるような建物から無数の群衆が吐き出され、世界で最も美しいと称されるパリの都中に散っていく。
 彼らは異口同音に、熱狂的にその言葉を叫びながら、東から西へと向かい行進を始めた。
 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!
 家から飛び出してきた人々は歩道に流れ、車道にまで溢れ出し、遂には巨大な奔流となりこの麗しき都を呑み込む。
 いつしか夜が一杯に広がり、街路のガス燈が一つ一つ灯っていき、パリの町を壮麗なキャンドルへと変貌させる。刻々と膨れあがる人の波は西から東へ、エトワールの凱旋門からバスチーユ広場にかけての巨大な流れとなって突き進む。彼らは足を踏みならし、同じ情熱の下に一つとなり、熱狂したい欲求から次々と集結してきた。熱狂は熱病のようにパリ全市を覆い尽くし、人々は異口同音に、断続して執拗にその言葉を繰り返す。
 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!

 この日、一八七〇年七月一九日。スペインの王位継承権を巡るフランス帝国プロイセン王国との間の確執は、遂にフランス帝政議会の、プロイセンに対する正式な宣戦布告となって結実する。後に普仏戦争と呼ばれることになる戦争の開幕である。
 これより十七年前の一八五三年。セーヌ県知事オスマンがパリに赴任したとき、この花の都はその名に値せぬ巨大な芥溜めのような町だった。
 中世以来、自然発生的に増殖を続けてきた建物は、曲がりくねった狭い路地の両側に立ち並び、そこに住む住人は一年中一度も室内で太陽の顔を見ることなく生活していた。
 クーデターにより叔父に引き続く第二帝政を確立したナポレオン三世は大土木事業に踏み切る決意をし、オスマンにこの古き都の大改造を命じる。
 パリ中の細く曲がりくねった不規則に走る道は、周囲にひしめき合う無数の建物と共に尽く踏みつぶされ、その跡には太く、直線上の道路が描く幾何学的な均整の取れた都市が生まれた。近代パリの誕生である。

『さあ、祖国の子供たちよ、栄光の日がやってきた』
 瓦斯灯の反射が金看板の上で踊り、松明を手にした群集は巨大な炎の渦を波立たせ、町の至るところで《ラ・マルセイエーズ》の合唱が沸き起こる。それはベルリンに向け進軍する帝国軍兵士たちへの手向けの歌だ。
 今やパリはその全土を巻き込んだ壮大なオペラと化している。
 渦巻いて流れる混乱した群衆は、目くるめくめくばかりの群衆は、夜に紛れ屠殺所にひかれゆく羊たちのように白く波うつ群集は、来るべき戦争の行方を言い知れぬ戦慄とともに感じ取り、しかしこの絢爛豪華な祭りに酔わぬわけにはいかなかった。
 掠れた叫び声を上げながら、熱狂の言葉を浴びせながら、このオペラの主役たる帝国軍精鋭に対する歓喜と陶酔の歌を歌い上げる。
 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!
 無論、皇帝ナポレオン三世も、帝国軍の貴顕も、帝国議会の議員たちも、そして何よりも誇り高いパリ市民の誰もがこの戦争の勝利を疑うべくもなく、その結果当然知りえよう筈もなかった。
 この華麗極まりない序曲で始まったオペラ。その終幕において、悲劇の運命を辿るのが他ならぬ今宵の熱情の宴の参加者である群衆自身であるということを。

 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!
 その狂想曲は道路の轍を踏み潰す地鳴りと共に、パリ中に響きわたる。熱狂する群衆を、夜空に浮かぶ銀色の月が照らし出し、パリを巨大な影絵の町と変える。
 群衆の波からさほど遠からぬノートルダム大聖堂。その天に向かって伸びる中央の尖塔、そして南北二つの塔は一際大きな影を作り、ただ静かにパリの都を見下ろしている。
 ノートルダム大聖堂はそれが建てられたセーヌに浮かぶシテ島とともに、パリの歴史をずっと見守ってきた。パリまでもが英国軍の占領下となった百年戦争の荒廃も、サン=バルテルミーの夜の虐殺も、フランス革命に伴うギロチンによる大量虐殺も、ナポレオン戦争の敗北による連合国軍のパリ駐留も、そしてあのパリ史上最凶最悪となった……
 しかし常に破壊と再生を繰り返してきたパリの街にとっては、一時の破壊など何ほどのものでもない。
 破壊の都度、人々は廃墟から立ち上がり、その都度パリの町を再生してきたからだ。

 大聖堂のアーチ状の曲面天井の上に舞い降りた影が二つ。
 常人では踏みとどまることさえ叶わぬ足場にもかかわらず、二つの影は互いに凄まじいばかりの剣戟を繰り返す。まるで身体に重みを持たぬ妖精同士の戯れを思わせる舞。
 シルエットが交差するたびに、激しい火花が舞い散る。その影絵の戦いを見守るのは、ただ虚空に浮かぶ銀色の月のみだ。
 月明かりに眼を凝らせば、一方の影が奇怪な面で顔を覆っていることに気付くだろう。
 影が被るのは第二帝政下、毎夜繰り広げられた仮面舞踏会から抜け出してきたような黄金造りの仮面。しかも奇怪なことにその金色の仮面には左右に二つ、計四つもの眼が並んでいる。金色の仮面は唇だけ朱に縁取られ、その血よりも赤き唇から覗くのは、鋭く尖った牙。微妙に左右非対称の仮面は、右側の二つの眼がいずれも少し吊り上り、左頬がすこし引き攣ったように彫られている。
「……無限の《波動》を経て、ようやく辿り着いたぞ、この終幕の舞台にな。
 クックックッ、しかもその舞台が我らが決着をつけるに最も相応しいこの場所でとはな。やはり我らが《歴史の女神クリオ》が《全ての波動の外側》に実在し、《全ての歴史》を律したもうことの証明ぞ」
 翼廊南の薔薇窓。その切妻となった屋根の高みで差し向かいながら、一方の影が心底愉快そうに嗤う。
 その手に握る恐ろしく長い太刀を構え直すと、一足飛びで間合いに飛び込んでくる。
 異形の仮面を被った影は、押し寄せる斬撃を巧みに身廊の屋根を移動しながら捌ききると、北塔の鐘楼に飛び移る。だが、襲撃者は難無くその動きにも着いていく。
「この美しい月は我々の戦いとは無縁にそこにあるのか、果たして我々が見上げた瞬間にそこに生まれしものか。果たしていずれなのであろうな」
 そうして鐘楼を挟んで向かい合う格好に二人。空を見上げた一方の影は、響きのない乾いた声で、しかし感情の片隅に愉悦を含ませながら自問自答するように呟く。
「……無数の人間の人生を弄んだ末に、最後に追い求める答えがそれか?」
 黄金の仮面の下から、静かな怒りの籠もった声音が漏れる。
「いや、そのような事は所詮言葉遊びに過ぎぬよ。君たちからすれば《別の波動》に過ぎぬのだろうが、我々にとっては《グラウンド・ゼロ》より永劫回帰を続けるこの世界。そこで我らに出来るのは、女神の使徒として、女神の真理に一歩でも近づかん《観測者》として、歴史の女神クリオに捧げるに相応しい歴史を紡ぐことのみ」
「……この地上に生きる何者をも読むことの叶わぬ歴史書を、か?」
 今度こそ隠しようのない憎悪を籠めたその声は、まだうら若き乙女のものだ。
 仮面を被る少女がその小さな手に握るのは黄金造りの刀。脇差ほどの長さしかないが、通常の日本刀よりも刀身の幅は広く、反りは非常に深い。
 刀紋の煌めきが月明かりに映え、魂を消し飛ばすほどに美しい。その銀色の輝きを目の当たりにした者をして《この刀ならば神様ですら斬り伏せられるに違いない》と思わせるほどに。
「その為の《如月》なのであろうな。我らが女神すら予期していなかったのでは、信徒たる我らにまで疑念を抱かせる唯一の鬼札。《波動の内側》しか見ることの叶わぬ君たちに、我々の世界を垣間見ることを可能とさせる唯一の手段。
 それ故だよ、私がこの舞台の終幕に君を招待したのは。このパリという都市の《終焉》を見届ける我ら以外の唯一の証人として。そして我らの女神がその鬼札の存在さえ、その偉大な歴史に予め組み込んでいたことの証しとしてな」
 ―――ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!
 パリ全土から沸き起こる狂想曲に乗せるように影の声は、ノートルダムの双塔の上で響く。
「――――――」
 彼らの間でしか理解され得ぬ男の言葉に、少女は無言。
 しかし黄金の仮面の下に潜む、少女の微動だにせぬ不退転の覚悟を読みとった男は、改めて太刀を構え直す。
 それに応えるように仮面を被った少女も、静かにその右手で鯉口を切る。
 永劫に等しく、しかし刹那に過ぎぬ時間が二つの影の間に流れる。
自由の女神が、愛おしい自由の女神が君を守る者たちとともに戦ってくれる』
 遠くのざわめきが、ベルリンに向かう軍隊への手向けの歌《ラ・マルセイエーズ》がほんの一瞬途切れた瞬間、二つの影の間に激しい閃光が迸り、
 そして………………

     ※   ※   ※   ※   ※

《し、しまった!?》
 私は大聖堂の屋根の上から吹き飛ばされながらも、身許や目的を明らかにしかねない品を手早く、しかし正確に明後日の方向へ向けて放り捨てる。
 最低限のその仕事を終えると、受け身の姿勢をとり、地上への衝突の瞬間に備えた……。

     ※   ※   ※   ※   ※

 しばし舞台は時を遡り……物語が紡がれる地もまた西から東へ、経緯にして一三〇度ほど移動する。
 くそっ、オレはこういう融通の利かねぇ堅苦しい奴ってのがでぇっ嫌れえなんだ。
 初老の男は六畳一間の狭い部屋で向かい合う若者に、内心で毒づいた。
 怜悧な、触れただけで何ものをも切り刻むような空気が狭い部屋を犯していく。端然と座した眼前の若者が発する凍てつくような冷気が男の背筋に突き刺さる。
 この初老の男とて潜ってきた修羅場の数は尋常ではない。幕末の三代人斬りと呼ばれた男たちとも一通り面識がある。だが彼らと向き合ったときでさえ、これほどの触れる者は、神や仏ですら斬り捨てんという強烈な意志を感じたことがない。
 男は改めて眼前の若者を見やる。年齢以上に幼い印象を受ける外見。しかも衆道の趣味がある者ならば放っておかぬであろう美形だ。
 だが同時に、信じがたいことだがこの若者は、明治の御世となった今では事実上最後の《幕府隠密方》の首領なのだ。
「上意により参上いたしました」
 若者は非の打ち所のない所作で、男に向かって深々と頭を下げる。
 しかしそれは見せかけに過ぎない。若者の心の袖の下から除いているのは鎧そのものであり、迷いのない美しい挙措は、即座に戦闘を可能にするための擬態でしかない。
「こたびは我が配下の者たちの不始末のために、安房守様に多大なご迷惑をおかけいたし、まことに恐縮次第にございます」
 幕府は既に崩壊しているにもかかわらず、若者はこの部屋の主をいまだ旧の官職名で呼ぶ。それが若者の意識が未だ在りし日の幕府に向けられていることを雄弁に物語る。
 部屋の入口にかかる額縁がこの貧乏侍の住まいのような部屋の主の正体を教えてくれる。幕末の思想家にして、男の義兄佐久間象山の見事な墨跡によるそれは《海舟書屋》とあった。
「上様から安房守様の言葉は上様の言葉同然と思うよう、申しつかっております。我が配下の不始末、幾万言費やそうとも詫び切れぬものであることは存じあげておりますが、せめて我が手で部下どもの不始末つけさせて戴きたい所存でございます」
「そんなに詫びたいならば腹でも切ったらどうだ?」
 その言葉が初老の男の――幕府の最後の幕を引いた男、勝安房守義邦、号は海舟――の口からついて出そうになる。しかしコイツなら本当にこの場で腹を真一文字に割きかねねぇ。入れ替えたばかりの畳とお気に入りの座卓を無駄にはしたくない。
「……煉獄を生き残りし《終の七》。鬼を払うはずの者どもが、文字通り《追儺の者》となっちまったわけだ」
海舟は嘆くような呟きを吐き出す。
 黒船の来航に端を発する混乱で内外から圧力を受けた幕府上層部の一部、そして幕府隠密方は異形の才ありと認むる幼子を日本中から探し、拐い、最後の忍び谷に送り込んだ。その修羅の煉獄を生き残った七人により幕府開闢以来最強と謳われる刺客団が編成された。それが《終の七》、転じて《追儺衆》だ。
 冬至後の第三の儺の日である臘日。その前日に行われる厄払いの儀式《追儺》の歴史は古く、早くも『続日本紀』の文武天皇の項にその記述が見られる。そこにおいて追儺師は黄金の四つ目の仮面と玄衣朱裳を身に纏い《鬼を払う者》とされていた。
 この厄払いの儀式《追儺式》は、千年の時を経て《節分》となり、庶民の間に浸透することになる。
 だが彼ら《追儺衆》の名付け親たちは知らなかった。彼ら《鬼を払う者》である筈の追儺師は、この世の存在とは相容れぬ異形さ故に、時が経るにつれ《鬼》そのものとされるようになり、遂には鬼を《狩る存在》から、鬼として《狩られる存在》へと墜ちることを。
「如何なる理由があろうと、上意に逆らう者を狩るは首領たるそれがしの任」
「そうかい。だが、そもそもあんな連中を創り上げたのがその上意なんだぜ」
 喉元まで出かかったその言葉を海舟は呑み込む。この若者なら上様への不敬の言葉を吐いた廉で、いきなり斬りかかってきかねない
 本来海舟は融通の利かぬ、一本気な若者が嫌いなわけではない。弟子であった坂本竜馬も物事がよく見え、臨機応変なようでいて、時として全く融通の利かぬ男だった。
 だがこの若者は違う。この若者の心の奥底にあるのは、狂気にも似た信念。今は亡き幕府に対する、御上に対する強烈な帰属心と忠誠心だ。流石に腹に据えかねて、海舟は心の裡をそのまま吐露する。
「はっきり云わせて貰えればな、俺は奴らに同情しているんだ。そもそも何も知らぬ童を強引に攫い、刺客に仕立て上げたのはどこのどいつだっていうんだい? 大体……」
 隠すことなく嫌悪の表情を浮かべ、決定的な言葉を放つ。
「貴様とて昭武様の供をしてパリに行っておらねば、その一人であった筈だろうが!」
 昭武とは最後の将軍徳川慶喜実弟、徳川民部大輔昭武のことだ。
「そう、某が民部大輔様の供をしてフランス国に赴いていなければ、かような醜態を曝さずに済みましたものを」
 初めてこの首領の言葉に感情が、僅かばかり怨ずるような響きが混じる。
 徳川昭武は兄である慶喜の名代として一八六七年にパリで開かれた万国博覧会に出席し、以降当地での留学生活に入った。もっとも幕府崩壊後、明治政府の帰還命令を受け虚しく国内に戻る羽目となるのだが。
 この間かの者は昭武の護衛として出国から帰国まで影のように寄り添っている。追儺衆においても最凶を謳われたこの若者が護衛に選ばれたのは、昭武が慶喜の実質的な後継者と目されていたからだ。
 慶応三年(一八六七年)二月一五日、横浜を昭武とともに首領が出航後も、残された追儺衆に与えられた任務に変更はなかった。
 彼らに与えられた任務は唯一つ。それは開国圧力を強める諸外国首脳の暗殺。無論専制君主国家ならまだしも、近代立憲国家においては元首が死んだとて国の方針が劇的に転換することなど滅多にない。勿論そのことを理解できる人間ならば、そもそも暗殺団の組織など試みる筈がなく、事実慶喜が将軍に就任するとこの計画は当然のように放棄されることとなった。
 だが、その時には既に追儺衆は生み出しし者の思惑を超え、文字通りの《鬼を狩る者》と化していた。
 幕府隠密方お庭番の全兵力を傾けて、出航を待つばかりとなっていた蒸気船への襲撃を敢行。船内に陣取った追儺衆の皆殺しを図ったが……結果は最悪のものとなった。
 それ故に出港した船の残骸が三日後港の沖で発見され、季節外れの暴風雨が《かの鬼ども》の乗る船を沈めたことを知ったときには幕府首脳部は《神風》の存在を信じた。

 ヨーロッパ諸国に現れた謎の殺人鬼。
 白昼突如頚動脈から大量出血を撒き散らし息絶えた死体。
 鋼鉄の壁越しに刺し貫かれた死体。
 発射音が届く以前に額を撃ち抜かれた死体。
 自らが放ったガトリング銃の連射を浴びた死体。
 闇からの誘いに誘われ全身の血液を抜かれて発見された死体。
 恐ろしく怜悧な刃物で全身を膾のように切り刻まれた死体。
 その噂を最初に仕入れたのは誰あろう、当地に留学中の昭武であり、その正体に気付いたのは、本来追儺衆の一員であったこの首領だ。もっとも首領という肩書きはこの頃にはまだない。帰国以後になったそのあまりにも若い襲名は追儺衆に幕府隠密方の年輩の者が尽く殺しつくされたが故のことだ。
 帰国した昭武を通じてその恐るべき事実を知った慶喜は、あの混乱を極める幕末動乱期、最も嫌いながらも、結果として最もその助言を受け入れた海舟に善後策を求めた……。

 もういい加減に厄介事の後始末は沢山だ! 海舟はそう喚き散らしたい衝動に駆られながらも、慶喜の依頼を引き受けぬわけにはいかなかった。
 これは幕府の幕を閉じた者としての責任であり、同時に贖罪でもあった。それは生者に対するものではない。幕末動乱期、おのが信念に殉じて死んでいった多くの男たちに対する、生き残ってしまった者としての最低限の務めだ。
「改めて云っておく。オレ個人としての心持としては、あの者たちを討ちたくない。可能ならば凶行を止めさせ、この国に戻してやりてぇが……それが無駄なことはお前さんが誰より承知している筈だな? ならば取るべき手段は一つしかねぇ。
 かの死を撒き散らす旋風が我が国の者と知られれば、ましてその目的が各国首脳の暗殺だなんて事実を知られれば、西欧諸国に追いつかんがために、この国を変えんがために、かの地に留学し勉学に勤しんでいる者たちへの排斥運動が起きかねねぇ。
 それだけじゃねぇ。わが国への輸入を止められれば、資源なんて何もないこの国はじり貧だ。勿論、武器や軍艦の類も手に入れられまい。ならばこの国は……」
「御心配は無用でございます。我が国の未来に影差す者は尽く刈り尽くしてみせましょう」
 ……こいつには何を云っても無駄ってわけか。だがそれでいいのかもしれねぇな。この若者を過去に束縛しているのは追儺衆の存在そのものだ。だとしたら、そいつらを殺し尽くした時にこそ、初めてこの若者は未来を見ることが出来るのかもしれねぇ。
 生者の妄執も、死者の怨念も纏めてこの勝が墓場まで持っていけばいいだけのことだ。
 それでも……こいつを遣わす前に一つだけ気になることがある。
「そなたもその場にいたのだから当然知っているな? あの《刀》のことを。幕末動乱期、この国に侵入した諜報員どもが盛んに探ったあの《刀》のことを。
 昭武様がチェイルリー宮でナポレオン三世から吹き込まれたお伽噺。オレの知り合いだった太田蜀山人柳亭種彦なら小説のネタにすらしないだろう荒唐無稽の物語。
 かつて我が国から彼の地にもたらされたという刀。《黄金の国》の秘宝の在処を指し示すと同時に、追儺式において鬼を狩るためにだけ鍛え上げられたという刀《如月》。
 その如月を遂に手に入れた者がいるっていう噂がある。しかもよりによって貴様と同じく追儺の者、その直系の末裔たる、追儺衆最強を謳われたあの者がな!」

(第1章に続く)

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