Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第6回は、幕間より、お約束のw温泉が舞台となります。


《幕間》湯煙
「うーん、結構結構」
アイリーンは気持ちよさそうに、温泉の中で一伸びした。
妹は日光東照宮を見てからは、何を見ても、何を聴いても、何を食べても「結構結構」という日本語を使うのが口癖になっている。日光を隈無く見て回ったら「結構」という言葉を使う資格があるというのだ。
旅を始めて一ヶ月。日光街道を今市まで戻らず、瀬尾、川室へと近道し、那須に抜ける。那須では名所である殺生石――この国の法王鳥羽の寵愛を受けたが法力により正体を見破られた九尾金毛の妖狐が封印されたという伝説の石――を訪れた。
この際、玉藻前――その妖狐の名だ――の運命に理不尽なものを感じ取ったアイリーンが、一騒動巻き起こしたのだが……その詳しい経緯については敢えて触れない。思い出すだけで疲れるからだ。そのまま奥州街道を北上し、白河関を越えた。
会津磐梯山を左手に見ながら、郡山、二本松、福島を北上し、六月三〇日、ようやく旧仙台藩の領内に入ろうかというところまで到達した。
ここからが本当の「日本の奥地」であり……私の旅にとっても正念場というわけだ。


今宵の宿の名物は丘の中腹まで伸びた長い廊下を伝わって行く露天風呂だ。自然石で組み上げられた湯船は広々していて、解放的な気分にさせてくれる。
しかし、問題なのは湯の温度だ。私にとっては熱湯以外の何ものでもない。
勿論「日本人は熱い風呂に入るから皮膚がただれ、皮膚病が多いのだ」などという非科学的な見解を私は信じない。
科学的というなら一八世紀中頃の我が国の「入浴」を思い起こしてみるといい。当時の「入浴」の定義とは「ブルジョワ階級の特権かつ健康のための贅沢」であり、その実態は「真冬の寒い日に服を着たまま海水に浸る」という行為だったのだ。それが当時最先端の「科学的健康法」だと信じられていたのだから「科学」も存外あてにはならない。
恐らく石鹸を使って身体を洗う習慣がないことと、肌着のリンネルがないのがこの国において皮膚病が多い原因の一つだと思う。
だけど全く別の意味で風呂に入るのに生理的抵抗感があるのは事実だ。温泉や銭湯を心から愛しているこの国の人間には悪いけれど、正直に言えば……赤の他人が入り、その髪や垢が浮いている湯に肩まで浸して入る、という行為自体が私には堪えられないのだ。
でも、アイリーンは全く別の感想を抱いたようで……
「姉上、気持ちいいよね!」
「ひゃっ!?」
音もなく忍び寄ったアイリーンが背後から抱きついてくる。
「ほら、見て。もう肌がつるっつるっだよ!」
「や、やめ……く、首が締まって……」
後ろから回されたアイリーンの腕は私の首を絡めとり、関節技のように締め上げる。
ただでさえ朦朧としている意識の彼方に光が見えた。妹がけたけた笑いながら腕を放したのは、それが視界一杯に広がり、弾け、私の意識が霧散する寸前だ。硫黄の香りが鼻につき、全身の平衡感覚も薄れてきた。
青白い月明かりの下、伸びやかな肢体を晒しながらアイリーンはまたも勝手なことを言う。
「ほらほら、姉上、もっと落ち着いて入らないと。姉上はいっつも眉間に皺を寄せているんだから、この機会に顔の肌を伸ばしておかないと」
「一体誰のせいで眉間に皺を作っていると思ってんのよ!?」
私の怨嗟の声も妹の都合の良い耳には届かない。鼻歌まで歌い始めたアイリーンは再び私にしだれかかってくる。
はね除けようとするが、朦朧とした頭脳は私の身体に待避の命令を下してくれない。
「ねぇ、あねうえ〜」
アイリーンの口から吐き出される息は妙に熱を帯びている。その頬がほんのり桜色に染まっているのに私はようやく気付いた。
「アンタ! あれほど飲むなって言っておいたのに、アルコール飲んでるわね!?」
「アルコールなんか飲んでないもん。サケを飲んでるだけだもん」
「それもアルコールの一種でしょうが!? ……ってアイリーン?」
アイリーンは私の肩に頬を載せたまま、あっさり寝息をたて始めた。
まるで人を蒸しあげるかと思えた温泉の温度が不思議と快く感じられてくる。鉱泉から沸き立つ湯煙が時間の流れから私たちを隔離してくれているようだ。
私に抱きつくアイリーンから伝わってくる重みと体温。普段なら邪険にはね除けてしまうそれが……今日は何故かイヤじゃない。幸せの湯船に浸かっているアイリーンの、たゆたう羽毛のような寝顔は天使のそれだ。
永遠のようでいて、触れるだけで壊れてしまいそうなこの瞬間。
「あねうえ」
目をうっすら開けたアイリーンが夢見るような口調で呟く。
「いつまでもこんなふうに二人で世界中を旅行して、美しい自然や綺麗な建物を見て……おいしいものを食べて、いろんな人、楽しい人に出会うことができたらいいね」
「……そうね。そうやって暮らせたら楽しいでしょうね」
自分の口を衝いて出た言葉に一番驚いたのは私自身だ。それは普段の私なら想いもしない言葉。
この湯船に浸かっている間だけは、この妹のように世界の未来を真っ直ぐに信じることができる気がした……。
「あのぉ〜、お取り込みのところを大変申し訳ないのですが〜」
そんな私の夢想を容赦なく断頭台にかける飄々とした言葉。それは脱衣場の方から響いてきた。背中から冷水をぶっかけられたように、風呂酔いも、そして一時の気の迷いも、瞬時にして醒める。
「何をしているの! 荷物を見てなさいって言ったでしょ!」
普段は肌身離さず懐に入れている“如月”とサトー氏の調査報告書だけれど、流石に風呂の間だけはシンイチに預けてある。勿論、シンイチを無条件に信じているわけではない。だけど他に選択の余地はないし、現段階では契約を破棄しないだろうと言う奇妙な確信があったからだ。それに……私にはそれなりの思惑があった。
サトー氏の報告書に対してこの少年がどういう反応を示すかも見てみたかったのだ。
「いえ、ですが……」
木製の衝立越しに聞こえてくるシンイチにしては戸惑ったような口調も気にはなったけれど、今はそんな些細なことに囚われている余裕はない。
「言い訳はいい! それより私が預けていた刀と書類は?」
「御安心下さい、それは懐の中に。でも流石にこれはマズイんじゃないかと」
「?」
脱衣所から飛び出してきたカペが石組みの湯船を大回りして、闇の中へ駆け抜けていく。
「いまカペが走っていった先。湯船の向こう側、奥の方をよくご覧下さい」
岩風呂の向こうの笹の茂みの奥。闇の中に浮かぶ黒く、鋭く、陶磁器のように冷硬な光を放つそれが、人間の瞳だということを私の脳細胞はようやく認識する。
「Get out!」
肺の中のあらん限りの酸素を使って私は叫んだ。


風呂からあがると、宿の用意した浴衣を身に纏って部屋へと向かう長い廊下を歩き始めた。当初は風通しが良すぎるこの服に戸惑ったけれど、着慣れてみるとその開放感を好ましくさえ感じるようになってきている。
「ん? 私の着方、何かおかしいところがある?」
チラチラと私の方を見やるシンイチが気に掛かり、問いただす。
「いや、あの、ちょっと……」
珍しく口を濁すシンイチの視線の先は私の腰廻りのようだ。
「どしたの? ああ、姉上の帯?」
アイリーンが目聡く私の帯の乱れを指摘する。この蝶々結びという簡単な帯の結び方さえ、どうしても教わった通りにできないのだ。
「姉上ってホントに不器用よねぇ。これくらいできないなんて。だいたい手先を使う仕事は全部ダメだもんね。料理もダメ、編み物もダメ、偶に洗濯すると服を破っちゃうし。
そうそう、シンイチ、気が付いている? 旅行作家に必須なのは現地の写生なのに、姉上、まだ一枚も描いてないでしょ? アレはね、前にロッキー山脈縦走した際に描いたスケッチが全部ボツにされて、ショック受けちゃって」
まだ酔いも冷め切らないのに、極めて短時間で髪を後ろで二つの団子のように綺麗に纏めたアイリーン。……極東の島国の民族衣装がうまく着られないだけで実の妹から全人格を否定される姉は世界中を探しても私くらいなものだろう。
だけど放っておけば妹の指弾は延々と続きかねない。
「で、何が言いたいわけ?」思い切り語気を荒げ、アイリーンの口上をねじ伏せる。
「申し訳ありません。ただ、だらしなく帯が垂れているのを見ると、生まれ育った深川の料亭で子供の頃に覗き見た幕府のお偉方の“遊び”を思い出してしまって」
「なになに? どういうの? どうやってやるの?」
その話にエンターテイメント的要素を嗅ぎ取ったアイリーンは、目を輝かせてシンイチに詰め寄る。
「実はですね、料亭で一通り飲食を終えてからの余興なんですが、まあ、あと二、三枚余分に着込んで頂いていれば最高なんですけど、男性が女性の帯に手を伸ばしてですね、こう、駒のように勢いを付けてですね……」
「ほぉ〜、それを今ここで実演しようっていうの?」
帯に手を掛けたシンイチを見下ろす私の瞳に何を見たのか。焼け爛れた鉄串に触れたかのようにシンイチは手を引っ込める。
「す、済みません、つい条件反射で……」
「Be quiet!」
 私は平静さを装ってシンイチの口を封じた。そう、私はこの上なく冷静だ。
「あ、姉上? 肩と拳が震えてるみたいなんだけど……?」


ようやく長い廊下を渡り終えた私の眼に、先程通りかかったときには気付かなかった木彫りの像が飛び込んできた。
奇怪なことに武者像は全身に無数の矢を突き立てている。
「シンイチ、これは一体どんなモチーフなの?」
「…………………」
「シンイチ!」
「…………………」
遂に私は根負けする。
「ああ! もう、いいわよ、口を利いても! 早く答えなさい!」
そういうのをこの国では「チョウレイボカイ」って言うんですよ、と小声でぶつぶつ言ってから一転、何事もなかったような口調でシンイチは口を開く。
「これは弁慶ですね。武蔵坊弁慶の立ち往生。平安時代末期の英雄、源義経の一番の忠臣の最期の姿です」


鬨の声は既に散発的なものとなっていた。燃えさかる炎は持仏堂全体を覆い尽くし、周囲の鎧武者のまがまがしい姿を浮き上がらせる。
皆、陰惨な表情をしていた。
矢ぶすまになり立ちながら死した大男をやっとの思いで取り除くと、鎧武者たちは堂の中に乱入する。暫く後、堂の中から焼け爛れた首を掴んだ武者が現れ「御曹司殿の御首、討ち取ったり!」と叫んだ。
鎧武者の中心にいたまだ若い男が悄然としたように頷く。彼の表情は明らかに敗者のそれだった。百万言を費やしても尽くせぬであろう詫びの言葉を胸中に飲み込み、男は己の義務を果たすべく、肺腑の底から絞り出すような声で叫ぶ。
「九郎義経殿、討ち取った! これで平泉は安寧なり!!」
時に文治五年(一一八九年)閏四月三〇日のことである。
この日平泉の衣川館にいた源義経藤原泰衡の手により討ち取られた。享年三一。
そしてこの年の七月一九日、義経を匿った罪を問うべく源頼朝は大軍を鎌倉から出立させる。鎌倉軍は破竹の勢いで北上を続け、八月二二日、奥州藤原氏の都、平泉入りする。事実上この瞬間に、歴史上突然変異的に現れたにもかかわらず、高度な黄金文化で百年の栄華を築き上げた奥州藤原氏はあまりにも呆気なく崩壊した。
蝦夷地を目指して逃亡した泰衡は九月三日、譜代の家臣河田次郎の裏切りで殺害された。これにより名実ともに奥州藤原氏は滅亡する。だが、奥州藤原氏が所有していた筈の莫大な黄金が頼朝軍によって接収された、という正式な記録はどこにもない……。


「主人が自殺する間、それを守り通した忠義の臣、か。ふーん、なるほど、そういう経緯のわけね」
シンイチの説明にアイリーンも興味深げに聞き入っている。
「あれ? マスターなら『立ったまま死んだなんて非科学的』って言われると思ったんですが?」
「言わないわよ。実際化学的にありうるんだから」
筋肉は脳からの命令により収縮、弛緩する。当然死後は、脳からの命令は筋肉にいかなくなる。しかし、実際は収縮の場合と同じ化学変化が、極めて徐々にではあるが、死後も進行し、筋肉の収縮が起こる。しかも急激な運動をしている最中に死亡すると、その現象は極めて短期間のうちに起きる。つまり「弁慶の立ち往生」は化学的にありうるのだ。
そう説明すると、シンイチは形容しがたい表情を見せた。その気持ちは……私個人としてなら分からないでもない。確かに伝説を全て科学で説明してしまっては、味も素っ気もない。
しかし、伝説への科学的アプローチは必ずしも夢を壊すものでもない。そう、伝説を頼りにトロイアを発掘したシュリーマンのように。
だが、我が“Pax”にとって「伝説」とは……歴史の女神クリオ、彼女の真の素顔をベールに隠す甘美な誘惑だ。
「しかし、一代の英雄の最期にしては無様ね。いえ、逆かしら? そんな無惨な死を遂げたからこそ七百年もの時を経てもなお英雄として民衆に慕われているのね」
「その通りでしょうね。しかも民衆の願望はそれに留まらず『義経は死せずして蝦夷地に渡った』なんて妄説を生み出したりするわけです」
「ふーん、英雄不死願望か」
我が国で言えばアーサー王、ゲルマン帝国ならカール大帝。どの時代、どの民族においても、その素朴とも言うべき“信仰”は存在するのかも知れない。だけど……。
「しかし、そんな妄想をシーボルト博士まで真面目に取り上げられているんですよ。嘆かわしいというか、情けないというか」
シンイチは如何にも馬鹿馬鹿しいと言った口調で吐き捨てるが……私の脳裏のジクソーパズルにまた一つ、ピーズがはめ込まれた。
(幕間「湯煙」後編に続く)


さて、幕間の途中ですが、ここで今週のクエスチョン。
第3章に引き続き、今回の物語でもゼルファたちは「外国人を見よう」と集まってくる群衆に悩まされ続けるわけですが、実際各種の記録を読んでも、当時の日本人たちが外国人に接する際の「無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志」は「我々を気持ちよくした」という記述は枚挙に暇がありません。なにせ年頃の娘さんさえ、湯浴みの途中の「生まれたままの姿で」飛び出してきて、通りかかった外国人達を見物に訪れた、というエピソードさえ珍しい話でないくらいで。現在の我々が何となく持っている「外国人コンプレックス」というものは、もっと後年に生まれたものなのでしょうね。
ただ3章にも書きましたが、あまりに群衆が集まりすぎて洒落にならない事態が起こったりしたのも事実で……と、ここでクエスチョン。あまりに多くの群衆の前でイザベラ・バードが『あるもの』を取り出した結果、人々はそれを銃だと誤解。パニックが発生し、大潰走が始まった、というエピソードがあるわけですが、人々はイザベラ・バードが取り出した『何を』銃と勘違いしたのでしょうか? ヒントとしては、現在の旅行の際にもそれの「亜種」を携帯する人はいますが『そのもの』を持っている人は滅多にいないでしょうね。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。
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