Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第6回は、幕間「湯煙」よりの出題。
「日本奥地紀行」で知られるイザベラ・バードは、旅の各所で珍しい物好きの日本人の群衆が大挙してやって来るのに悩まされ続けましたが、そんなある日、その群衆の前で彼女が『あるもの』を取り出した結果、人々はそれを銃だと誤解。パニックが発生し、大潰走が始まった、というエピソードがあるわけですが、彼らは『何を』銃と勘違いしたのでしょうか? という問題でした。
今回は意外と難問だったのか、正答者がいなかったため、あっさり正解発表。正解は「望遠鏡」でした。確かに当時の日本の銃の形態からすると、紛らわしいと云えば紛らわしい外観ですねー。
しかし流石に今時だと双眼鏡ならまだしも、旅先に望遠鏡を持っていく方は少ないでしょう。天文マニアの方くらい? ただ当時の記録を見ると、結構普通に望遠鏡を旅行者は持ち歩いていたようで。と云うより、双眼鏡の歴史がそんなに古くないのでしょうか? 
それでは引き続き、物語の舞台裏の一端を示す、幕間「湯煙」後編を。


私たちの今宵の寝室は「大名の座」と呼ばれる部屋だ。
かつては江戸に行く途中の大名がここに泊まるのが常であり、そのため利用された客座敷であったため、この名が付けられたそうだ。
部屋の広さは長さで四〇フィート、高さで一五フィートもある。
柱や天井は黒檀に金泥をあしらったもの。障子は格子細工の名にふさわしい立派な造作だ。青い縮緬紙の襖には金泥が塗ってあり、畳は非常に清潔に保たれている。ここ数日、蚤のたかったそれに悩まされてきた私たちにとって、最高級のアックスミンスター絨毯以上に清潔で、優雅で、柔らかい畳はこの上ない贈り物だ。
床の間は磨きたてられ、象嵌細工の書机や金の蒔絵の古い刀掛が飾ってある。
壁に掛けた絵――掛け物――は満開の桜の枝を白絹の上に描いた素晴らしい美術品だ。これだけで部屋中が生彩と美しさに満ちてくるようだ。
手水鉢は立派な象嵌の黒塗りのものが据え付けられていた。
部屋の片方はすっかり開け放たれ、庭に面している。庭園には金魚を泳がせてある大きな池や、五重塔、盆栽、その他いくつもの小型の装飾の造作があった。
暫く庭に出て夜風に吹かれていた私が部屋に戻ってみると、アイリーンが敷かれた布団の上で、シンイチとトランプをやっている。どうやら気持ちよく原稿を上げたようだ。私の姿を認めと、子犬のように嬉しそうにすり寄ってくる。
「姉上! 今シンイチに聞いたんだけど、こういう宿でやる伝統的な遊びがあるんだって」
「……余計な知恵をつけなくていい」
早くも来るべき破局を悟り、私はシンイチを睨み付けるが、少年はあらぬ方向に視線を泳がせている。さっきの意趣返しだな。
「行くよぉ〜」
立体鏡に似た形の物体を手にしたアイリーンは私に向かって振りかぶる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、アイリーン!」
「てい!」
次の瞬間凄絶な枕投げが始まった。一つだけ断っておくと……この宿の枕は木製だ。


やっと原稿の清書と添削を終えた私の傍らでは、先程までの壮絶な馬鹿騒ぎで疲れ果てたアイリーンが寝息を立てている。
そのあまりにも幸せそうな寝顔に一瞬、首を絞めたい衝動に駆り立てられたが、流石に実行するわけにもいかず、自分の布団に潜り込む。
この数日来の宿で用意された布団は蚤やダニのたかったものばかりで、持ち込んだ簡易ベットに潜り込むしかなかった。でも、これくらい清潔な宿の布団だと寝ていても非常に気持ちがいいし、温泉の効能も相俟って身体の疲れが消えていくような気がした。
改めてアイリーンの寝顔を見て大きな溜息を吐き出してから、私は行儀悪く寝そべったままサトー氏の報告書を改めて読み始めた。
現在進行中のこの傍迷惑な騒動の元凶だけははっきりしている。文豪ヴイクトル・ユゴーから「夢想家」と散々罵られた今は亡きナポレオン三世だ。
三世にこの伝説を最初に伝えたのが何者だったのか? 
それは結局判然としなかったが、恐らくナポレオン・ポナパルド本人か、その側近だろう、とサトー氏は結論づけている。何故なら“如月”が公式の場で最後に確認されたのが大ナポレオンのフランス皇帝戴冠式の場だからだ。
一八四八年のフランス第二共和制下、叔父ナポレオン・ポナパルドの七光で大統領に当選した男、ルイ・ナポレオンは三年後、クーデターにより独裁体制を確立する。
だが如月の芸術的歴史的価値はともかく、埋蔵金伝説などという怪しげな存在については興味を示さなかった叔父とは対照的に、三世は即位直後から当時唯一日本との貿易を許されていたオランダ使節に諜報活動員を紛れ込ませる形で秘かに日本国内での調査を始めさせていた。
中でも特に重宝したのが日本語を自在に操るカションだ。カションの活動の中心が開港されたばかりの函館に据えられたのも決して偶然ではない。如月を託した男の本拠地仙台には、函館から海路を取る方が遙かに侵入しやすいからだ。
だが、結局カションも何ら得るところはなかった。業を煮やした三世はパリ万博出席のためフランスを訪れた将軍慶喜の弟、昭武一行との随伴を名目にカションを本国に送還する。一八六七年四月二八日、後にパリ・コミューンで焼き討ちの運命にあうチュイルリー宮で行われた対面で、三世は矢継ぎ早に質問を繰り出した。
二五〇年前、使節団をスペイン、そしてローマに送った男について。彼がスペイン王女に“如月”を託したその意図について。そして如月に隠されているという“ジパングの秘宝”の在処の手懸かりについて。
だが使節団一行は、狐につままれたような表情を見せるだけだった。彼らにとっても全くの寝耳に水だったからだ。
しかしそれでも三世は諦めなかった。カションを極秘裏に日本に再派遣し、幕府首脳部と接触させた。交渉の詳細は不明だが、その窓口となったのが幕府勘定奉行小栗上野介であり、幕府に対する軍事援助と引替えに埋蔵金発掘への協力を取り付けたことまではイギリス政府も確認している。何故なら昭武一行に同行していたフランツ・シーボルトの長男、ハインリッヒ・シーボルトはイギリスのスパイだったからだ。
だが、イギリス政府は当初から「フランス人にありがちな誇大妄想」として取り合う気がなかったようだ。“ジパングの秘宝”などは論外として、フランス自体が他国へ軍事援助できる余裕がなくなりつつあったからだ。
一八六六年、オーストリアハンガリー二重帝国を破り、北ドイツ連邦を組織した鉄血宰相ビスマルク率いるプロイセンの脅威が確実にフランスに迫っていたのだ。そして事実一八七〇年、フランスはプロシアとの戦争に敗れ、ナポレオン三世は捕虜となる。後に彼が亡命先をイギリスに据えたのは皮肉と言えた。


改めて読み直し、私は大きな溜め息を吐き出した。
溜息をつくたびに幸せが逃げていくと言うけれど、私の今の不幸ぶりからすれば、とっくの昔に私は一生分の幸せを使い果たしているに違いない。とすれば、もう溜息をつくのを躊躇う必要はないわけだ。
報告書の次なる舞台はロンドン南東のチスルハースト。歴史家ウイリアム・カムデンの屋敷であり、最後のフランス皇帝ナポレオン三世にとってここが終の棲家となる。
明治政府首脳が大挙して米欧諸国に出発したのは一八七一年一二月。翌年の八月、倫敦に到着した使節団へ極秘裏に三世の使者が接触する。
実現した大久保との会談で三世は再び如月とそれに纏わる伝説についての問いを発する。会談の四ヶ月後、三世はその波乱に富んだ人生の幕を閉じる。とすれば、大久保との対談は……三世にとって最期の妄執だったのかもしれぬ。
無論、明治政府で最も現実家だった大久保は当初この話を信じなかった。もっともこの男らしい用心深さで、即座に旧仙台藩の調査だけは命じてはいる。三世の話をそのまま伝えたのではなく、まだその時点では禁止されていた「キリシタンの詮議」という名目ではあったが。
だが、三世の話が全くの法螺話でないことは程なく証明される。その後、大久保ら使節団が立ち寄ったマドリードとローマに、伊達政宗の直筆署名入りの書状や当地の政府に贈呈した刀剣などが残されていたからだ。
その政宗使節に託したローマ教皇やスペイン国王宛の親書には驚くべき内容が書かれていた。そこには政宗キリスト教徒となり、領地内のキリスト教以外の寺社を破壊しただの、スペイン国王に領土を献上する等々、到底信じがたい話が延々綴られていたのだ。正宗の直筆の花押がなければ到底信じがたい内容は大久保を困惑させた。
同年九月一八日付け(なおこの当時の日本はまだ太陰暦を使用している)で提出された政府の秘密報告書の第一報は驚愕すべき内容を含んでいた。
使節派遣の確認のみならず、仙台藩では正宗の遺命により六家が現在に至るまでキリスト教が伝えていることが判明したのだ。以上の詳細を綴った仙台藩評定所内の「切支丹所」に残されていた一九冊の手帳。それは全て押収され、詳細な検討が加えられることになった。


……とここまでがサトー氏の報告書に纏められた「事実関係」だ。 
流石は時には日本人の歴史学者ですら教えを請いに来るというだけある氏の報告書だけあり、簡潔かつ明瞭に綴られている。勿論彼にそんなことを面と向かって言うと「おだてともっこにゃ乗りたかねえ」と江戸弁でまくしたてられそうだけれど。
報告書にはその後、大久保の監視によりイギリス政府が得たとそれに基づくサトー氏の見解が述べられているが……改めて読み直しても、胡散臭いことこの上ない。
「……シンイチ、起きてるわね?」
隣室に寝床を取るシンイチに呼びかける。毎晩私たちが眠りに就くまでこの子が起きていることに、暫く前から気が付いている。
「ええ、起きていますが、如何しました?」
恐らくこの子は報告書を読んでいる。素性はおくとしても、知識欲の塊のようなこの子が蠱惑的魅力を放つ報告書の頁を捲るのを躊躇うとは思えない。
「貴方“東方見聞録”という本、読んだことはある?」
「我々は“人喰い人種”なんかじゃありません!」
「Sin!」
間髪入れず、的確かつ過不足ない回答を寄越したシンイチを短く、鋭く叱りつける。私がこの子のことをSin――原罪――と呼ぶようになったのはこの時からだ。
「そういう言い方は止めなさい! 他の雇主ならそんな口を利いた瞬間に首よ!」
申し訳ありません、と例によって誠意のない口調で詫びたシンイチは私の問いに答える。「英語版なら少々。この国が“ジパング”という名で登場している本ですね?」
「そう、黄金の国ジパング! コロンブスアメリカ発見を促した歴史的書物。この中に『ジパングの王の宮殿は屋根も、部屋も、床も驚くことに指二本幅の純金が敷き詰められ、広間と言わず窓と言わず全てが黄金作りである』という記述は知ってるわね? そしてその話の元が奥州藤原氏が造り上げた“中尊寺金色堂”という建物ということも」
「あの本は出鱈目ばかりですよ。『ジパングの人間は戦争で捕虜を取った時に相手が身代金を払えないと、その捕虜を食べる』なんて記述は論外ですし『蒙古軍に半年にも渡り都を占拠された』なんて記述が出てきますが、この国では有史以来、都を異国の軍隊に占拠されたことなどはありません!」
この子にとって一番強烈な感情は愛国心と向上心だ。傷つけられた誇りを取り戻すべくフォローを入れるけれど、この子にしては珍しくはぐらかすような言い方が妙に気に障る。
「確かに“ジパング”が日本をモデルにしているのは事実でしょうし、恐らく“金で覆われた王の宮殿”というのは書かれた年代から照らし合わせると、中尊寺金色堂のことと考えるのが妥当でしょう。でも一体それがどうかしましたか?」
いつも以上に挑むようなシンイチの口調。それが本気なのか、演技なのか、判断が難しいところだけれど、とりあえず水を向け喋らせてみる。
「私が言いたいのは、どうしてこんな絶望的な立地条件の土地に七百年も前に海外にも知られた黄金文化が成立したか? ということなの。それともこの地の黄金文化はただ中尊寺のイメージだけが一人歩きした幻想だったのかしら?」
「…………」
しばし覆った奇妙な沈黙が何を意味しているのか。私のその問いかけにいつもの飄々さとは微妙に違う、妙に醒めたシンイチの解答が寄せられる。
「確かにそうかもしれませんね。後にも先にもこの東北地方全体を一体として把握した上で集金システムとして構築、運営し得たのは奥州藤原氏のみです。 彼らは一方で産出する黄金を権力基盤強化のため中央の貴族に贈り、その黄金を平安貴族たちは中国との貿易の代金支払に用います。また一方で彼らは独自に宋やルソン、シャムなどと直接交易を図り、絢爛たる黄金文化を彩る様々な珍品をこの地にもたらしました。
そう、それは全て黄金の産出があってのことです。しかし、産出された莫大な黄金をこの地だけで消費しようがありませんでした。この日本という国の中でも僻地であるこの地方においては、日常生活とは何ら関わりのない奢侈品以外には大量の黄金で買いあげるべき物品もなければ、地元に経済効果をもたらす投資先があったわけでもありません。
つまり貴女がたヨーロッパ人が生み出したところの経済学で言う“拡大再生産”の成立する余地が全くなかったわけです」
そう、産業革命が進行しつつある現在の視点をもってすれば、理解が可能なのだ。この地に咲いた黄金文化は極論してしまえば歴史の徒花に過ぎず、黄金を掘り尽くすと同時に雲散霧消してしまう蜃気楼なのだ、ということが。
しかし「マルコ・ポーロ」なる男が書いたとされる一冊の書物。そこに描かれた“黄金の島”の記述が世界の運命さえ変えてしまったのも事実なのだ。
更にその伝説は新大陸発見後も長く信じられ、一七世紀初頭、スペイン人たちはこの地までやってくることになる。日本近海にあるとされた「金銀島」を求めに。彼らはフランシスコ会の宣教師を政宗が支配するこの東北の地に送り込み……。


報告書を読み直した後も、容易には寝付けなかった。
今回の騒動は三世の妄執が生み出した一迷惑事の後始末に過ぎぬのか? それとも「東方見聞録」の如く、世界の運命をねじ曲げかねぬ誘惑が隠されているのか? 今はまだ分からない。ただ一つ確かなのは、いま私の懐にある如月。この刀が二五〇年の昔、二つの大洋を越え、スペイン王女の手に託されたことにより、無数の人々の運命がねじ曲げられたということだけ……
「Sin!」
布団から跳ね起きた私はピースメーカーを抜く。勢いよく庭に面した障子を開け放ち、無数の気配が立ちこめる庭に転がり出る。
庭園内には無数の黒い篝火が輝いていた。池に掛かった橋の上、小さな五重塔の影、植え込みの狭間、果ては宿を取り囲む壁の上にへばりつくようにして光る黒い宝石。闇に目が慣れてくると、周囲の状況がはっきりしてきた。
黒い光の主たちは……先程風呂場で私たちの入浴を覗いていた面々だ。爆発させたい怒りを必死に押し殺し、ピースメーカーを懐にしまい込む。
彼らが風呂場を覗くのはある意味で仕方がない。この国の女性は何の躊躇いもなく男性の前で入浴するからだ。我々キリスト教徒の道徳観念をこの地の人間に押しつけるわけにはいかない。
そう思って耐えてきたけれど、流石に限界だ。私には夜の帳の中、一人物思いに耽ることも許されないと言うのか?
おっとりがたなで現れたシンイチが群衆の下に駆け寄り、車座になって何事か日本語で語り合っている。
私はようやく冷静さを取り戻し、改めて群衆を見やる。不思議なことに彼らは男性ばかりではなかった。女性もかなり、それこそ少女から老婆まで混じっている。
「この人たちはそんなに異国人が珍しいの? 肌の色や体型が少し違うだけでしょ?」
黒い光が一斉に私の方を見やる。
暫く私を凝視すると、再び車座になり、ボソボソ議論らしきものを始める。無視されたような格好になった私は耐えきれなくなり、怒鳴った。
「Sin! この人たちの目的は一体なに? はっきりしなさい!」
私の剣幕に頭をかきながら振り返ったシンイチは、その顔になんとも言いがたい微妙な表情を浮かべる。
「……いいのかなあ、本当に言っちゃって?」
「このまま四六時中観察され続けるくらいならどんな質問にも答えてあげるわよ!」
それでも躊躇っていたシンイチだけれど、観念したように口を開く。
「お二人とも……とても美しい亜麻色の髪をされていらっしゃいますよね?」 
「そんなことは私たちが誰よりも知っているわよ!」
猛烈に厭な予感に襲われ声を荒げる。
「ですから……彼らが言うには、お二人は別のところもそんなに美しい色なのか、と」
「……一体なんの話?」
私は必死に平静さを装いつつ、シンイチに続きを促す。これ以上会話を続けてはいけないと本能では分かってはいても、一度ついた勢いは止められない。
「……ホントのホントに言っちゃっていいんですか?」
「……だから?」
私の声音は絶対零度に達していたかもしれない。
「あの、ですから、その、頭の上の髪の毛だけじゃなくてですね……下の方のですね……」
宿内に六発の轟音が響き渡った。
(第5章「愛子」に続く)


「最後のエピソード」は、昔何処かで読んだ文献から発想した筈なのですが、幾ら捜しても手元の文献で見当らないので……ひょっとしたらこればかりは脳内資料かも知れませんw。web拍手