Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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帰ってきたクララの明治日記 第14回解説

【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第14回】
「お気の毒様でしたわね、お兄さんの若奥様。この奥様を勝氏も相当可愛がっておられたとか。勝氏の狼狽える姿なんて歴史書では決して出てきませんもの」
「……うん。それだけじゃなくて、この日を境に、小鹿兄さま、いえ、勝家にとって不幸続きな日々が始まることになります」
「お兄様はこの後、一応体調を回復されて、再婚なさるのでしたっけ?」
「一応9月には職場復帰して、この翌年の12月に陸軍中佐の娘さんを後妻にもらってます。二人の間には二人、女の子が生まれたんだけど、結局男の子が産まれることはなく、小鹿兄様は今回の日記の8年後の明治25年、つまり1892年に40歳で亡くなってるわ。
それでもクララの日記に描かれた病状からすると、もった方なのかも知れないけど……」
「そこで徳川慶喜氏のお子様である徳川精氏をお兄様の長女と結婚させ、婿養子にする、という話が出てきたのですわね?」
「世間では“美談”として描かれているけどね、実際こういう事情があったわけで」
「でも勝氏の男の子供でも梅太郎君も七郎君もいたわけですし、二女の疋田孝子さんには保爾君などが、お逸、貴女にも男のお子さんたちがいたことだし、勝家を継がせる気になればいくらでも嗣がせられたでしょうに」
「それは確かそうなんだけど、父様、小鹿兄様には物凄く期待をかけて私費でアメリカ留学までさせている一方、梅太郎にも七郎にも全然教育を施していなかったからね。
今更どうにもならなかったってのと、小鹿兄様を亡くしてちょっと自暴自棄なところがあったのは確かだと思うよ。
更に不幸なことと云えば、精さんを婿に貰った伊代子さんが大正11年に三十代で早世したことと、養子にとった精さんが伊代子さんの生前から多くの妾をもって遊びまくった挙げ句……」
「……正式には現在でも確認されていないのでしたたかしら、“あの話”は?」
「どうなんだろ? 私人だったから正式発表した訳じゃないけど、新聞に書かれても抗議の一つもしなかったことを見ると“真実”なんだろうね、愛人と“睡眠薬心中”したのは」
「ろくでもない御曹司様でしたのね」
「実父の慶喜公に似て多趣味だったり、国産オートバイを作成させたり、独自の自動ドアを開発したり、華族としては相当破天荒な性格だったらしいけどね、勝家そのものは嫌いだったみたいよ。
伊代子さんも相当苦労したみたいで、妾遊びをする旦那様に“お祖父様は家の中に女が同居していたけれど、今のトノサマは外に置くのだからまだマシね”なんて言葉を残してるし。
実際のところ精氏のお墓は何故か勝家ではなく、徳川家のところにあったりします。墓まで養子先から実家に戻るなんて、無茶苦茶だよね」
「民夫人の“勝のそばに埋めてくださるな。わたしは小鹿のそばがいい”という発言といい、貴女の家は墓問題が多すぎですわ。
さて、気を取り直して最後に話を冒頭に戻しますけれど、クララ、実は偉大なことをしていましたのね」
「うん、日本初の慈善バサーね。
山川捨松さんや津田梅子さん、後に福祉活動家として有名となる渡辺筆子さんたち、それから私も一緒になってこのバザーを企画して、これがきっかけで、上流階級の夫人たちに“慈善バザー”というものが広まっていくことになるわけ。
そういう文化が全くなかったところにこの後、見事に根付かせたんだから、クララはたいしたもんだと思うよ、実際」
「こうして明治の日本にまた一つ影響を与えたクララの姿が描かれた日記も残りページは本当に後僅か。どうか最後までお付き合い下さいませ」
(終)