Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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帰ってきたクララの明治日記 第11回−1

1884年2月2日 土曜
時は飛ぶように過ぎ、日は来たり、去る。
そして神の大きなお恵みによって私どもは生きながらえている。
今日はとても悲しい。
窓から仲よくしていたご老人のお葬式の行列を見ていたのだが、たった今、窓から目をそらしたところである。
内田夫人のおば様が金曜日に亡くなられた。
とても急で、病気になって二目か三日だった。
おば様は八十五歳で、よくこう言っておられた。
「私は年をとってしまって、耳も聞こえないし、歩きまわることもできません、身内も友達も皆死んでしまいました。私はただ待つばかりです」
かわいそうに! 
とても信心深かったけれどキリスト教の信者になる気はない。
起きると太陽を拝み、夕べには大きい声で祈っているのをよく見かけた。
このようなあわれな魂を神様はきっとお守りくださるに違いない。
おば様はとても親切にしてくださった。
母が亡くなった時、ひどく泣いて言われた。
「なぜ代わりに私のところにお迎えがこなかったのでしょう。
こんなおばあさんで役に立たないのに。お母様は若くて、あなたには大切な方なのに。
これからは私かお母さんになってあげましょう」
最近、おば様はとても耳が遠くなったので、話が通じにくくなっていた。
ある時、うちの立体鏡を見たいと言った。
とても弱っていて、こちらに来られないので、おば様の方へそれを持って行ってあげた。
最後にみえたのは1月10目だった。
ベランダのところへ来てしばらく話をしたが、うちにおあがりになれなかった。
とても弱っておられるようなので、ほんの数歩のところだが、家までついて行ってさしあげた。
おば様は、オクに――勝家の本宅のことだ――お風呂に入りに行くのが、とても苦労だと言っておられた。
遠すぎるので、やっと1ヵ月に一回行くだけだそうだ。
それで「私のところは時々わかすから、うちのお風呂を使いにいらっしゃい」と言うと、とてもうれしそうにお礼を言われた。
お葬式は仏式で、行列は私たちの門の前を通過した。
先頭は、長い紙提灯とお位牌を待った数人のお坊さんで、内田夫人は、真っ白な縮緬の着物を着て、お棺をのせたお駕籠のそばを歩いた。
ヤシキの人たちは徒歩でそれに従った。
兄も行列に加わった。
今いる使用人や、昔の使用人や、出入りの商人たちも行列に従った。
ご婦人方も見え、しばらく柩について行ったが帰って来た。
行列に加わらなかった使用人たちは、それが通り過ぎる時には貴族にするように土下座した。
このように、死の荘厳さと神秘とは、死者を高め尊くする。
お墓までの道を、できるだけ遠くまで老婦人について行きたくても家をあけられない人たちを私はかわいそうに思った。
ああ、この世には悲しみがいっぱいだ。
真理と正義の時代はいつ始まるのであろうか。
クリスマスの日、午後にうちに来て下さった婦人方は、母に「クリスマスおめでとう」を云いに、先に墓地に行かれたのだそうだ。
勝婦人は二本の大きな柊をクリスマスプレゼントだと言って植えてくださった。
本当にやさしい心をもった方々だ。
私はどんなにこの方たちに惹きつけられているかわからない。
神よ、どのように彼らを愛すべきかを知る知恵を与え給え。


私を深く悲しませた今一つのことは、西夫人のお母様が亡くなったことである。
この方はクリスチャンで施療院に住んでいた。
月曜日に西夫人はお母様の病気のことを知らせてくださった。
それで火曜日にお見舞いに行った。
西夫人は涙を流しておられた。
往診に来てもらった医者は、胸の痛みを止める薬を老婦人に投与した。
それ以来病人は眠ったきりである。
モルヒネかもしれないし、分量が多すぎたのでぱないかと心配しておられる。
夫人を慰めようと思い、兄に行ってあげるように頼んだ。
兄はその晩に行き、とても悪いようだが、前に西夫人が病気の時に私が作って差し上げたゼラチンをお母様にも作って行ってあげるようにと言ったので、翌朝、私はゼラチンと鶏のスープなどを持って鍛冶町に行った。
老婦人は私に来て欲しいと言っておられたところで、前の日に、会わずに私か帰ってしまったことを残念かっていた。
衝立の陰で、床の上に寝ておられたが、私が枕元の床に坐った時、彼女はうつらうつらしていた。
間もなく目をあけてこう云われた。
「まあ、おいでくださってうれしゅうございます。椅子におかけください。床は固いでしょう」
私は床の方がいいし、床にすわるのは慣れていると答えた。
それから私のスープを少し飲み ゼラチンも欲しいと言われた。
私は頭と手をさすってあげた。
老婦人は自分の手を見て静かに笑いながら云った。
「とてもきたない手で、おさわりいただけないほどです」
それから、私は西夫人にお願いして、ヨハネ伝第十四章を読んでいただいた。
夫人は読んだが、「なぐさむるもの」とか、「第宅多し」とか「神の平安」とかいうところはゆっくりと読んだ。そして祈った。
あとで老婦人は、こう云われた。
「私は天に行きたい。生き長らえるより逝ってしまいたいのです。
ただここのかわいそうな子供たちと娘を考えると……。
私がいなくなったらこの人たちはどうするでしょう」
「ご心配なく」
私は答えた。
「神様はあの子供たちの父親です、守ってくださいます。
私たちがここにいる限り、子供たちは必ず、地上の友を与えられます」
老婦人は天のこと、そこへ行きたいことなどをつぶやいておられたが、眠ってしまわれた。
私は間もなく帰って来てしまったので、老婦人がその晩亡くなったことは次の朝まで知らなかった。
静かに息をひきとられたとのことで、私たちによろしくと言われたそうだ。
日本人らしい礼儀正しさを最後まで持っておられた方だ。
葬儀は昨日の午前中、キリスト教式で行われた。
ヨハネ伝第十四章の朗読があり、祈祷とヴォデル氏の短い話が続いた。
西夫人は頭を私の肩につけて、すすり泣いていた。
私はずっと手を握ってあげていた。
それから手を取り合って、亡骸に最後のお別れをした。
遺体は深い箱の中に坐っていた。
白髪の頭は、胸に深く垂れ、眠っているようだった。
たくさんの色どり美しい花が膝の上と、柩の四辺をおおっていた。
埋葬の場所は上野で、そこまで駕寵で運ばれた。
勝夫人と小鹿さんが病気なので、食欲増進用の食物を作るのに忙しい。