Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第8回の問題は、日本人の宗教観からの出題。
亡命ロシア人革命家メーチニコフは東京外国語学校に奉職中、生徒からロシア語学校に転校したいと申し出を受けた際「ロシア正教徒にならないといけないよ」と伝えましたが、彼は「夏なら我慢出来ますけれど、冬じゃたまりませんね」と答え平然としていました。少年は何故、もしくは何を「冬じゃたまりませんね」と云ったのでしょう? というのが今週の問題でした。
実は今週は問題の出し方が微妙に悪かったですね。とりあえず今回の正解は「洗礼」、この場合は入信の儀式ではなく「水を浴びること」そのものなのですが、御存知の方も多いと思いますが、同じ正教会系でも洗礼のやり方は様々なようで。
大きく浸水(全身を水に浸す)と潅水(頭部のみ水に触れる)に分かれ、更に潅水は二つの形式に別れ、それぞれを浸礼・潅水礼(頭部に水を注ぐ)・滴礼(手を濡らし、頭に押し付けて水に沈める所作を真似る)と呼ぶようです。
更に云えば「川の水に浸かる」というのが元々の原型でして……と云うことで、Ironさんの「正教徒になるには裸になって聖水を浴びる必要があるから」以外にも、ゼノゼノさんの「みそぎ」、Mr.ROMさんの「川に入る(水に濡れる)」も正解と云うことで。
自分が以前見た海外の映像ですと、頭から水を掛けるだけとは云え、本当に豪快に大量にぶっかけていて驚いたり。どうも我々の一般的なイメージの洗礼とはイメージのギャップがあるようなw。


ともあれ、メーチニコフは筋金入りの共産党員&無神論者であり、これほど平然と、一生どころか「死後」まで決めてしまう選択をする日本人を目の当たりにして「宗教の方面で、日本人はかくも無関心であればこそ、彼らの前進的運動も容易なのである」と喜ばしげに書き残していますが、正直内心どう思ったのでしょうか?
そして日本人の宗教に対する無関心さは、時には暴走し出すと止まらない訳で……と云うのが、第6章後半のお話。自分的にはこの物語中、どうにも一番上手く書けなかったところなので、強引な展開は申し訳ないですm(_)m。


3.
村外れの善根宿は予想以上に小綺麗でさっぱりした作りだった。 
気持ち悪いくらい静かに夜は更けていく。しばし身体を休め、竈で炙った乾し肉で夕食を済ませた私は溜息を吐き出してから二人に声を掛ける。
「Sin、今日は寝ずの番を宜しくね。それとアイリーン、すぐに逃げ出せる準備をしておきなさい……って、何やってんのよ、アンタたちは!?」
「威力偵察!」
私の追求に簡潔かつ明瞭に妹は答える。
「うーん、地図にも載っていない謎の村に迷い込んだ主人公たちが巻き込まれるミステリアスな展開。読者受けすること間違いなしだわ!」
そう自己陶酔気味に語ったアイリーンはシンイチとカペを供に飛び出していく。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
呆気にとられていた私も慌ててあの娘の後を追った。


先程の館は中から鍵が掛けられていた。
しかし、アイリーンは何ら躊躇うこともなく、針金を使いその閂をあっさり開錠する。シスター姿の少女が深夜、見ず知らずの館に忍び込もうとするその光景は、他人から見れば壮絶な誤解を受けかねない。いや、この場合、まるっきり誤解というわけでもないのだけど。
館内部の正面身廊の左右には太い檜の柱が整然と立ち並び、この館が「三廊式」の構造となっているのが分かる。
身廊と内陣、つまり館の一番奥まった所を結ぶ縦の軸と、南北に出っ張った部分の北袖廊と南袖廊が構成する縦の軸が交わる所。建築構造上、交会部と呼ばれるそこに数十人にも及ぶ村人が集まり、熱心に祈りの文句を唱えている。

『ぱらいぞと申するは、天星月、天の御使と聖人とに限り、おのれの喜び被る処なり、いんふぇるのと申するは、大地な底に、暗き処に、もろもろの獄卒に従い、人間の魂、限りなし苦しみ受け来る処なり。如何に黒須、自らかからせ給う、人間の悪行の給いや、御印をもって拝み奉る。天のぱらいぞ様の、おのれの喜び受け取らっしゃりたる、御一体様、十文字の黒須の御光どころ、是非ともに』

祈りの文句は別段、珍しいものではない。宣教師たちは世界各地で分かりやすく祈りの文句を改良し続けているからだ。そしてこの館が『中世のゴシック風教会建築』を模したものであることからも、かつてこの地にキリスト教が流布した形跡があるのは明白だ。
ただ、眼前の儀式が問題だった。
数百本の蝋燭で照らし出された内陣で村人たちは鶏を次々に絞め、牛の首を落とす。その血を用いて描かれた文様は魔法陣を形作る。銀の器に湛えられた鮮血は内陣の奥に備え付けられた小さな木像とその傍らの髑髏に注がれていく。
それはアイリーンのいつぞやの乱痴気騒ぎではない……正真正銘の黒魔術の光景だった。
「どうやら隠れキリシタンの集会みたいですね」
シンイチはあっさり恐ろしい判断を下す。
「ちょっと! 明治政府はまだキリスト教徒を弾圧している訳!?」
「まさか! 治外法権の一刻も早い撤廃だけを目標にしているような政府が、諸外国の手前、そんなことする訳がないでしょう!」
慌てて問い返す私に、シンイチは断言する。
「じゃあ、一体これはどういうこと?」
「これはあくまで僕の推測ですが……」
予め断ってからシンイチは続ける。
「彼らは自分たちの信仰をキリストと思っていない節がありますね」
「はあ? それって一体?」
「彼らは自らの信仰をキリスト教とは認識していないのでしょう。先程のオラショから推察すると、彼らにとって《神の子》とはキリストではなく《御一体様》なんですよ。
似たような事例は長崎の五島列島でもあったと聞きます。キリスト教解禁後、その地を訪れた宣教師は、彼ら『隠れキリシタン』の信仰はもはやキリスト教とは全く別種のものであると報告しているそうです。
ですから彼らはその信仰を『決して明かしてはならぬもの』という認識しかない。キリスト教が解禁されたことと彼らの信仰を明らかにして良いと言うことは明らかに別儀なのです」
「なるほどね」
シンイチの見解に一応頷いて見せる。
「ともかく、この現状を打開するのに何の役にも立たない講釈を聴く気はないわ。目撃されたと知ったらただじゃ済まないのがお約束よ。ほら、さっさと逃げ出すわよ!」
アイリーンの首根っこを掴まえて引き戻そうとするが……一歩遅かった。
私たちが侵入した扉が音をたてて閉じられる。揺すってみるが、びくともしない。
あっという間に完全に囲まれていた。取り囲んだ村人は一斉に着ていた衣を放り捨てる。薄汚れた衣の下から身体にぴったり密着した濃茶や鈍柿色の装束が現れた。
彼らはいずれも――黒革の脛当てを着けている。
「なるほどね、ここが本拠地だったわけ」
私は自嘲気味に呟く。
「蘇天様の予言は成就せり!」人垣の中から先程の平目顔の男が現れ、高らかに告げる。
『闇の日輪、中空に輝きし時 御剣、約束の地に降りたち、主の血を吸わん。されば、真の主蘇り、大いなる栄光を与えん』
謳うように予言めいた文句を吐き出すと、平目男は手を挙げた。次の瞬間、突然私たちの立っていた床が左右に割れ、私たちは真っ逆様に落ちていった……。


「いたたたたたっ」
アイリーンの声でようやく私は覚醒した。全身が悲鳴を上げていた。痛みに耐えて懐の中をまさぐり、如月を確認する。ついで蝋燭と発火石を取り出す。頼りない蝋燭の薄明かりに照らし出されたのは意外に広がりのある空間だ。
「アイリーン! Sin! 無事!?」
「うん……なんとか……」
「ええ……お陰様で……」
予想外に近いところから二人の声が聞こえてきた。
「キキッキッキッ!」
存在を忘れられたことに抗議するように、カペが奇声を上げる。
私はもう一本蝋燭に火を灯すとカペに手渡し、意外と広い空間の奥行きを調べさせる。洞窟の奥へと頼りない灯火が駈けていく。奥行きは五〇フィートほどはあるようだった。
行き止まりに突き当たったカペは足場を利用して駆け上がろうとするけれど、足場は二フィート足らずしかなく、虚しく引き返す。
その時だ。私の視界に何やら人の姿らしきものが過ぎる。痛む足を半ば引きずるようにして彫刻とおぼしきものに近づき、蝋燭を高々と掲げる。
それは……茨の冠を被せられ男が、十字架に掛けられている木像だ。
「おやまあ、珍しい。ここに生きたままのお客が来るとはな」
一瞬、目の前の像が口を利いたかのような錯覚に襲われ、私は背後に飛びさする。
が、足がいうことをきいてくれない。尻餅をつくかのような形になってしまう。
「無理をするんじゃない。あの高さから落ちたんだ。命があるだけで運がよいのじゃぞ」
しゃがれ声は像の足下からあがった。
警戒しながら蝋燭を近づけると、ひどく背の曲がった老婆の姿が浮かび上がる。顔はしわくちゃでかなりの高齢と思われたが、口調は存外若い印象を与える。背後からアイリーンが近づいてくる気配がする。確かな足取りだった。呆れたことにこの子たちは殆ど打ち身もないらしい。
「一切が謎に包まれた村。邪教の暗躍。古めかしい予言。曰くありげな像。迫害される清純な乙女。そして幽閉された全ての秘密の鍵を握る老婆。ゴシックロマンの舞台装置としては殆ど完璧ね!」
「そう言えば上の建物は典型的なゴシック式大聖堂と同じ平面配置でしたしね。あ、そうそう、あの青い花ベラドンナですね? 実物は初めてみましたけど」
「ア、アンタたち、そこまで気付いていて……」
呆れ返ってそれ以上の言葉が出てこない。
「殺されかけた割には元気な子たちだね。しかし、まさか蘇天様も五郎八姫様も《約束の日》にあんたたちみたいな子が来るとは思っても見なかったじゃろう」
老婆の口から「五郎八」という言葉が出たのに私は緊張する。シンイチに通訳させて、これまでの経緯を語る。老婆は一つ嘆息してから、疲れたように言う。
「なるほど、やはり情報として知ってはいても外部の人間から直接聞かされると新鮮だね。私がここに二〇年も閉じこめられているうちに、外の世界はそんな風になっていたかい」
「二〇年!?」
「そうさ、私の我が儘娘がこの村を出奔しい以来だから、もうそれくらいにはなるね」
老婆は自嘲気味に呟く。
「……貴女は一体?」
「過去の遺物だよ」
私は声の発せられた方角に視線を向ける。像から少し離れた所にある石造りの扉が開け放たれ、薄明かりが漏れてくる。
漏れ出た光で、初めてこの空間の正体に確信が持てた。
ここは……鍾乳洞を利用した地下の大聖堂だった。地上の建物同様、内陣が設えられており、その中心にいるのは無論、主イエスだ。いや、彼らにしてみれば《御一体様》か。
現れたのは先程私たちを奈落の底に突き落とした男だ。男は袖口の大きく開いたダルマティカの上に、豪奢な刺繍の施されたコープを纏い、頭の上には紫色のカロット。典型的な司祭服だが相当の年代物だ。
一瞬ここが日本の奥地であるという事実を忘れそうになる。
「このように簡単に事が運ぶのであったら夷人どもと手を組むのではなかったわ。我らが神はこの日、この瞬間のことまで全て、二五〇年以上も昔に預言されていたのだからな」
無論、私はたった一つの《例外的事象》が絡まぬ限り預言など信じない。しかし、だ。
『闇の日輪、中空に輝きし時 御剣、約束の地に降りたち』
事態は男のいう《預言》通りに進んでいるという。
となれば、導き出される結論は一つだ。
「御剣如月を渡して貰おうか。そして十六夜婆さん、最後の役目、果たして貰おうか?」
「ヤなこった! この平目男!」
アイリーンの痛烈な拒絶と罵声が繰り出される。ベーっと行儀悪く舌まで突きだして見せる。男は虚をつかれ一瞬沈黙した後に、顔色を変えた。
「こ、この小娘っ! 選ばれた民、その指導者である私になんという非礼! よかろう、如月を回収するのは貴様らを惨たらしく殺した後だ!」
「おや、生意気なくせに意気地なしだったあの長恒坊やがすっかり偉くなったもんだねぇ」
十六夜と呼ばれた老婆はあからさまにからかい口調で男に声を掛ける。
「ば、婆ぁっ!」
長恒、というのがこの男の名前らしい。見た目以上に単純で暴発しやすい男のようだ。背後に控えていた黒革の脛当てをつけた男たちが、銃口を上げる。
「おやおや、正宗公と五郎八姫様の遺命を破る気かい? 《三日月様》の血を引かれる方が如月とともに現れるその日までこの村を守り通せという遺命を、三日月様の側近中の側近、支倉常長殿の子孫であるお主が!」
老婆の揶揄するような声は老齢とは思えぬ迫力があった。長恒は気圧され気味にしながらも、精一杯の虚勢を張って反論する。
しかし……調査対象の固有名詞に混じり名が出た《三日月様》というのは一体誰のことだ?
「ふん、もはや幕府は瓦解し、今では伊達藩ですら失われた。そして預言通りに如月を持ち込んだコイツらも異国のスパイでしかない。となれば、我々が採るべき道は一つ。
如月とともに五郎八姫様の最後の直系の血筋であるアンタの血を《御一体様》に捧げ、蘇天様の秘宝を復活させるのだ! 
我々は《御一体様》により選ばれた民なのだ。蘇天様の秘宝を使い、夷敵を排斥する使命があるのだ!」私は眼前の『狂信者』の口上に対する興味を失った。文化的背景を超越して、この手の手合いの主張は奇妙なほど似通ってくるからだ。
「ねえねえ、こういうのも『血みどろの血族関係』って言うのかな?」
「うーん、どうでしょう? ちょっと違う気がするんですが……」
緊張感を母の胎内に置き忘れたとしか思えぬ二人ののんびりした会話が聞こえてくる。
「困ったなぁ、今回の一件は旅行記から独立させて小説の形で発表するつもりだったのに、物語の軸が決まらないわ。これじゃあ『ガリョウテンセイ』だわ」
しばし考え込むそぶりを見せたアイリーンは、何か思いついたらしくポンと一つ手を叩く。
「そうだ! シンイチ! お前が勇者様になってよ!」
「はい?」
流石のシンイチもきょとんとした表情を見せる。
「だから、こういう物語の、こういう絶体絶命の場面では、清純な乙女を守ってくれる高貴な血を引く勇者様が現れるのが『お約束』なのよ」
「ボクにその役を務めろ、って!?」
珍しいシンイチの狼狽する姿が看て取れる。
「というわけで、シンイチ、ちゃんと勇者様の役目を果たしてね」
アイリーンは何人も抵抗し得ぬ極上の笑みを浮かた。が、驚いたことにこの少年はなおも抵抗を試みる。
「そ、そんなぁ、ボクはしがない通訳兼召使いに過ぎませんよ。それにね……」
「き、貴様ら、一体何を言っておる!?」演説を邪魔された男が憤怒の声を上げる。これが普通の人間の反応だ。だけど「普通の人間」では決してアイリーンに勝てるわけがない。
「フン、貴様らのような夷人に我々の高尚な理想を説くだけ無駄だけだったようだな」無論、そんなもの最初から聴く気もないし、説明を求めた覚えもない。
「構え!」
何故こういう羽目に陥るかな、とボヤキながら私は覚えたての日本語で云う。
「アイリーンの言い草じゃないけれど、最後に悪役はこれまでの全部の種明かしをしてくれるんじゃないの?」
それを冷笑で迎えた平目男は、無言で手を挙げる。
「長恒、お主がそういう心づもりなら私にも考えがあるよ。老いたとはいえ、お主たち、私の腕は十分知っているだろう?」
十六夜老のその淡々とした言葉に、平目男ではなく銃を手にしていた男たちの方が緊張で全身の筋肉を強張らすのが看て取れた。屈強な男たちが、この老婆に対し底知れぬ恐れを抱いているのは明らかだ。
「……ふん、よかろう。冥途の土産に何なりと訊くがよい」
場の空気を敏感に読みとった平目男は、取り繕うように尊大に口を開く。
「じゃあ、順を追って質問させて貰うけれど《五郎八姫》というのは、伊達政宗の娘である《五郎八姫》のことね?」流石にもう日本語では無理なので、シンイチに通訳させる。
「そうだ。我々の村を開いたのは五郎八姫様だ。五郎八様御自身は下愛子村に隠棲されたが、五郎八姫様と松平忠輝様の隠れ姫が住まうために作られたのがこの村だ。その十三代目の直系の子孫がそこにいる十六夜婆さん、というわけさ」
余程十六夜媼に含むところがあるらしく、長恒は彼女を睨みつける。
「怪談に出てくる『マヨイガ』というのはここのことね?」
「ああ、この地は伊達藩に陰ながら庇護され一種の『隠里』のようになっていはいたが、それでも迷い込んで来る者はいてな。ふん、運のない人間はどこにでもいるものだ。もっとも、協力者となると誓った者はそれなりの富を保証して里に返してやったがな」
なるほど。あまり複雑でも高度でもないやり口だ。でも……。
「それじゃあ『山人』というのは一体なに? 『手足の長い妖しげに光る眼をした大男』というのはマヨイガに近づけさせないための作り話?」
「そいつは違うんだよ、お嬢さん」
口を挟んできたのは十六夜媼だ。
「長恒、いい加減にその下手糞な変顔術を解いたらどうだい?」
平目男は一つ舌打ちすると、すっと背を伸ばす。
日本人離れしたすらりと伸びた手足が露わになる。顎下に手を掛けると、そのまま自らの顔を引き裂くようにする。
皮製の仮面の下から現れたのは彫りの深い顔に、高く長い鼻。そしてその瞳に頂くのは……淡い青色の眼だ。
「かつて蘇天様と供にイスパニアに渡った支倉常長殿がかの地の女との間に産ませた子の子孫がこの子さ。常長殿は帰国後幽閉されたが、正宗様の計らいでその子は五郎八姫様の隠れ姫同様、ここに匿われた。五郎八様が隠棲された愛子村では仙台に近すぎてこの子の先祖の容姿では目立ちすぎたからね。
それから二五〇年、徐々に血は薄まったものの、この村にはイスパニア人の血が残り、その容貌を見た里の村が勝手に『山人』の伝説を築き上げてくれたわけだ。もっともその方が我々にとって好都合だったしね」
一つ頷いてから私は確認の問いを繰り出す。
「蘇天様、というのはルイス・ソテーロ神父ですね?」
「つまらない子だね。そこまで知っているなら、私が何も教える必要はないじゃないか!」
そう豪快に言って、十六夜媼はひとしきり笑った。この老婆は一体……?
「マスター、アイリーンさん、先程のお話ですけど……」
珍しく余分な口を挟まず通訳をしていたシンイチが、おずおずとした口調で切り出す。
「ボクなんかに頼らなくても勇者様なら間もなくいらっしゃいますよ。マスターもとっくにお気づきだとは思いますけど」
私たちの頭上で何やら金属音と銃声が立て続けに起こる。
後に残るのは……湖底に沈殿した死のような静寂。
「な、何事だっ!?」
長恒が狼狽の声を上げる。
「騎兵隊の到着、ですよ。但し何故かその指揮官はフランス人で、たった一人の兵士は日本人ですけど」
シンイチは酷くあっさりした口調で告げた……。


「長恒様、聖堂に詰めていた者が、私を除いて、全て、全て……」
絶え絶えの息の中、顔の右半分と右脇を血に染めた男がよろめくようにして現れる。
「馬鹿者! 御前様と呼べといっておるだろう! 御前様と! くそっ、夷人め、裏切りおって。やはり夷人など最初から信じるのではなかったわ!」
「先に裏切ったのはお主たちであろう? 盟約に背いた者の当然の報いじゃな」
十六夜媼は皮肉一杯に言うと、私の方へと向き直る。
「お嬢さん、もう聞きたいことはないかね?」
「今ので大体事情も飲み込めました。最後に一つだけ。貴方たちに接触してきたのはカションの方だろうけど、ヤツが何故この村の存在を知ったのか、貴方聴いている?」
平目男は質問の意図さえ汲み取れなかったらしく、不得要領な顔を見せる。
「じゃあ、もうアンタに用はないわ。上から来る連中に殺されたくないのなら、とっとと逃げ出す事ね」
「き、貴様ら! 自分たちの置かれた立場が分かっておるのか!?」
「あら? 分かってるつもりよ」
私とよく似たその声が平目男の背後から聞こえてくる。
振り返った平目男の目に映ったのは、彼を守るように固めていた男たちが無音のまま全て昏倒させられている姿。アイリーンはわざとらしく、手についた埃を祓ってみせる。
「どうされる、もう一人のお嬢さん?」
十六夜はアイリーンに声を掛ける。
「お嬢さんはコイツに含むところがあるようだけど、どうしたい?」
私は今度こそ本当に驚いた。
この老婆はいつもと変わらぬ一見ふざけているとしか思えぬアイリーンの言動から、あの子の怒気を正確に読みとっている!
妹も一瞬虚を突かれたようだが、無言のまま首を振る。敵ながら一廉の戦士だった配下の男達ならともかく、血筋だけで村の頂点に君臨したきたこの男は憎しみに値すらしないからだろう。
無造作に踏み込む私に恐怖した平目男は、昏倒した男から銃をもぎ取り私に突きつける。私はその銃身をはたき男の背後に回り込むと、延髄を銃底で殴りつける。
「しばらく眠ってなさい。審判はアンタが裏切った男に委ねることにするわ。いいわね?」
アイリーンが頷くのを見ると、十六夜媼はやれやれとばかり口を開く。
「私の管理不行届でお嬢さんたちに不快な思いをさせたようだな。詫びに私が知る限りの事実を伝えよう」
「ええ、お願いできると幸いです。ですが、落ち着きませぬゆえ出来ればその偽りの仮面を脱ぎ捨て、貴女の本来の姿に戻った上で語って下さると有り難いのですけど」
十六夜媼は文字通りの、作り物めいた笑顔を浮かべた。
「やはり三日月様のように完璧にはいかぬか。私も長恒のことを言えぬな」
老婆、いや十六夜は先程の会話でも繰り返し現れたその名前を呟くと、すくっと立ち上がった。
曲がっていた背中がまっすぐ伸びる。顎下に手をやり、顔の皮膚をめくるようにする。剥ぎ取られたのは樹皮と動物の皮で編まれた老婆の仮面。
面の下から現れたのはまだ黒々した髪を保つ、妙齢の美女の顔だ。
「凄い、凄い、凄い。うわぁっ、これ、どうなってるの?」
十六夜の脱ぎ捨てた仮面を手に取り、アイリーンがはしゃぐ。そんなアイリーンを呆れたように、同時に微笑ましく見つめていた十六夜が再び口を開く。その声は最早しゃがれ声ではなく、瑞々しい若い声だ。
「ふむ、ここでは落ち着いて話も出来ぬな。そなたの持つ如月を貸すがよい」
その彼女の言葉に魔力が籠められていたかのように私は何の抵抗もなく如月を差し出してしまう。
彼女は如月を抜くと、左手の親指を傷つける。そしてその手から零れ落ちる血を如月の鞘に巻き付いた竜の彫刻に垂らす。鮮血が螺旋を描くように竜身を浸していく。それを確認するや、十六夜は如月の鞘をキリスト像の右脇に何の躊躇いもなく突き立てた。
「うわ〜ぁっ、すっご〜〜〜い!」
アイリーンが再び歓声をあげる。十六夜が突き立てた鞘を抉るようにねじ込むと、十字架に掛けられた男の像が機械音をたててくるりと回転する。
十字架像の背後に隠された扉が私たちの前に姿を現した。
「……灯台もと暗し、か。何故こんな単純なことに気付かなかったのかしら?」
二五〇年以上にもわたって国際謀略の小道具となってきたこの剣の秘密を暴くのに、暗号研究家など最初から必要はなかったのだ。如月の秘密はそこに記された言葉に意味があるのではなく、剣の鞘に刻み込まれた精緻な彫刻そのものが鍵となっていたわけだ。
隠し扉を潜ると、長く伸びた鍾乳洞と直結していた。地獄へ通じる回廊のように伸びる鍾乳洞を、無言で歩み続ける。


暗闇の中を歩み続けたため時間の感覚が失われ始めた頃、鍾乳洞が突然ぱっと開けた。頭上の僅かの亀裂から月明かりが差し込んでいる。
先程までいた地下の大聖堂には及ばぬものの、ちょっとした広間のような空間だ。
その広場の中心には下愛子村で見たのとそっくりの、二体の木像が安置されていた。
十六夜は愛おしげにその像を撫でながら、口を開く。
「私の知る限りの物語を語ろう、この村の始まりと役割をな。それは二七〇年前にこの島国で繰り広げられた物語だ……」
(次回、幕間「縁」に続く)