Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第43回−1

1878年3月11日 月曜日
今日の授業が終わった後、お逸は食事まで残って、その後みんなで少しお裁縫をしてから滝村氏のところに行った。
滝村氏は、ひどい田虫にかかっているので在宅だった。
おこまつもリューマチが痛むので家にいた。
武夫は転んで向こうずねを擦り剥いたので、やはり家にいた。
滝村家は野戦病院のようだ。
そんな中、ハンサムなお祖母様は以前と少しも変わっておられないし、丁重である。
滝村夫人も相変わらず美しく、お元気だ。
子供たち――おすみ、おはた、おしげ――も部屋に入って来たけれど、滝村氏は気を遣って心配ばかりしておられた。
子供さんたちに誘われ、庭の梅や松の木を見に行き、通りの向かい側の薬屋まで出かけた。
元の部屋に戻ると、滝村氏がお手製の一弦琴を取り出して見せて下さった。とても立派な楽器である。
彼はあらゆる音楽が好きなのだ!
琴や月琴の他に、笙のようにむせび泣くような悲しい音を出す古い笛を持っておられる。
夕食をご馳走になることになった。
「ただいま大変粗末な食事の用意ができました」
まず滝村氏は仰った。
「とてもお粗末な物で、差し上げるのは恥ずかしい」ということを繰り返しおっしゃる。
ところがどうして。
食事は本当に素敵で、たいしたご馳走だった!
食後の音楽も素晴らしかった。
お逸が月琴を弾きながら歌を歌い、滝村氏もこれに合わせていい声で歌った。
そのうちいつか一弦琴を家に持って来て下さるそうだ。
「数オクターブの音が出せますからね、外国の曲も弾けると思いますよ」
この他にもいろいろ珍しいものを魅せて頂いて、随分遅くまでお邪魔した。
お土産に乾し杏とクラッカーを持って行ったのだけれど、子供たちがおいしそうに食べた。
とても親切なよい方たちだ。


1878年3月12日 火曜日
今日は特別の日――友人の村田一郎氏の結婚式なので詳しく記録しておかなければならない。
アメリカで初めて会った時のことを思い出す。
あのひょろひょろした青年が、いつの日かこのように高貴な風貌の立派な人物に育つとは!
あの時はとても想像も出来なかった。
私が結婚式に出席することになったのには奇妙ないきさつがあり、神様の思し召しのような気さえする。
最初に招待されていたのは、父と母。
けれど、間際になって父が「行かない」と云いだしたのだ。
代わりにウィリィが行くことになった。
しかし、出発の時間である午後三時半になってもウィリイは学校から帰って来ない。
もう時間に余裕がないので、兄は行くのを止めたと解釈して、私が母と一緒に出かけたのである。
製紙工場に四時に着くと、林恒五郎氏がお兄様の家に案内して下さった。
そこにはブリンドリー夫妻、サラベル夫妻、高木氏、ヒル氏、などがみえていた。
その他にも私たちのことをご存じらしい日本人の男性が大勢いらっしゃった。
陽気な笑窪のある小柄な男の人が、色々と私たちの世話を焼いて下さることになった。
最初、私は「丸顔さん」を全然知らない人だと思っていたけれど、そのうちにニューアークの商科大学に来ておられた小さい日本人、村田氏のお友達を思い出した。
……それでも名前は思い出せなかったのだけれど。
「ホイットニーさん、ご紹介させてください」
私たちに紹介されたのは、一人の立派な紳士だった。
この方は川路氏といって、ワシントンへの全権大使の一行に加わっておられたこともある政府高官なのだそうだ。


背の高い村田氏が、少し青ざめて緊張した面持ちをしているのが見える。
けれど、新しい結婚衣装、羽織袴を付けたその姿はとても立派だ。
やがて私たちはもう一軒の家に行くようにと云われて、そちらに行き、客間で待った。
そのうちに襖が開いて、凝った衣装を着た二人の女性を従えた川路氏が進んで来られた。
その後ろに綺麗な着物を着た大勢の少女が。
一人は中年ながら立派な衣装も手伝って、美しい女性だった。
一緒にいたもう一人の丈の高いつんと澄ました女性が、村田久子夫人だったのである。
この二人を従えて川路氏が一人一人のところに来られ「これが家内です」と云って奥様を紹介した。
奥様は丁寧にお辞儀をした上で、今度は村田夫人を紹介した。
冷たい傲慢な感じで立っている村田夫人は、紹介されるとしとやかにお辞儀をした。
それからもと来た方へ戻って行き、襖の向こうに消えた。
日本人の女性にしては背が高く、すらりとして非常に美しい顔立ちである。
特に眼が美しく、時には高慢で見下すような感じを与えるが、微笑されたときは穏やかな眼である。
鼻はすっきりと高く、口元は可愛らしい。
丸い顔には白粉が塗ってあった。
着物は薄鼠色の縮緬で、裾を後ろに長く引きずっていた。
帯は豪華だった。半襟は白いのと赤いのが重なっていた。
着物は五、六枚着ておられ、綿入りの襟や裾が重なり合っている。


花嫁が退場してからお客様は皆席に着いた。
さっきの丸顔の小柄な人が父の坐る筈だったヒル氏の隣の席に私を案内して下さった。
席の作り方は奇妙なものだった。
最後の晩餐のような形にテーブルがコの字形に並べてあるのだ。
上のテーブルに女の人は一列に並んで坐り、男性は日本人も外国人も混じって両側のテーブルに着いた。
そして花嫁、花婿とそのお伴はテーブルの端近いところに坐るのだ。
中央のテーブルにはお菓子や花が、結婚のシンボルの松竹梅が飾ってあった。
合図に従って派手な衣装を着た二人の少女が同じドアから入り、中央のテーブルのところで左右に分かれてから、またもう一度一緒になって丁寧にお辞儀をして、香りの高いお茶を差し出した。
二人はこのようにして全員にお茶を配った。
一番上等なお茶碗が外国人のところへ来るようになっていた。
二人の少女はその後、漆塗りのお盆に吸い物のお椀を載せて運んできたくれた。
花婿の合図でみんな一斉に吸い物を飲み始めた。
サラベル夫人とブリンドリー夫人は、お箸を持ったことがないので大仕事。
大変なご馳走だったけれど、お料理は六マイルほど離れたところにある有名な料理人のいるホテルから運ばせたものらしい。
食事が終わると始まったのは当然のようにお酒だ。
平兵衛がもう一人の使用人と一緒にお酒を注いで回った。
小さい盃が何回も回ってきて、お祝いのスピーチとともに幾度も飲み乾された。
一人の太ったご老人が村田氏の盃を回して、云った。
「夫婦喧嘩をしないようにお願いしますね」
皆大笑いした。
富田氏もおいでになってお祝いを述べられた。
それにしても、村田氏は一々祝盃に答えなければならないのでとても忙しそうだ。
日本の習慣は次のようになっている。
まず自分の盃を取り上げ、お酒を注いで呑み、それから相手の方へその盃を渡す。
相手はお辞儀をしてそのお酒を飲み、盃を洗ってから今度は自分の方でお酒を注いで飲み、元の持ち主に返す。
いちいちそんな手順で返杯するのだ。


宴会の終わり頃に花婿はテーブルを回って一人一人のお客様と酒を酌み交わした。
私のところへ来られた時に村田氏は仰った。
「クララさん、これは日本の習慣で、あなたには好ましくないことかもしれませんが、一緒に飲んで頂けませんか?」
そしてお酒を少し飲んで、私に盃を渡されたので私も飲んだ。
私は彼の腕に手を置いて正直な気持ちを伝えた。
「私は生まれて初めてお酒を口にしたのですよ。でも今日だけはあなたのお祝いのために飲みました」
彼は深々と頭を下げ、ひどく感激した様子で云った。
「クララさん、心から感謝いたします」と。
その後、村田氏はみんなに私のこの話をしていたようだ。
四時から九時まで続いた宴会の間に、東京一の音楽家たちによる日本楽器の演奏があった。
有名な歌手のショウゴロウが歌を歌い、三味線の名人のキサブロウが一生懸命三味線を弾き、それからその方面で一番有名な盲目の女性からなる楽隊の演奏があった。
この間、同じく出席していた高木氏がどうしていたかと云うと。
テーブルの下座に座って飲み続け、そのうちに顔は茹でた海老のようになっていた。
私たちのところにもやって来たが、呂律が回らなくて、何を云っているのか分からない。
「どうしてそんなに青い顔をしていらっしゃるの」
私がからかうように云うと、高木氏は笑って答えた。
「相当赤い顔をしているのでしょうな」
「ええ、本当に桃の花のようですよ」


しばらく中休みがあり、噴水や小さい滝が流れている庭に出た。
風がおさまって、またよいお天気になった。
川路夫人も出て来られて、母や私の手を握られた。
花嫁がお色直しを済ませて、私たちの方へ来た時に、私は彼女の手をしっかりと握った。
この時から私たちは大の仲良しになったのである。
高木氏が本当に真っ赤な顔で出て来たので、私は心配だと云った。
部屋に戻るとまた新しいご馳走が並んでいた。
「また踊りが始まりますから」
その言葉通り、やがて五つの大きい金の紋の刺繍をした黒い着物に、青と金色の袴をはいた一五、六歳の少女が入ってきた。
「彼女たちは京都の踊り子で、踊りの名手として知られています」
川路氏の説明通り、彼女らは手に持った大きな赤い扇を巧みに動かしながら踊る。
踊りは楽器と歌の伴奏がつき、荘重なワルツのようなものだ。
身体を前後に動かし、色々の姿勢を取ったけれど、私の目にはそれは優美なものとそうでないものがあった。
全体が一種の無言劇だった。
でも、歌の意味が分からない私には、その良さが十分理解できなかった。
非常に印象的だったので、本当の良さが分かればいいのにと思った。
踊りが始まると、川路夫人と花嫁が私を呼びに来て、踊り子の近くへ連れて行って下さった。
そのうちに他の方たちも皆これに倣って集まってきて、後には踊りに興味がない人だけが残った。
花嫁は私の隣に坐って、親しげに私の肩に身を寄せ、私の手をしっかり握っていた。
私はその晩ずっと花嫁のお相手をするように選ばれていたようだ――花嫁の付添の女のように。
花嫁は内緒に年齢を教えて下さって――十六歳――私の年齢もお聞きになった。
元の名前は、名島おひさといって、家は虎ノ門にあるそうだ。
小学校を出ただけで、英語は全然分からない。
とても綺麗な可愛いお嫁さんで、私は村田氏の選択に感心した。
花嫁の最初の衣装も綺麗だったが、最後の衣装はまた実に素晴らしかった。
地は美しいクリーム色で、長く優美であり、裾の方に桃色の花や葉や小鳥が染め抜いてあった。
なんともいえず美しい。
衣装はどれも鮮やかな色を使っているが、紫だけは絶対に使わない。
紫は一番さめやすいので、真実のもの、永続性のあるものには相応しくないとされているのだ。
踊りを見ている間に、花嫁は私に優しい声でお聞きになった。
「旦那様の家には来られるのですか?」
「ええ、時々」
「それなら来るのをやめないで下さいませ。いえ、前よりたびたびいらして下さい」
ブリンドリー氏の他はみんな私たち二人の周りに集まってしまったので、ヒル氏は除け者にされたように感じたらしく、ぼやくように云った。
「日本語の喋れる外国人の女の子に夢中になるなんて、日本人は変わっていますね」
真っ赤な顔をして息づかいがいつも以上に荒く、目玉はますます飛び出していた。
「他に誰もいなかったらあの女たちは、あの子を連れて、家中見せて歩いているだろうな」とも云っていた。


ここで私の受けたお世辞をちょっと書き留めておきたい。
川路夫人は、始めのうち粗末な日本語しか私に使われなかった。
けれど、そのうちだんだん上等な日本語になって、お終いには、この上ない洗練された日本語をお使いになった。
彼女は私たちの周りに付きまとっていた例の丸顔の青年に、私の日本語は本当によい日本語で、普通の外国人――特に横浜の外国人――の使うのとは全然違うと話しておられた。
すると青年は嬉しそうな顔をして、勿体ぶった声で聞いた。
「この方がどなたかご存じですか?」
そうして私たちのことを詳しく説明してから。
「勝さんや大鳥さんといった方たちと付き合っておられるんですから、立派な日本語になる筈ですよ」
川路夫人と花嫁は口を揃えて「ええ」と云って私のことを改めて関心したように見ておられたので、私はきまり悪さを隠すために、一生懸命踊りを見ていた。
次は太鼓と小鼓に合わせた音楽と踊りだった。
京都の女は一つの鼓を小脇に抱え、一つを肩にのせてとても上手に打った。


私たちが帰る時は村田氏は「よく来て下さった」と礼を云われたが、この時にはいつもの村田氏に戻っていた。
花嫁は私のハンドバックやショールや、お土産のお菓子を持ってきて下さった。
更に丸顔さんが云った。
「是非村田夫人のところへ遊びに行って上げて下さい」
そして川路氏は松のお菓子を下さりながら云われた。
「あなたが結婚なさる時は、この常緑の松葉のように、しっかりと結ばれますように」
彼は私たちが人力車に乗るのを手伝って下さり「露に濡れるといけない」と云って、幌を揚げて下さった。
家に着いたのは十時で、くたくたではあったが、幸せな気分だった。
村田一郎氏の結婚生活が幸せでありますように。
鶴のように長寿を保たれますように、そして亀のように忠実てありますように。
松のように変わる変わることなく、梅のように美しい花を咲かせられますように。