Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第110回解説

【クララの明治日記 超訳版解説第110回(最終回)】
「……かくしてクララ・ホイットニーの“一度目の日本滞在”は終わりを迎えました。
ホイットニー一家が日本に最初に到着したのは1875年8月3日火曜日。
まだこの時、14歳だったクララも、この日、1880年1月26日には19歳。
一番多感であろう世代のアメリカ人少女の目を通してみた明治初期日本。
このコーナーを読んで頂けた方々は、どんな感想を抱かれましたでしょうか?」
「んー、私としては、やっぱり“日本人は昔から日本人”ってことかな?
生活は劇的に変わり、人と人との繋がりも130年前と較べて全然薄くなっちゃってるけど、クララたちに対する反応も、クララが観察した日本人同士のやりとりも、今の日本人と殆ど変わらないんだもの。
ちょっと例が違うけど、少し前の日記であったでしょ? うちのたみ義母様が、最新の流行ファッションしている富田夫人に“昔からのスタイルが一番なのよ”と窘めてるシーン。
世代間の反応まで、まるっきり今と変わらないんだもの。笑っちゃった」
「それと似たことは古代エジプトの粘土板にも書いてあるそうですからね、時代・民族を問わない傾向なのでしょう。
ま、世代間対立の件はともかく、民族性というのはたかが130年程度では確かに変わらないようですわね。
アメリカ系中国人のわたくしが云うのもなんですけれど、クララの日記に出てきた記述の、数少ない中国人たちの商売熱心さと強引さは確かに全く変わってませんわ」
「もっとも、クララの日記の中にあって、今の日本人には決定的に欠けちゃってるものもあるけどねー」
「なんですの、それは?」
「庶民の底抜けの明るさ、かな?
クララの日記だけじゃなく、幕末維新前後に日本に滞在した外国人達の記述に共通して記されているのが、日本の庶民が貧しいながらも本当に楽しそうに生活していることなんだよね。
特に子供達に対する可愛がりぶり、というか甘やかしっぷりについては特筆されているから。
もっとも武士家庭の子供の礼儀正しさも同時に記されていることが多いけど。
うちの甥っ子の玄亀なんて、可愛らしいけれど、要所要所では物凄く折り目正しいでしょ?」
「前者については……確かにそうかもしれませんわね。
これは“現在”の景気動向による傾向なのか、第二次大戦前のガチガチに締め上げた家父長教育のせいなのか、判断が難しいところですけれど。
後者に対しては今もそうじゃありませんの? 
子供に対するお金の使い方――まあ、お金の使い方だけで可愛がりぶりを判断するつもりもありませんけれど――は、今も半端じゃないと思いますわよ。
もっともこれは日本だけではなく、私の生まれた中国も、更に広く云えばアジア全域がそうのようですわね。
西洋人の教育に関する思考の根本には“子供は不完全な存在であり、親が正しく導いて完全な存在にしなくてはならない”というのがあるのですわ。
どうにも我々東洋系の人間には、そのあたり理解しがたいところがあるのですけれど」
「その辺のギャップがあるからなのかな、来日外国人達の子供に対する記述が多いのは。
クララも当初はずっとつきまとってくる子供たちを相当鬱陶しく感じていたようだけど、日本滞在が長くなってくると、結構そんな子供たちとの会話を楽しんでいるみたいだったし」
「そうでしたわね、その日本の“子供”の中の一番代表格が貴女でしたわね」
「私は子供なんかじゃ……って、わたしもクララと最初に会ったのは15歳の頃か」
「もっとも、クララとの初めての二人きりでの“デート”で、彼女に抱きついて“あなた、好きよ”と告げた貴女は、少し日本人離れしているとは思いますけれど」
「親友にも旅立たれ、今じゃすっかり“行き遅れ”の19歳だけどね。。。」
「さて、ようやく少し話が本筋に戻ったところで」
「えっ!? 私が“行き遅れ”なのが本筋なわけ!?」
「まあ、順を追ってお聞きなさい。
まずは日本を旅立った後のクララたちの航路ですわ。
出航後もクララは日記をつけているのですけれど、残念ながら訳出されていないので、クララの明治日記上巻の前書きと、未訳部分を直接原本から一部訳出している“津田梅子とアナ・C・ハーツホン”から抜粋しますわ。
2月4日に香港でイロウディ号に乗り替えた一行は、2月10日にシンガポール着。
スリランカを経て紅海に入り、2月28日、スエズを通って、カイロに着き、約一週間グランド・ニュー・ホテルに宿泊。
アレキサンドリアでも陸上に一泊した後、3月14日にナポリ到着。
そこから陸路ローマに向かい、3月21日に到着し、当地の日本公使館で、中村代理公使のディナーに招待。
3月30日早朝ローマを発ち、フィレンツェジュネーブを経て4月6日にはパリ到着。
クララにとっては初めてのパリで、もっと長く滞在したかったらしいものの、翌7日正午には出立。
ディエップからは海路ニューヘブンヘ。
ロンドンでの最初の日記は4月9日に書かれていますわ。
イギリスまで来るとアメリカまではあと10日余。
そんなわけで、クララたちはイギリスのクイーンズ・スクエアでかなりゆっくり滞在することになりましたの。
少なくともクララが日記で書き記している8月5日まではイギリスにいたことは確実で、その後日記が一年半ほど空白になるので正確にアメリカに帰ったのはいつなのか定かではありませんけれど、兄ウイリィがペンシルベニア大学医学部に秋入学していることから、それまでには確実にアメリカに戻ったようですわ。
少なくとも4ヶ月程度はあったイギリス生活。
敬虔なクリスチャン一家ですから、ロンドンにあるいくつかの教会の礼拝や行事に熱心に参加し、その一方で、ロンドン市内や公害の名所旧跡をこまめに訪ね、大英博物館を時間を掛けて見物。
友人にお茶に誘われ、ヨークシャイアにも招かれて田園生活を楽しむ等、少なくとも日記から見る限りは、なかなか優雅な生活ですわね。
丁度森有礼夫妻が駐英大使としてロンドンにいた頃で、クララたちはしばしば大使館にも招かれ、殊に森夫人は、クラブとの日本語の会話を楽しみに、彼らを展覧会や音楽会に招待したようですわ。
4月24日には、森有礼夫妻、富田鉄之助氏、そして徳川宗家を嗣いだ徳川家達の、東京時代から知り合い四人組から、ロンドンの郊外、クリスタル・パレスのコンサートに招待されています。
で、ここでクララは“衝撃的にニュース”を聞くのですわ、富田氏から」
「……ああ、なるほど(ポン)」
「そう、貴女と目賀田種太郎氏が結婚することになった、という話ですわ。
このタイミングからして、多分勝氏は、貴女のために、そしてクララのために待っていてあげた、のだと思いますわよ。
2年以上前から、クララの日記の中でさえ貴女の縁談話は出てていたのだから」
「うーん、確証は全然ないけど、確かにそうなのかも知れないよね。
父様のクララ一家への、特にアンナ先生とクララに対する厚遇ぶりは突出してるから。
別れの日に、クララとアディちゃんに渡した100ドルって、凄い大金だし」
「ともあれ、最愛の親友が結婚したこの瞬間、実質的に“クララの日本での少女時代”は終わったのだと思いますわよ。
約2年10ヶ月後、クララ一家は再び日本に戻ってきますけれど、日記の雰囲気も随分と落ち着いたものになりますわ。
というわけで、やはりこの“クララの明治日記 超訳版”も今回をもって最終回とさせて頂きますわね。
将来的には再来日後も取り上げたいと思いますので、一応“第一部 完”ということにさせて頂きますけれど」
「こんなブログの中に敢えて作った、こんなコーナーに、最後までお付き合い下さった方、本当にどうも有り難うございました。
最初はドキドキだった、私たちのこんな“掛け合い漫才解説”にも最後まで苦情、来なかったしねー(笑)。
ブログ主も最初は“素面でこんなん書けるか!”ってお酒を飲んでから私たちの会話シーンを書いてたらしいけど、最近は平気、っていうか、全く構成を考えずに書いているんだって」
「……構成どころか、今は書くテーマすら決めてないようですわよ、このブログ主。
最近はその日に紹介する分の日記を読み直して、即興で書いているそうですわ、毎回。
数は少ないですけれど、Google検索で、明らかに専門分野の人間が検索した結果、このブログに辿り着いている形跡がありますのに、こんないい加減で良いのかしら?」
「しかも辿り着いたら、萌え絵更新情報満載ブログなんだもの。
“グーグル先生の誤検索かよ!?”って疑うレベルだよね、ホント」
「……大変申し訳ありませんけれど、確かにクララの明治日記本編が絶版になっているのは事実ですので、そういう方々には過去ログ部分で検索して欲しいものですわ。
確かにその方が臨場感も出るでしょうしね」
「ともあれ、改めて、本当に最後までお付きあい下さった方々、どうもありがとうございましたm(_)m。
第一回から毎週一度も途切れることもなく――1回だけ週一だった危機がありましたけど――web拍手を押して頂いた方、本当に励みになりました。
最近は特に“コア層”と思われる5名か6名の方が毎週押して頂けるのが嬉しかったです。
“拍手が途切れたら即終了”のつもりでしたから、まさか完走できるとは思いませんでした、とはブログ主の弁」
「夏コミ、クララの明治日記超訳版で申し込み予定ですので、もし当選しましたら、スペースまでお出で頂けると幸いですm(_)m。
本は無償提供しますので、ゆっくりとお話ししたいものです、ともブログ主の弁ですわ」
「ところで来週からどうなるの、このコーナーというか、この“ラノベ風に明治文明開化事情を読もう”シリーズ?」
「とりあえず一ヶ月間ほど休止期間を頂いて、次シリーズに備える予定だそうですわ。
次シリーズのテーマ、とりあげる本については現在複数検討中で、数少ない読者がこれ以上減らないように、と事前にアンケートを採る予定だそうですわよ。
わたくしたちにその回の司会も務めるように依頼が来ていますもの」
「……やれやれ。クララはしばらくお役御免だけど、私たちはまだもう少しだけお仕事だね」
「こうなったら、毒をくらわば皿まで、ですわよ。
それでもとりあえず、最後の締めの言葉にうつりますわよ」
「何度も繰り返しますが、本当に最後までこのコーナーに付き合って下さった方々、どうも有り難うございましたm(_)m。
次シリーズだけでなく、クララとの再会の日も期待して頂けると嬉しいです」
「それでは、これにて“クララの明治日記 超訳版”第一部は幕とさせて頂きますわ。
みなさま、ごきげんよう
(終)


と云った所で、本当に最後の最後までお付き合い下さった方、心から有り難うございましたm(_)m。
最後まで読んで頂けた方、拍手ボタンだけでも押して頂ければ幸いですm(_)m。
その他にも、ご意見・ご感想、質問等も随時募集中ですのでお気軽に拍手で。