Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

帰ってきたクララの明治日記 第9回解説

【帰ってきたクララの明治日記 超訳版解説第9回】
「随分とテンションが乱高下していますわね、クララ。
貴女と一緒の時はやはり気分が楽なのか、テンションが高くて日記の筆も弾んでいますけれど、一人きりになるとまだ駄目のようね」
「仕方ないよね、たった一年で本当にクララの世界は一変してしまったんだもの。
あと、クララの白日夢的な描写は当時の英米文学的な影響もあるとは思う。
クララ、小説家志望だったしねー」
「さて、では今回登場した新しい重要人物の紹介に移りますわよ。
クララがお呼ばれした吉原家というのはこの当時の租税局長、吉原重俊宅ですけれど、彼は初代日銀総裁として歴史書に名を残しています」
「自宅で開いたこの娘さんの誕生祝いでは、とても雅な感じだけど、随分と波瀾万丈な人物なんだよね、これが。
なにしろ、あの寺田屋事件の最年少参加者にして、生き残りの一人。
更に云えば、薩英戦争の折には、あの有名な“西瓜売りに化けての英国艦艇切り込み”未遂を起こした一人なんだから」
「その時点で二回死んでいても不思議はないですわね。
この時点ではとても後の官僚としての活躍は想像できないのですけれど、彼が攘夷派から開国派に変わるきっかけはなんでしたの?」
「横浜で英語を学んだ後、アメリカ留学したのが直接の原因だろうね。
相当有能だったみたいだよ、なにしろ日本人初の名門イエール大学留学生だし。
1873年に日本に帰国してからは熟達した英語力と斬新な政治・経済の知識は大いに活用され、1877年には租税局長に、そして1882年には創立された日本銀行の初代総裁に任ぜられてます。
生きていれば、後に大蔵大臣になったのは間違いなかった筈だけど、残念なことにこの4年後の1887年、42歳の若さで病没してしまっているわ」
「かの人物が指名したのでしたわよね、日銀二代総裁となる富田鉄之助氏は?」
「そう、そう云われてるみたい。アメリカ留学中に知り合ったみたいでね。
だからクララがこの日お呼ばれした理由は、富田氏本人か、富田夫人あたりからの紹介だと思う。
こうやって辿っていくと、クララは本当に明治政府の重職たちと知り合いだったことが分かるでしょ? 
ただ、長州系の知り合いは殆どいなくて、薩摩系ばかりなのは、日本に来るきっかけを作ったのが薩摩藩森有礼氏だったことと、うちの父様の交流関係が影響しているんだろうね」
「ですわね。ところで日銀総裁は初代がこの吉原氏、二代目が富田氏、そして三代目は川田小一郎という土佐藩出身の人物ですけれど、私たちのこのシリーズが始まる前に連載していた“異文化交流クイズ”シリーズで紹介したのではなくって、この川田氏は?」
「本人じゃなくって、息子の川田龍吉氏の方だけどね、“男爵いも”を日本に持ち込んだ。
彼のスコットランドでの悲恋物語、ブログ主はまた紹介してみたいって」
「そろそろこのシリーズも大詰めですものね。文庫本で後60ページというところですし」
「もう終盤に差し掛かっていますが、このシリーズ、どうか最後までお付き合い下さいませ」
(終)

と云った所で、今週も最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
最後まで読んで頂けた方、拍手ボタンだけでも押して頂ければ幸いですm(_)m。
その他にも、ご意見・ご感想、質問等も随時募集中ですのでお気軽に拍手で。
なお、来週は一週お休みを頂きます。申し訳ありません。次回は8月21日更新予定です。