1884-01-01から1年間の記事一覧
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第16回】 「ここで一旦クララの日記は途切れ、次に再開した時には勝海舟氏の三男、梶梅太郎氏と結婚し、一児の母となっています」 「クララの人生の一番興味深いところが抜けちゃってるんだよねー、残念」 「わた…
1884年11月12日 水曜 井上馨伯爵が天長節の三日に舞踏会を催され、ウィリイと私は公使のご家族と一緒に出席した。 大きな催しで、約千五百の招待状が出された。 場所は春にバザーが開かれた鹿鳴館。 部屋が区切られていたので、前よりさらに小さく見…
1884年9月27日 土曜 この邸の六人目の死を記録しなければならない。 ヨシである。 私たちの悲しみの時に、あんなに頼りになってくた人、善良な杉岡氏は、今召されてしまった。 二、三ヶ月前神戸に行って以来、肺病におかされた。 奥様――クメイさんの…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第15回】 「このシリーズも今回を含めて、残り三回。 というわけで、今週からまとめに入らせて頂きますわ」 「というわけで、まずは解説を務めさせていただいた私たちについてから述べていくよ。 クララの親友の一…
1884年9月8日 月曜 今朝ウィリイと私は西郷中将〈現在伯爵〉のお邸の宴会に行き、大変楽しい時を過ごした。 出席者は公使館の人々と九鬼ご夫妻だけで、とても愉快だった。 伯爵の別荘は美しく、スイスの山小屋風で、優雅な家具調度が置かれていた。 椅…
1884年8月21日 木曜 九鬼夫人とお嬢様の衣装をととのえるのに大変忙しかった。 今日はご一緒に横浜への最後の旅をした。 九鬼夫人は熱海にいらっしゃるが、お嬢様――本当は九鬼氏の殿様の娘――は、帽子を合わせに行かなければならなかった。 お嬢様は今…
1884年8月6日 今、大変陽気な二人の方をもてなしている。 生涯の四十二年間をサンドウィッチ諸島、つまりハワイで過ごされた、デイモン博士夫妻である。 ご夫妻は私たちの友人の多くを知っていらっしゃることがわかった。 ご子息は、長い間清国で宣教…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第14回】 「お気の毒様でしたわね、お兄さんの若奥様。この奥様を勝氏も相当可愛がっておられたとか。勝氏の狼狽える姿なんて歴史書では決して出てきませんもの」 「……うん。それだけじゃなくて、この日を境に、小…
1884年7月18日 金曜 今朝は五時半に起きて、おたてさんの葬儀のための準備をしていた。 兄は一晩中、勝邸に留まった。 昨日小鹿さんがひどい持病を起こして、しばらくはもうだめかと思われたからであった。 私たちはこの親切な友人たちのために本当に…
1884年7月17日 木曜 昨日の午後、エマ・ヴァーペックを訪れて帰ると、突然勝夫人から迎えがあった。 使者の言伝でおたてさんが亡くなったと思い、急いで行き、目を真っ赤にした勝手働きの女中に迎えられて、小鹿さんの前に案内された。 小鹿さんは火…
1884年7月(日付不詳) 先月の6月12日から14日にかけて開催した日本初の慈善バザーは成功をおさめた。 精力的な日本の婦人方は品物を売って、総額一万円の純益をあげた。 私はヘップバン夫人と一緒に鹿鳴館へ行った。 そしてこの珍しい催しの大成…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第13回】 「今回の最初の日記は明治初期の“園遊会”って感じなのかな? 来日九年目にして、クララ、こうして初めて陛下との対面だったねー」 「正確には上野で開催された内国勧業博覧会や地方巡行の折の行列で何度…
1884年5月8日 木曜 お気の毒に小鹿さんは、時に生命をおびやかすようなひどい発作を数回起こされている。 お気の毒な方。 発作と、その間のひどい苦しみを絶えず恐れて、人生に楽しみをほとんど持つこともできない。 兄がほとんど毎夜ついて差しあげて…
1884年5月6日 火曜 今日は、キリスト教信者の尾崎夫人<従五位の方の夫人>のお宅での婦人祈祷会に内田夫人とご一緒した。 「幸町」と言うのが渡された住所で、かなり探して、幸通りを見つけた。 とうとう家探しに成功して、つつましいお住まいの玄関…
1884年4月25日 今日初めて日本の天皇様にお目にかかった。 天皇陛下が外交団と日本の華族の方々をお浜御殿へ観桜と昼食に招待された。 一時半に御殿に向けて出発し、ほどよい時間に到着した。 化粧室に案内され、そこで待ちかまえていた宮廷に仕える…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第12回】 「またまたキリスト教界から大物ですわね」 「冒頭で結婚式をやっていた内村鑑三氏だねー。聖書研究の第一人者にして、日本独自のいわゆる無教会主義を唱えたキリスト教思想家。 クララの日記だけで、明…
1884年4月17日 ちょうど一年。信じられない。その間、私は母なしで生きて来た。 でも私は今ここにいる。 自然は、母がここにいて私と一緒ににそれを見て楽しんだ時と同じたたずまいを見せている。 私たち――アディと私は今朝五時半にお墓に花をまきに…
1884年4月14日 月曜 金曜奉仕クラブはとても楽しい行事である。 二時頃集まって夕方まで仕事をしたり、読書やおしゃべりをする。 時には習慣や家庭管理についてかなりよい議論もする。 先週の金曜日はキリスト教について大変活発な討論をした。 信者…
1884年4月6日 横浜から来た数人の友達と一緒に、許可を得て訪れた印刷局、つまり造幣局で大変楽しい一日を過ごした。 雨天ではあったが、この楽しみは逃すには惜しかったので、私たちは午前九時ごろ大きな建物に着き、丁寧なお役人に案内していただい…
1884年4月4日 金曜 昨年11月に妹のアディが始めた“セイショノトモ”という聖書読書連合の大会が昨夜開かれた。 場所は築地に近い、京橋二丁目にある明治会堂で、千名以上収容する建物だが満員どころか、いろいろな人でごったがえしていた。 しかしそ…
1884年4月1日 アディと私は、先日、日本人の結婚式に行った。 友人の内村鑑三氏が3月28日の夜の結婚式に招いてくださったのだ。 ウィリィはひどい風邪をひいていたので、アディと私とが、津田氏とお嬢様に連れられて出席した。 葉書の招待状が来た…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第11回】 「今週は古き日本人の死への在り方と死者に対する敬意、そして弔いの方法が如実に現れていましたわね」 「根本のところは殆ど現在の日本人も変わらないと思うけどね。 ただ“死に対する覚悟”が今の時代と…
1884年2月25日 月曜日 前田嬢と話をしていて、面白いことを知った。 父上の献吉氏は財産を子供たちに分けて、管理させた。 二人の姉妹は自分の名義で、立派な家と地所を所有する。 お兄様も一軒持つが、姉妹ほどには立派でも高価でもない。 父上曰く…
1884年2月7日 木曜 今日は雨降り。 いかにも二月らしい、雪どけの陰影な日。 アディと私は居間に囚われの身となり、勉強や書きものや、スクラップ・ブック作りや手芸などをした。 婦人方はこんな日には祈祷会に出ては来ないだろう。 ちょっとの間、日…
1884年2月2日 土曜 時は飛ぶように過ぎ、日は来たり、去る。 そして神の大きなお恵みによって私どもは生きながらえている。 今日はとても悲しい。 窓から仲よくしていたご老人のお葬式の行列を見ていたのだが、たった今、窓から目をそらしたところであ…
【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第10回】 「ようやくクララの日常も本格的に戻って来ましたわね。 一児の母親になった貴女との仲も、子供の頃のはしゃぎぶりとは違うけれど、相変わらずのようですし。 ところで、貴女がクララにプレゼントした縮…
1884年1月11日 金曜 この前書いてから、なんと忙しいことが多かったことか。 十五日ごろからクリスマスの準備を本気で始めたが、ときわ木を飾りつけたり、プレゼントを選んだり作ったり、友達にお祝い会の招待状を出したりで、猫の手も借りたいほどの…