Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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web拍手の不調で回答を伸ばしたらコミケの混乱でそのままになってしまって、申し訳ありませんでした。遅ればせながら、オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第7回の回答発表です(なお今週のクイズはお休みさせて頂きます)。
今週の問題は、大英帝国の最盛期の女王、ヴィクトリア女王の結婚式の様式は、現在の一般的な結婚式の形式の原型となっていることが多いのですが、その中で現在の結婚式においては欠かせない、とりわけ豪華な『ある物』も、女王の結婚式でとりわけ豪華なものが披露されたことによって一般的となったのですが、この『ある物』とは一体何でしょう? という問題でした。
今回の正解は、回答者によって微妙なニュアンスの違いはありますが、皆さんの予想通り「ウェディングケーキ」でした。Ironさん、ゼノゼノさん、tutuさん、Mr.ROMさん、そして昨日相方様から直接お答え頂きましたw、ということで、sumaさんも正解と云うことで。
19世紀としては、どれくらい凄いものだったかと云えば、高さ2.7メートル、重さ135キログラム。その頂上には1フィートを超える巨大な新郎新婦の氷像が据え付けられる、という徹底振り。これ以前にもウエディングケーキの慣習はあったようですが、現在のようなド派手なケーキの原点はここにあったりするわけです。出題編も合わせて読んで頂ければ分かりますが、ヴィクトリア女王個人が現在に及ぼした影響としては、この結婚式に関してのものが一番大きなものかも知れませんね。
さて、引き続き、《第5章》愛子の続きをどうぞ。ようやくシリアスな展開へと物語は動き始めます。


その村を支配していたのは外国人に対する明白な憎悪だった。
『丘に囲まれている田園の谷間は、丘から絶えず流れ来る水で潤っている。猫の額より狭い盆地を囲む山々はかなり上まで耕されていた。斜面に幾重にも重なるように作られた畑は畦一杯に綺麗な水が張られ、この国の人々の主食である水稲が植えられている。
だが、現時点の農業技術で考え得る限り、最良の域にさえ達していると思われるこの耕作を行っている人々は、想像を絶するほど劣悪な環境に晒されていた。一九世紀前半を通じ、我が国で最も不潔で非衛生的な都市グラスゴーの農村版がここにあった。
フリードリヒ・エンゲルスがこれを目撃したならば、如何に魅力的な叙述と論証がなされるのであろう? そう私に夢想させるほど、この村は貧しく、そして汚かった。』
秋保温泉を発った一行は塩竃に廻り、松島を見てまわった。ここでアイリーンがカキを食べ過ぎて体調を崩したりしたが、幸い大事には至らずすぐに旅を再開。その後、石巻登米、一関を経て、かつての奥州藤原氏の都、平泉入りする。
ここで目の当たりにした中尊寺金色堂はアイリーンに余程強烈な印象を残したらしく、その記事には松尾芭蕉のあまりにも有名な俳句とともに詳細な記述がなされている。
だが、この後日本海側に向かった芭蕉とは異なり、彼女たちは北へと進路を取り、広大な北上山中へと踏みいった。
ここからが外国人にとって文字通りの「未踏の地」であり、その地は……この日本という国で最も貧しいとされている地域だった。


『この地では鶏も馬も人間も一緒くたになって焚火の煙で真っ黒になった小屋の中で暮らしていた。積んである堆肥からは水が流れ出て、そのまま井戸へと向かう。幼い子供達は何も着ていない。しかも大半の子供の皮膚は爛れ、顔には見るも痛々しい酷い種痘が残っている。かつてこの地に天然痘が蔓延した跡だ。
大人の方もさほど事情は変わらない。男子は褌と呼ばれる陰部を覆うだけの下着だけしか身につけておらず、女子も腰まで肌をさらしている者が大半であり、身体を覆っている服もボロギヌとしか称しようのない代物である……。』
「日本政府は外国から軍艦や鉄道を買うくらいなら、この人たちを救うのが先じゃなくって?」
この地のあまりの暗惨たる暮らしぶりに、ゼルファは苛立たしげにシンイチを責める。
「キリストの博愛の精神に満ちあふれた欧米列強の国々が、お隣の清国のようにこの地を決して軍事的にも経済的にも侵略せず、お互いに真に平等な相互条約を結んで頂けるという保障があれば喜んでそうさせて頂きますよ」
「くっ」シンイチの反論に返す言葉はない。事実一八七〇年代後半から帝国主義が開幕し、欧米列強によるアジア・アフリカ諸国の本格的分割が始まるからだ。
多くの国を訪れてきたゼルファたちにとって、住民から忌み嫌われることは日常茶飯事だ。
そう、外国人の存在を恐怖し拒絶することは、さほど珍しい反応ではない。自分が理解し得ないものに対して人が示す最もシンプルな発想は無視だ。
だが未知の存在を完璧に無視してしまえるほど人間は強くない。未知の存在が自分たちより圧倒的力を持っている可能性と恐怖心を捨てきれないからだ。
従って外国人に対する警戒心と恐怖心は至って単純な反応であり、極めて防御的反応に過ぎない。
だが、いま彼女たちが晒されているのは明白な憎悪だ。しかもまだ年端もゆかぬ子供たちからのだ。
異様な空気に脅えきったカペは、ゼルファの腕にしがみついている。子供たちの罵声は更に罵声を呼び、その声はより大きく明確なものとなっていく。
憎悪の堤防を決壊させたのは一行を遠巻きに見つめていた少年の一人だ。かなり侮蔑的な言葉を投げつけられたシンイチが、鋭い視線を向ける。
「Sin! 大人げないことはやめなさい!」
ゼルファの制止の言葉も間に合わない。シンイチの険のある視線を受けて子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、その中の一人、五、六歳と思われる少年が足をつんのめらせ、土煙を上げて派手に転ぶ。
終始無言で、俯きながら歩を進めていたアイリーンは、慌てて駆け寄り、ひどく膝小僧を擦りむいたらしい少年に手を差し伸ばした。
反応は劇的だった。少年はアイリーンの手をはねつけ、そのはねつけた自らの手をまるで汚物にでも触れたかのようにボロボロになった服でごしごしと拭う。
「夷人、出て行け!」
罵声が、石飛礫とともに一行の頭上に降り注ぐ。狂騒は狂乱を生み、投石は明らかに頭付近を狙ったものとなる。
「アイリーン!」
手酷くはねつけられたままの姿勢で立ち尽くす妹に警戒の言葉を投げつける。だが、少女は蒼ざめた表情で凍り付いたまま微動だにしない。
「アイリーン!?」
ひときわ大きな飛礫がアイリーンの頭部に吸い込まれるように向かう。
〈間に合わない!?〉
流石のゼルファですら目前の光景に目を瞑りそうになった刹那、シンイチが滑るようにアイリーンの前に飛び込み、飛来した石飛礫を叩き落とした。
「Sin……アンタは……」
その場を一瞬の沈黙が覆う。
「コラ! あんたたち、何をやっているの!?」
その静寂を切り裂き、少女特有の甲高い声が響き渡った。少女の顔は酷い煙で汚れてはいるが、その涼やかな瞳と素晴らしい眉は石鹸や水を豊富に使って顔を洗いさえすれば、さぞ美しくなるであろうことを想像させる。
「ごめんなさい。お怪我はありませんでしたか?」
人形のように立ち竦んだままのアイリーンに怪我がないことを確認すると、少女はこわばらせていた顔を少しだけ緩めた。
「本当に申し訳ありません。あの子達に替わってお詫びいたします。でもどうかあの子たちを許してやって下さい。この村の人間が外国の方を憎むには理由があるんです」 


案内された少女の家でアイリーンは一番奥の部屋、その二階に籠もり記事を書いている。
「大丈夫でしょうか?」
流石のシンイチもアイリーンのあまりに悄然とした姿に驚いたらしく、しきりに彼女がいる二階の部屋へ視線を走らせる。
「貴方の心配するような意味でなら大丈夫よ。さっきの子供たちの仕打ちに怒って、アイリーンが酷い記事を書かないかと思っているんでしょ?」
ゼルファの皮肉混じりの言葉に、シンイチは今まで見せたことのないような表情を見せた。心外そうな、傷ついたような、飼主に邪険にされた飼犬のような顔だ。
「僕だって偶には損得関係抜きで心配しますよ、だって繊細で傷つきやすいアイリーンさんなんですよ? ましてや……直接の原因を作ったのは……僕、なんですから」
珍しい弱々しい物言いに、ここぞとばかりゼルファは追求の一手を放つ。
「ほお、じゃあ傷ついたのが私だったら心配なんてしないっていうの?」
「まさか!」シンイチはきっぱりと言い切る。
「だってダイナマイトで吹き飛ばされても平気な方があれくらいのことで傷つくなんて夢にも思っていませんから」
「ア、アンタねぇ〜っ!?」
ゼルファたちは勧められるままに今宵の宿を少女の家に求めることにした。
少女の家はかつては宿屋を経営していたのだが、先年流行病で両親を亡くして以来閉鎖しているとのことだった。
だがこの村には彼女の家以外には宿はなく、たとえあったとしても先程の村人の反応からゼルファたちに宿を貸してくれるところがあるとは思えなかったため選択の余地はなかったのだ。
しかし、それを差し引いても、そこは宿と呼べるような代物ではなかった。
すっと入ってくる風は破れ障子をばたばたと動かし、畳の上に灰を撒き散らす。
客用の部屋はその奥まったところに一部屋、更にもう一部屋は梯子を登ってゆくところにあったが、両部屋とも窓はがたがたしていて、火鉢には炭はなく、家には卵もなかった。


「この村は仙台様の頃から“ある理由”で差別されていたのです」
先程まで続いていた少女の話は次のようなものだった。
江戸開城はスムーズに行われたものの、東北諸藩が参戦した戊辰戦争は、浅からぬ傷をこの地に住む人間に与えていた。奥羽越列藩同盟側として参戦した仙台藩もその中に含まれる。
中でもこの村の住人は農民であるにもかかわらず、前線への弾薬の輸送などの危険な仕事を押しつけられ、数多くの者が命を落とした。東北諸藩の抵抗は会津などを除き長続きはしなかった。彼らを使い捨てた主戦派の仙台藩上層部は詰め腹を切らされたものの、この村は新政府から睨まれることとなり、村は更なる窮乏に追いやられた。
絶望が支配する村に、ある外国人兄弟が現れたのはまさにそんな時だ。日本語を自在に操る緑色の瞳にダークブラウンの髪の兄弟に村人はすぐに馴染んだらしい。
彼ら兄弟は「自分たちは貴方がた同様、奥羽越列藩同盟に参戦した同志であり、かつての同志の窮乏を見過ごすことは出来ない」と言葉巧みに未来への希望を失っていたこの村の青年たちをかき口説いた。
兄弟の言葉に確かに嘘はなかった。そう、この兄弟は戊辰戦争当時、会津藩米沢藩に武器売買を行っていたのだ。だがそれは英・仏・米等の主要六カ国間に当時結ばれていた局外中立宣言を無視してのことであり「死の商人」の名に相応しい行為だった。
この武器売買についてのその後の経緯について少女は知らないようだが、実はゼルファはその兄弟のその後の行動について横浜で聴き知っていた。
信じられないことにこの兄弟は、後に旧会津藩米沢藩へ売却した武器・弾薬の代金未払い分と、新潟港において官軍に略奪されたと主張する商品の補償を明治政府に求める訴訟を起こし……オランダ政府の後押しもあり、遂には賠償金を勝ち取っていたのだ。
しかし、彼らのこの人非人的行為も、その後この兄弟を信じて太平洋を渡ったものたちが辿った運命に比べれば可愛いものだった。
彼らは明治二年二月、新天地アメリカで一旗揚げようと移民を希望する若者を中心にした日本人農業移民団を率いてカリフォルニアに渡った。だがこれは移民したつもりでいた日本人青年たちにとっては地獄への片道切符だった。
彼らを待ち受けていたのは容易に耕作を受けつけぬ過酷な環境。それでも彼らは希望を捨てず必死に働いた。故郷に残した家族のため。持ち込んだお茶の木は殆ど死に絶えたが、それでも数年後には僅かばかりの収穫が得られるようになった。
だが、そこで彼らを地獄の底に突き落とす事実が判明する。
移民した際に買い取った筈の土地は、今なお「公有地」だったのだ。彼らが「堕ちる」のに、さほどの時を必要としなかった……。


「うーん、なるほどなるほど」
少女の話を聞き終わったシンイチは我が意を得たり、とばかりに何度も熱心に頷く。
「この一例でも分かるでしょう。貴女がたの神様が与えたという自由と平等は、貴女がたの神を信じる者に対してしか通用しないわけです。この国は貴女たちの国の技術は受け入れても、キリスト教の輸入だけは受け入れないでしょう。それはこの国の人間が貴女がたの神の胡散臭さを知っているからです」
ここぞとばかりかねてからの自分の持論を持ち出すシンイチにゼルファは何も言わない。こればかりは基礎となる精神的土壌が違いすぎるし……ゼルファ自身もそれを完全に否定できないからだ。
それにしても……ゼルファは思う。この子のキリスト教嫌いは徹底している。長年のキリシタン禁令によるただの迷信的嫌悪なのか、それとも何か特別な理由があるのか?
ゼルファのそんな内心の葛藤などまるでお構いなしに、シンイチは少女の方を向き直り、この村の憎悪の核心を突く。
「この村が差別されていたというのは貴女たちの御先祖がキリシタンだったからですね?」
少女は驚愕の表情を見せたものの、そのままコクンと頷いた。
「この村は正宗公の時代、キリシタンが数多くいた村ということで差別されてきたのです」
「ルイス・ソテーロ神父ですね。伊達政宗公の信頼を得たフランシスコ会の修道士」
フライ・ルイス・ソテーロ。
スペインのセビリア生まれである彼が日本伝道の志を抱き来日したのは慶長八年のことだ。来日時、彼は既にそれなりに日本語を解していたようだが、瞬く間に上達し、自由自在に日本語を操った。正宗がこの異能の男と知り合いになったのは、側室の一人の病を江戸浅草にあったキリシタン病院の医師ブルギリヨが治したことがきっかけだ。この医師を紹介したのがソテーロだった。ソテーロへの正宗の傾倒は仙台城の城門と大広間にキリスト教布教の自由を掲示し、領内でのキリスト教布教を許可したことに現れている。
しかし……ゼルファは後世の人間だから知っている。正宗のこの男との関わりが彼の娘、五郎八を悲劇的運命に誘うことになるのだ……。


少女の話が終わるや、無言のまま梯子を昇り、奥の二階部屋に引きこもったアイリーンはいまだ姿を現す気配を見せない。普段は憎らしいほど泰然自若としているシンイチが、頻繁にその部屋の方へ心配そうな視線を向けているのが、ゼルファの癇に妙に障る。
「だから、心配する必要はないって言ってるでしょ?」
何故自分がむきになって声を荒げているのか、ゼルファ自身にも分からない。ただその苛立たしさ、胸を満たすその感情に振り回される自分に不思議な懐かしさも付きまとう。それこそ夢の中のように不確かで莫としたものでしかないのだけれど。
とりとめない思考を振り払うように首を振り、ゼルファは改めて繰り返す。
「大丈夫。あの子の書く記事はあの子なりの正義の現れなのよ」
アイリーンの筆があまりにも苛烈に走るのは、自分の無力さへの苛立ちの裏返しなのだ。
彼女が直面する現実はあまりにも醜く、歪み、そして厳然と彼女の行く手に立ち塞がる。
それを前にしても自分一人では何もできない。心が張り裂けそうでも、泣き、叫び、喚こうとも、それだけでは現実は決して変わらない。
しかし如何に現実の壁が高く、強固であっても、それに対して何らかの行動を起こさない限り、その壁に傷の一つとしてつけられない。だからアイリーンはペンを武器にして闘うのだ。
それが時として自分の身に強烈な反作用として跳ね返ってきたとしても、アイリーンは決して筆を止めようとはしない。それでも……アイリーンは虐げられた者に対して見て見ぬフリだけはできなかった。
それが彼女の、アイリーンのこの世界に対するスタンスだからだ。
「だから、大丈夫。あの子は自分の弱さを知っているから」
「マスターにしては論理的な解答じゃありませんね」
にべなく言い捨てシンイチは宿の外に出ていく。ゼルファは首を振り、そのまま口を閉ざす。彼女自身もそれでシンイチが納得するとは思っていないからだ。
だが、ゼルファの耳は木の葉の囁きのようなシンイチのつぶやきを捉えていた。
「でも……確かにアイリーンさんなら、アイリーンさんなら……」


「こんなものしか御用意できず、申し訳ありません」
少女は伏目がちにしてゼルファたちに詫びた。
確かに用意された食事は貧相なものではあった。乾燥大根を賽の目に刻み、釜の底に敷いて米と塩を入れ炊きあげた干し大根飯。干した里芋の茎を味噌で煮込んで乾燥保存して作った味噌イモがらを刻み、熱湯に入れた味噌汁。あけび、やまぶきなどの木の芽。
食材自体は貧しいものには違いなかったが、少女の真心と繊細さがこの料理からは伝わってきた。
中でも雑炊の上に乗せられた山椒の清新な香りは、落ち込んでいたアイリーンにようやくいつもの笑顔を取り戻させた。
少女の心の籠もった食事のお陰で、ゼルファもその晩は速やかに眠りに就くことが出来た。いつもの悪夢にうなされることもなく。

翌朝、陽も昇りきらぬうちに起き出したゼルファたちは手早く出立の準備を整えた。
これ以上少女の好意に甘えれば彼女にまで害が及びかねないからだ。だから朝食も最初は遠慮したのだ。だが、少女の強い勧めで食事だけは摂ってから出立することとなった。
「いただきま〜すっ!」
元気よく日本語でそう言ったアイリーンは、味噌汁の入ったお椀を行儀悪く流し込もうとして、その手にしていた鉄箸をピタリと止めた。
静かに椀と箸を置くと……そのままボロボロと涙をこぼしはじめる。
一拍遅れてそれに気付いたゼルファは、少女に詰め寄ろうとするシンイチを手で制する。そしてしばらく少女の瞳を見つめていたが、悲しそうな声で呟くように言う。
「貴女……そこまで外国人が憎い?」
通訳は不要だった。その言葉を聞いた瞬間、少女はばっと床にひれ伏し、泣き出した。「……兄様……兄様……兄様……」
何一つ詳しい事情は分からなかった。
だが、泣きじゃくる少女の嗚咽に混じって「兄様」という言葉が繰り返し繰り返し出てくることで、朧気ながらもゼルファたちにも彼女の事情は理解できた。それに昨日聞かされた話を加味すれば解答は明らかだった。
この村を地獄に突き落とした兄弟が“緑色の瞳”と“亜麻色の髪”をしていたという事実が、この村の憎悪を殺意にまで沸騰させていたのだ。


はじめに閃光が奔り、続いて空間さえをも断絶するような銀光。ピースメーカーに装填された弾丸の炸裂音。
決着は……一瞬だ。
弾丸と、アイリーンの手から放たれた鉄箸により穿たれた壁の向こうから朝陽が差し込んでくる。ようやく輝き始めた朝の陽は、手足を撃ち抜かれ苦悶のうめき声を上げる男たちの影を宿内に映し出す。
「追わなくていい!」
扉を蹴倒し、襲撃犯を追おうとするシンイチをゼルファは押しとどめる。鈍柿色の装束に、黒皮の脛当てを着けた六人の襲撃犯は手足を引きずりながら朝陽に向かって逃げ出していく。
「ですが……!?」
宿内の物音に二人は、はっとして振り返る。
そこには味噌汁の椀を少女から奪いとったカペ。その傍らでは少女が自失の状態で、椀の中身を飲み込もうとした姿勢のまま硬直している。滂沱の涙を流しながらアイリーンは胸の辺りで少女の頭を抱きかかえ、その頭を撫でながら「ゴメンネ」と何度も呟く。
「……ベラドンナか」
椀の底に残った味噌汁の臭いを嗅いだゼルファがポツリと言う。
自身の言葉に激昂したゼルファは、端正な顔を怒りで歪める。激情のままに椀を叩きつけようとするが……少年の視線に気付き、その手を止めた。
その瞬間、ゼルファは唐突に悟った。
この眼だ。湖面の波のように穏やかでいて、どこかしらに空虚を抱えたその双眸。それがこの少年に感じた懐かしさの真因だということに。
――私は確かにこの眼をいつか見たことがある。でもそれは一体何時のこと?
四半刻ほども経ったろうか。少女はアイリーンの腕の中で泣き疲れ、眠りに落ちていた。少女を優しく寝かしつけたアイリーンはすくっと立ち上がる。
その目にはもう――涙はない。
「絶対に許さない」
何の罪もない少女を巻き込み、その心に一生消えぬであろう傷をつけた者たちに対する、それがアイリーンの宣戦布告だった。
《第6章》「隠れ里」に続く。