Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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【#現代ビジネス】新型コロナ「世界的危機」が、日本人の想像以上に深刻である理由

「科学コミュニケーション」の欠落
 新型コロナウィルス(COVID-19)の猛威が世界中で吹き荒れる中、この問題の総括を行うことが時期尚早であることは言うまでもない。今後、最悪事態が出現する可能性もある。

 その中で、3月19日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が、日本の現状に対する見解を説明し、今後の政策提言を行った。

 この分析と提言は、日本が直面している現状に対する誠実な評価であったといえる。報告書の説明と質疑応答を行った脇田隆字座長および尾身茂副座長をはじめとする、感染症の専門家たちの言葉は、誠実かつ詳細であり、納得し、安心できるものであった。

 しかし、主張自体は不明確との印象を持った人は多かったようである。

 実は専門家が誠実に説明しながら、その内容が十分に理解されないという現象は、COVID-19が最初ではない。

 2011年の福島第一原子力発電所の事故後も、数多くの「専門家」が、テレビを含む、様々な媒体で解説を行った。しかし、視聴者からは、その解説は専門的過ぎて、実際に事故がどの程度の放射能被害なのか、放出された放射能が人間にどのような影響を与えるか、よく理解できないという声も多かったのである。

 後になって一部の科学技術者より、科学技術の知見を社会に必要な情報等に転換して発信する、「科学コミュニケーション」の欠落があったという反省の弁を聞いた。そして、COVID-19でも、同じ問題が生じているように感じる。

 おそらく、問題が生じる理由の一つは、科学技術者は科学的な意味で必要十分性を重視するのに対し、社会はリスクに対して社会的十分性を求める、というギャップが存在するためである。

 科学者は科学的に証明可能な事実に基づいた対応が必要と考えるが、社会にとっての事実は、リスクの程度によって変化する。これを科学的知見と社会の関係において、科学的「絶対性」と社会的「相対性」の差と表現することも可能であろう。

 それを踏まえて、新型コロナ問題の終結について考えてみよう。

未知のウィルスとの戦い
 COVID-19の問題は、人類の歴史の中で繰り返されていた、未知のウィルスとの戦いの一つである。

 ウィルスとの戦いでは、ウィルスの根絶が困難であることを前提に、人間がウィルスと物理的に距離を置くか、人間の体内に抗体を「作り」、ウィルスを無力化することで、その影響を排除することになる。

 抗体を作る上で、人工的にワクチンを製造して人間に接種して抗体を作るか、感染症に感染して抗体を持つようになった人間が社会集団内で多数を形成することによって得られる「集団免疫」により、ウィルスの影響を封じ込める方法がある。

 つまり、COVID-19との戦いにおいても、この三つが終結点(ゴール)になる。ただし、この三つの終結点の実態上の「定義」と、到達するための方法に、多様な政策上の工夫が出てくる。各国がそれぞれ異なる終結点を目指し、政策手段の調整を行わない場合、時間の要素が重要になる。

 感染症では、その出発点から様々な経路を経て感染が拡大する中で、地域ごとに時間差が生じる。時間差が生み出すものの実体は、感染症に対する社会のパニックの連鎖である。そこに国際調整がない限り、各国政府は相対利得に基づいて終結点と政策手段を考案する。特に民主主義国では、国民の感情を無視することはできない。

 逆に言うと、COVID-19の問題でも終結点や手段において国際協調をとることができれば、感染症問題への対応は及第点を与えることができる。

 世界保健機関(WHO)が調整役を務めると共に、各国の保健衛生関係者間での情報共有と対話があれば、国際協調は難しくない。

 特に未知のウィルスという人類共通の敵に対応する上で、国際社会が一致結束して対応に当たることが全体の利益となるため(いわゆる絶対利得)、合理的に考えれば、協力しない理由がない。

バラバラな世界の動き
 残念ながら、COVID-19問題が顕在化し始めた2019年11月以降、国際協調が有効に機能したようには見えない。

 トランプ大統領が演説でCOVID-19を「中国ウィルス」とわざわざ言い換えたように、感染問題が発生した直後、中国が情報隠ぺいを行ったとの批判は根強い。

 さらに、横浜に寄港したダイヤモンド・プリンセス号への対処では、日本の感染症対策に対して批判は寄せられたが、各国・各方面から建設的な協力があったかどうかは疑問である。

 そして、2020年3月中旬になり、欧州にCOVID-19が拡大する中で、各国は国境封鎖と国民の移動制限に乗り出した。

 これは基本的には隔離による、感染拡大防止のための緊急措置(緩和措置)であるが、欧州諸国内でも実施時期にばらつきがみられるなど、国際協調の下で実施されたものではない。

大きな落とし穴
 ウィルス対策の終結点は明確であるので、それに向けたタイムテーブルと政策手段の策定が必要なのだが、そこには大きな落とし穴がある。

 単純に言うと、過去の経験から、人間をウィルスから物理的に隔離することは不可能であり、もしそれを人為的に行うとすれば、優生保護措置として、差別あるいは感染者の「抹殺」を正当化しなければならない。現代社会において、これは不適当である。

 このため、ワクチンの製造を急ぐ必要があるが、そこには技術的制約に加えて、ワクチン利権の思惑が渦巻く。

 ダン・ブラウンの『インフェルノ』には、WHOの関係者が人口抑制を目的にしたウィルスに対するワクチンで金儲けしようとする様子が描かれており、ウィルス開発の現場が生々しいのも事実である。

 集団免疫については、自然状態で社会全体が免疫で守られるようになるには、数十年単位の時間が必要であることが指摘されている。

 しかし、たとえ利権が渦巻くにせよ、COVID-19のワクチン製造は急ぐ必要があり、国際社会の「基幹部分」で社会生活と経済活動が円滑に実施される程度の集団免疫の形成が待たれるのである。そしてこれは、我々にとって時間が何よりも貴重であることを意味している。

医療関係者にとっての「時間」とは
 おそらく医療関係者にとって、この時間とは、感染拡大の封じ込めを意味するだろう。そして、その時間の存在の前提には、定義は不明確であるが「医療崩壊」を防止しつつ、という条件が付く。

 「医療崩壊」は、感染拡大のペースと医療体制の相関の中で発生するため、それまでの国家の保健衛生に対する投資の程度で決まる。つまり、政治的な条件に左右される。国際的にみて、日本のPCR検査などのCOVID-19の検査数の少なさが話題に上ることがある。

 このことから、日本の一部のメディアでは、日本政府が東京五輪の開催延期を避けるために意図的に検査数を制限している(東京五輪は延期されたので、その疑問は妥当でなくなった)、韓国で検査数が多いのに嫉妬して、それとは違う方法を採用しようとしている、などのコメントが出された。

 検査数を増加すれば、感染拡大の現状が把握できるため、感染症対策で重要な手段である「隔離」を実施しやすい。しかしその反面、COVID-19の特性から、感染者(重症者や無症状感染者)が短期間に急増するため、物理的に隔離及び治療のキャパシティを超えてしまう。

社会生活を破滅させかねない方策
 医療関係者は、専門的立場から、感染拡大防止策に対する明確なアイディアを持っている。爆発的な感染拡大を阻止するためには、その原因となる社会活動を規制する必要がある。

 しかしそれは、都市封鎖(ロックダウン)にせよ、外出禁止にせよ、さらには感染国からの人の出入り禁止にせよ、社会生活を破滅させかねない方策である。

 さらにそれは、一時的な措置以上の意味はない。もしワクチンの開発が遅れるのであれば、外出禁止措置等が解かれた段階で、感染が拡大することになる。

 つまり、感染者を完全に隔離することは、理論的には正しいが、実際には極めて大きなコストを伴うのである。

 また、検査は実態を把握するための一つの手段にすぎず、検査を受けて陰性と判定されれば、そこでCOVID-19問題から完全に開放されたということを意味するものではない。検査終了後に、感染者と接触すれば、ゲームは振出しに戻る可能性がある。

東京五輪延期をめぐって
 では、感染拡大を物理的に封じ込めることが困難であるのであれば、社会や経済生活に対する負の影響を最小限にして、どのように時間を稼ぐことが可能なのか。

 日本をはじめ、国際社会が直面している課題は、実はこの点に集約される。さらに、世界各地域に感染症の影響が時間差をおいて拡大していく中で(パニックが発生し終息するサイクルが、地域ごとに異なるタイミングで発生する)、国際的に調和された方策をとることが可能か、という問題も考慮する必要がある。

 後者の問題は、2020年東京五輪の開催延期をめぐる議論に典型的に表れた。極めて楽観的な見方をすれば、日本国内では2020年8月までには事態は終息している可能性が高い。このため、日本だけで見ると、五輪の開催は問題なく可能と判断しても不思議ではない。

 しかし、欧米諸国では、選手選考を含め、五輪のための準備作業が必要な段階で感染爆発が発生しているため、現時点で開催を検討すること自体が不見識であり、また8月の段階で事態が終息している可能性は低いと考えるのである。

ハードランディングとソフトランディング
 社会や経済体制への負の影響を最小限にして、ワクチンの開発や集団免疫の構築に期待する方策として、ハードランディングとソフトランディングのアプローチが考えられる。

 ハードランディングは、医療体制を含めた感染症対策の政策手段を大規模投入して、短期的なコストの増大に耐える方策である。

 現状の各国の対応を見ていると、中国や欧米諸国はこちらの方策を採用しているように見える。この方策は、短期的にはパニックが生じるが、それを政治的に封じ込めることが可能な場合、事態が早期に終息する可能性も否定できない。

 ソフトランディングのアプローチは、日本の厚生労働省が打ち出している方策で、感染症問題は長期にわたって燻り続けるが、投入すべき資源は限定的で、制約は大きいものの、通常の社会経済生活を継続することができる。

 しかしこの方策では、国民を長期にわたって一種の逼塞状況にさらし、不安と不満の下で過ごすのを強いることになる。ただし、突発的に生じるパニックを抑えることができるのであれば、ソフトランディングの方が安全であることは言うまでもない。

トランプ大統領が中国に怒る理由
 ここで問題となるのが、感染の連鎖の時間差である。すでに述べたように、国際社会における感染症の深刻度には、国家及び地域的に差が生まれる。

 したがって、この二つのアプローチを採用する国が、それぞれ別個に対策を進めるのであれば、COVID-19から立ち直るタイミングも異なってくる。

 COVID-19の発症地である中国において、感染拡大が食い止められつつあるように見える中で、既に通常の社会経済生活への復帰が進められている。

 そうなると、国際社会の経済的中心の一つである中国は、日本や欧米諸国に比べて相対的に有利な立場を獲得することが可能になる。

 米国の国際関係論の学者の中から、COVID-19は国際社会のパワーバランスを中国有利に変更するきっかけになると懸念が表明されているのは、実はこの点に対する問題意識を反映したものである。

 トランプ大統領が、繰り返し中国に対する怒りを表明するのも、その背景に国際秩序の変動に対する懸念があると理解することができる。つまり、国際社会における相対利得の問題は、日本で考えられている以上に深刻なのかもしれない。

 したがって、日本を含めた欧米諸国は、COVID-19の問題において、それぞれの社会における社会的「十分性」を検討し、たとえ感染症対策単体としては不十分かつ不適切である可能性はあるが、国民に強いている制約をどこかの時点で緩和する必要がある。

 ただし、この緩和策は、大きな政治的対立を生み出すだろう。なぜなら、緩和すること自体を「国民をCOVID-19の脅威にさらすもの」として、政治的攻撃の材料にすることは容易なためである。

 願わくば、そのような政治的思惑を排除して、政治指導者には見識をもって行動して欲しいのだが、それが困難であることも、過去の事例から十分予想できるものである。

 しかし、このような世界的な危機の中で、再び希望を持つことが許されるべきではないかと、改めて期待を持たざるを得ない。

佐藤 丙午(拓殖大学教授)