Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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第22話「願いの果て」の感想・考察を、本編シナリオと読み比べながら御紹介。
なお当ブログのアニメレビューは「第19話終了まで普通にFateルートのシナリオを通ってきた」と云う前提の下で進めさせて頂いていますm(_)m。
「(第19話以前は)振り返らないと決めた。それが当ブログの誓い!」
冒頭。士郎が教会に出かけたことも知らずに縁側で、昨晩の余韻に浸りながら、恋する少女そのもののセイバー。そこに遠坂さんがやってきて、イリヤの熱が上がっていることを告げます。
そしてAパート。
>>「あの子、そろそろ限界よ。聖杯戦争って儀式が終わらないかぎり元には戻らない」
>>「限界とは?」
>>「まだ辛うじて容量が空いているけれど、満ちてしまえば一番不要な“人間としての機能”を棄てるしかない。
>>イリヤ聖杯戦争が進めば進むほど壊れていくように作られているのよ」
セイバーには分からないことを告げる凛。「イリヤ=聖杯」ということが、アニメのみの視聴者にもこのシーンでハッキリします。ただ実際シナリオ上もそうなのですが、何故凛がこのタイミングでセイバーにこの事を告げたのだけは未だに不明なのですが。
>「―――あ、いいのよ、今のは判らないように言ったんだから」


そして明かされるランサーのマスター。シナリオで云えば下記の部分。
>「うん、まあ……判ったっていうか、前から判ってたっていうか。
> 実はね、ランサーのマスターは魔術協会から派遣された外来のマスターなのよ。
>それ自体はとっくに判ってて、ついさっきそいつのねぐらを見つけてきたんだけど……」
改めて考えると「凛は何故そんな重要なことを士郎やセイバー告げていないのか?」と思わないでもないような。。。
ともあれ判明したランサーのマスターの隠れ家に忍び込むシーンで、エーデルフェルト家の双子館だけでなく、切り落とされたバゼットの左腕まで描写されたのはファンサービスですね。ただあの血痕の描写だと、バゼットは腕を切り落とされた後、自力で余所に逃げ延びたようにも見えますが、はて? ホロウだとどういう描写だったのか、後程再確認をしてみます。
>>「そう。残るマスターは私と士郎だけなのに、ランサーは消えていない。
>>とすると本来マスターじゃない、どっかの魔術師がマスターになってるって事だけど」
>>「令呪の移植はマスターかサーヴァントにしか出来ない。いかに優れた魔術師が令呪を奪おうとマスターにはなれません」
>>「じゃあもう一つ教えて。聖杯が消えてなくなっても令呪が残っていて、かつ、サーヴァントがいればずっとマスターでいられるの?」
この辺りはアニメのみの視聴者にも分かりやすく、上手くコンパクトにシナリオの台詞が纏められていました。凛との会話で気付いた「今回の聖杯戦争の背後にあるもの」と言峰教会を覆う淀んだ空気に悪寒を感じ、セイバーが士郎を求めて飛び出していくシーンも。
>駆けつけてくる凛に振り返りもせず、塀から跳躍する。
>一瞬にして駆け抜けていった少女の姿は、それこそ弾丸のようだった。
もっともこのシーンは第8話の柳洞寺特攻のシーンでの使い回し。夜のシーンを昼間に変えただけの(冬木大橋の上のシーンだけ追加ですが。あとシナリオだと教会を視認してから武装)。もっとも今回は他に力を入れるべきシーンがありましたので、これはこれで良いのかと。
但し、教会に入ってから士郎を発見するまでのシーンは、二人の絆の強さを見せるためにも、もっと切羽詰まった感じでも良かったかと。シナリオですと実際こんな感じですし。
>―――胸が熱い。さほどからこみ上げてくる吐き気は、決して彼女自身の物ではない。
>それは彼女のマスターから伝わってくる悪寒であり、もはや絶望的なまでの死の匂いだった。
>何が起きているかなど判らない。確かな事は、衛宮士郎が死にかけているという事だけだ。
 (中略)
>固く閉ざされた扉を吹き飛ばし、礼拝堂に突入した。
>椅子など見えない。道を無視して礼拝堂を突っ切り、中庭を越え、地下へ通じる階段を駆け抜ける。


倒れている士郎の元に駆け寄ろうとするセイバーの前に、ゲイボルクを両肩に背負って、仁王立ちで立ち塞がるランサー。台詞付きシーンでの登場は実に第3話以来。シナリオ通りで仕方ないとは云え、視聴者に忘れられていないかw、微妙に心配したくなる話数の開き振りです。
そのまま問答無用で襲いかかるセイバーの攻撃を弾き返すランサー。このシーンも上記した部分と同様に、もっとセイバーに焦燥感が見えた方が演出的には良かったのではないか、と思えます。
>>「ハッハッハッハッ。なに、そいつの胸を串刺しにしたのは二度目でね。今度は生き返らねえように念を入れてやったってワケだ」
>>「貴様―――シロウにゲイボルクを……!」
>>「心臓は外したさ。だが呪いはそのままだぞ。この槍でつけられた傷は決して癒される事はない」
ここまでは良いのですが(アニメのみの視聴者には誤解を受けそうな台詞ですけど。第3話でセイバーは傷つけられましたがその後回復しているわけで)、本来この後に、シナリオのこの件があるからこそ、この戦いがより劇的になる気がするわけですが。
>「呪いを受けたものは決して回復できず、死に至るまで傷を背負う事になる。―――この世に、この槍がある限りはな」
>それで、場の空気は一変した。主以外は何物も許さぬという彼女の瞳に、ようやく理知の光が戻る。
>「―――フン、ようやく理解できたか。そこの坊主を助けたいんだろ? ならまず、オレとの決着をつけなくっちゃあな」


一方半死人状態の士郎。瞳孔が開いたままのこのカットと、それに引き続き言峰に引きずられ投げ捨てられるシーン。確かに今までのアニメのシーンの中では一番ヤバそうな表情に見えますし、放り出される瞬間は、まるで生首のようで。。。
>>「だが―――器は別だ。器はカタチある物として用意され、聖杯召喚の時まで力を流し込まれていく。
>>残るサーヴァントが二人だけという状況なら、すでに完成に近付いている。聖杯は生け贄の血で満つる時を持っている。
>>相応しい人間がいるのなら、喜んで聖杯を譲る。その為に――――衛宮士郎。まずはおまえの言葉を聞きたいのだ」
この言峰の聖杯の解説、イリヤが聖杯であることを表現し、かつシナリオ通りの台詞を切り貼りしたように一見見えますが、実は『聖杯は何処にでもある。聖杯とはもとよりカタチのない器だ。』という台詞を削ってしまったことにより、この台詞だけだと明らかに言峰の台詞が矛盾してしまっています。が……そこまで気にしてみている視聴者がそれ程沢山いるとは思えないので、それはそれで良しとしましょう。。。
それよりも削られて残念だったのは言峰のこの台詞。
>「その傷を切開する。
>さあ―――懺悔の時だ、衛宮士郎」 
自分的には「言峰イコールこの台詞」ですので、激しく残念。
そして言峰に抉られた十年前の士郎の記憶。このシーン、確かに悪くはなかったと思うのですが「士郎の心の中だけで一人完結している」ようにしか映らなかったのは、このシーンが好きな者として、そしてFateルートの一番のテーマとして取り上げるべきシーンだと考えると残念この上ありません。アニメという表現上仕方ないと云えば仕方なかったとは思いますが、シナリオとは多少違う形になってももう少しアレンジして、もう少し長い尺で描けなかったものかと。


そしてBパート。士郎に興味を無くした言峰が今度はセイバーの疵を抉ろうとします。
このシーンも士郎のシーンと同様、上手く纏まってるはいると思います(回想シーンの一部は士郎のもの同様、微妙だったりしますが。。。)。しかし対となる士郎のシーンにもう一つ深みがなかったために、それに触発されたセイバーのシーンが軽く映ってしまったように見えるのは……ゲームをプレイした者の、我が儘でしょうか?
>>「―――聖杯は欲しい。けれど、シロウは殺せない。
>>判らぬか、下郎。そのような物より、私はシロウが欲しいと言ったのだ。
>>聖杯が私を汚す物ならば要らない。私が欲しかったものは、もう、全て揃っていたのだから」
そしてこの台詞こそが、ラストシーン同様に、Fateルートのセイバーの全てを表す言葉であったにもかかわらず、台詞はそのままにも関わらず、台詞の間の取り方、重みが足りず、軽く流されてしまったのは演出的に如何なものかと。
キッパリと聖杯を手にすることを拒否した士郎とセイバーに舌打ちする言峰。この言峰のの演出は宜しかったのですが一転『ここで死んで貰おう』という殺意の籠もった台詞には微妙な違和感。言峰のことですから、あくまでも淡々と、何の感情もない声で言い捨てたように思っていましたので。
>>「では、願いとはどうやって叶えるのだ? 聖杯は巨大な兵器と同じだよ。
>>持ち主の願いを、破壊という手段だけで叶える、純粋な力」
>>「では、私が求めてきた聖杯とは?」
>>「持ち主以外を殲滅する、呪いの壺だ」
このシーンのランサーの嫌悪に満ちた表情はランサーらしくて良い表情でしたが、聖杯のヴィジュアルは非常に微妙でした。というより、この後のイリヤ聖杯化のことを考えると、このカットを入れた意味そのものが分からないのですが。そうそう、イリヤと云えば、次のシーンもカットされていましたが、別のところで補完していたのでフォローにはなるのでしょうか?
>「―――そうか。貴様が何者であるかはもう訊かない。だが、選定役として責務は果たしてもらうぞ。今回の器、魂の杯は何処にある」
>「なに? まさか、知らずに匿っていたというのか」


そしてFateルートの中でのランサーの一番の見せ場。セイバーたちを逃がすべく、我様の前に立ち塞がるランサー。このシーン、元々の台詞ですと
>「くだらねえコトなら口にするなよ。別に貴様に肩入れしている訳じゃねえ。オレは、オレの信条に肩入れしてるだけなんだからよ」
これがアニメになると
>>「勘違いするな! 貴様に肩入れしている訳じゃねえ。オレは、オレの信条に肩入れしてるだけだ」
微妙なアレンジ、というかアレンジする必要もない筈の台詞なのに、少年漫画の王道の台詞に入れ替わっているのは、一種のギャグなのかとw。そしてこの後のギル様との対決シーン。アーチャーVSバーサーカー戦同様にシナリオ上「描かれなかったシーン」として期待していたのですが、華麗にランサーの槍捌きをかわした上に、天の鎖→カラドボルクという、慢心王とは思えないパーフェクトなコンボで決めてしまった我様にはがっかり。……いえ、ここで本当に慢心されても困るわけですがw。ともあれ、短い出番でしたが、ライダー役の浅川悠さん、キャスター役の田中敦子さん同様に、神奈延年さんのランサー役もハマり役だったかと思います。……多少以前よりランサーのイメージが江戸っ子ぽくなった気がしますけれどw。


一方、教会墓地で士郎の傷の手当てをするセイバー。
>なんのつもりか、セイバーは胸の傷に手をあてて、体の中に手を――――
>「あ――――っ――――!」
>体が跳ねる。セイバーの手は容赦なく、体の中をまさ、ぐ―――
>「ば、なに、を――――!?」
>素手で内臓に触れられているのだ。痛くない筈がない。痛くない筈がないのだ、が――――
と、シナリオ上ではセイバーの手が士郎の身体に沈み込んでいくような描写ですが、アニメでは比較的あっさり気味。これはこれで良いかと思いますけれど。
そして明かされる士郎の治癒能力の秘密。アニメのみの視聴者に程よく分かりやすい解説でした。唯一気に懸かる点と云えば、聖杯戦争冒頭のランサーに殺されかけシーンに関する補完説明がなかったくらいですが、アニメで「契約する前だから云々」と改めて説明してもテンポが悪くなりますしね。
そして今話のラストシーンは夕暮れの海岸を背景に、自身が立てた誓いを最後まで守り通すことをキッパリと告げるセイバーと、自分の我が儘を蹴飛ばして未練をキッパリ断ち切るように告げる士郎のシーン。
>>「ありがとう。貴方のおかげで、ようやくとるべき道が分かりました。
>> ……あの聖杯も、この私も、有り得てはいけない夢だったのです。
>> それでも―――どうか許してほしい。
>> 間違えた望み、叶えられない日々ではあったけれど。この弱さは、ある少女が見た、一時の理想郷だったのだと――――」
>>「―――セイバー。聖杯を壊そう」
>>「―――はい。貴方ならそう決断すると信じていました、マスター」
二人らしい、潔さが美しいシーンでした。……もう少しだけ作画に力を入れて欲しい、と思わないでもありませんでしたが。。。


さて、次回第23話「聖杯」予告解説。
1コマ目−剣を受け止めるセイバー、2コマ目−アップで語る言峰、3コマ目−相対する士郎、4コマ目−ギル様の斬撃、5コマ目−仰向けになったような状態で何かを叫ぶセイバー、6コマ目−言峰の表情ドアップ、7コマ目−叫ぶ士郎、8コマ目−ギル様を足蹴にするセイバー、9コマ目−我様らしく語るギル様、10コマ目−魔術回路を走らせる士郎、11コマ目−セイバーの横顔、12コマ目−斬りかかるギル様、13コマ目−挑むような表情の士郎、14コマ目−我様らしく語るギル様、15コマ目−聖杯にされたイリヤ
と云うことで、次回は最終決戦。恐らく冒頭で、衛宮邸襲撃で傷つく凛、そして攫われるイリヤを描き、尺的にAパート半ばから最終決戦ということになりそうです。24話Aパートで決着、Bパートでエピローグ。EDの後に「――――見ているのですか、アーサー王」「夢の、続きを――――」となると予想。
アニメはやっと軌道修正されてきたようですので、後は奇を衒わず、綺麗に物語を閉じて貰いたいと思いますが、さて?