Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第9回。
今回の《幕間》で物語の発端が語られます……。


《幕間》縁
夕暮時、少年と少女は名残惜しそうにしながらも、屋敷へと帰路を取る。
「忠輝さま」
桜色の着物を着た少女は少年の前へ小走りで走って行き、クルリと振り返る。
辻に植えられた桜の木から淡雪のような花びらが舞い散る。鳥の濡羽色のような髪がゆるやかに舞い、蝶の羽根のように着物の裾が翻る。
「ん? どうした、五郎八?」
生まれた直後その恐ろしげな容貌から、実の父から「捨てよ」と命じられたという伝説を持つ少年。それが信じられぬほど、涼やかで人懐っこい笑顔を浮かべる少年を正面から穴のあくほど見つめていた少女は満足げに頷いて口を開く。
「だぁ〜いすき、忠輝さま」
すらりと言ってのけた少女は、少年に抱きついた。
この二人は三年前に婚儀を終えているが、幼年のため、同じ敷地に住みながら別の屋敷で寝起きしている。だが二人は幸せだった。同時にいまこの瞬間こそが、二人の人生で最も晴れがましく、最も幸せなときであることを彼らは知らない。
少女の名は伊達五郎八。少年の名は、越後福嶋藩七五万石藩主松平上総介忠輝。
そして少女の父を独眼竜伊達政宗、少年の父を征夷大将軍徳川家康と云った……。

黄昏の支配する辻の真ん中で、猫のように甘える少女の背後に突然気配が立ち上る。
「五〜郎〜八〜っ! そ、れ、に、忠輝さまぁっ!!」
強烈な怒りの炎を撒き散らし現れたのも少女だ。身体に密着した柿色の装束を纏い、黒革の脛当てをした少女は、握りしめた拳を震わせ、秘めた感情を炎のように吹き出す。
「だって忠輝様が花御覧の宴に連れていってやるって仰るから……」
五郎八は悄げた眼で、叱責する少女を上目遣いで見る。その目に一瞬怯んだ柿色の装束の少女は内心の葛藤を振り切り、叱責を続ける。
「だからと言って、屋敷を無断で抜け出していかがわしい者が集まる祭りに出かけることはないでしょうがっ!?」
「そういう物言いは止せ!!」
忠輝は短く、鋭くぴしゃりと言い切った。「しかし……」
「オレも、あの者たちも同じ人だよ。それに今日はオレが誘ったんだ。五郎八を責めるな」
「……申し訳ありません」
少女は少しだけ悲しそうな顔をして、それだけ答える。
「忠輝さま、だぁ〜いすき」
忠輝の言葉に感激した五郎八は、もう一度彼に抱きつき、嬉しさの余りについ口を滑らせる。
「この前から今日お祭りがあることを忠輝様だけに話しておいて良かった〜。三日月姉様の耳に入ってたら絶対屋敷からも出られなかったものね」
「やっぱり最初から計算ずくかぁっ、アンタは!」
黒革の脛当てをした少女三日月は「自分と同じ顔をした少女」五郎八の後頭部を張り倒した。

五郎八姫は文禄三年(一五九四年)六月、京都の聚楽屋敷において、正宗とその正妻愛姫との間にもうけられた第一子だ。彼女が仙台とは遠く離れた京都生まれなのは、母である愛姫が関白秀吉の人質政策の対象となっていたからだ。
愛姫の生家は田村一族。征夷大将軍坂上田村麻呂の後裔であり、東北随一の名門だ。正宗が権力基盤強化のためにも彼女から生まれた男児を伊達家の跡継ぎにしたいという強い想いと失望の裏返しが「五郎八」という明らかに男児に与えられるべき漢字に表れている。
無論、公式には彼女に姉の記録など一切ない。ましてや双子の姉の存在など。
何故秀吉の目を盗んでそのようなことが可能だったかといえば、彼女が仮死状態で生まれてきたためだ。当時は現在以上に双子は歓迎されざる存在だったことも相俟って彼女はその後の蘇生にもかかわららず、「死児」として扱われた。従って彼女に関しては、その痕跡どころかその名すら後世には伝わっていない。
《三日月》それが口伝で伝えられている彼女の名だ。その名は「伊達者」と呼ばれた正宗の兜の前立物を彷彿させる。
松平上総介忠輝は家康の六男として文禄元年(一五九二年)正月、江戸に生まれた。
彼は家康の数多い息子の中ではとりわけ異質な人生を送ることになる。彼の生母は家康の側室中で只一人の庶民の出身だった。それも影響したのか、もしくは生誕時の伝説が事実だったのか、家康の息子たちの中でも格段に低い扱いしかされていなかった。
だが、それが少年の人格形成にとっては怪我の功名となる。いや、彼の「徳川家の御曹司」という立場に立っての人生を通してみると、それは悲劇をもたらすものでしかなかったのだが。
忠輝はしばしば江戸城を抜け出し、庶民と交わることを好んだ。その中には浅草に教会を開いた医師ブルギリヨもいた。彼を初めとする西洋人との付き合いが少年を国際的視野を持つ人間にした。
忠輝のことを当時の外国人たちは彼の上総介という官位にちなみ、こう呼んだ。《カルサ様》と。無論外国人からこのように親しみを持って呼ばれた徳川家の御曹司は彼のみだ。
だが、彼のことを家康が認めたのは婚姻政略の道具として、だ。
忠輝と五郎八の婚約が発表されたのは慶長四年(一五九九年)、太閤秀吉の死後まもない頃だ。忠輝八歳、五郎八姫六歳。これは無論当人同士の意志ではなく、家康と政宗の同盟関係を明らかにする為のものだ。秀吉の布告により大名の私的婚儀が禁じられていたため、秀吉の死の直後のこの婚儀は大きな波紋を引き起こし、これを遠因として遂には関ヶ原の戦いへと発展して行くことになる。
二人の正式な婚儀が江戸の松平屋敷で執り行われたのは慶長一一年(一六〇六年)一二月二四日。忠輝一五歳、五郎八姫一三歳。
このとき初めて二人は顔を合わすことになるが、二人は一瞬で恋に落ちた。五郎八姫は婚儀の日が偶然にも一二月二四日という日に執り行われたことへの心からの感謝の祈りを聖母に捧げた。
彼女はその日の意味をよく知っていたのだ。そう、彼女は……キリシタンだった。


「殿、お呼びにより参上いたしました」
仙台藩江戸上屋敷の最奥にある正宗の私室の天井。そこからその声は降ってきた。
「構わぬ、降りてくるがよい」「し、しかし……」
「構わぬと言っておる!」
声の主は音もなく畳の上に降り立つや、腰の刀を鞘ごと抜くと、正宗の前に差し出す。その仕草に微苦笑を浮かべた正宗は優しい口調で告げる。
「それに『殿』などという呼び方もよせ。そなたも五郎八同様……儂の可愛い娘だ」
戦国武将は、情報・謀略戦の為に影の部隊を持っていた。家康の伊賀・甲賀組、信玄の透波集団、謙信の担猿、北条一族の風魔。同様に正宗にも影の直属部隊が存在した。彼らは黒革の脛当てを付け、それを標章としたため「黒脛巾組」と呼ばれた。
そして三日月は……その総帥たる地位を担っていた。
「殿、憚りながら申し上げますが、天下を握るためとは申せ、欲望の塊のような男や夢と現の区別もつかぬ怪僧と手を組まれるのは」
三日月は肺腑の底から絞り出すような声で諫言する。そんな三日月を正宗はしばし痛ましそうに見つめていたが、内心を振り払うように大きく首を振ってから答える。
「儂とてあの二人を全面的に……信じてはおらぬ。だがな……」正宗は大きな息を吐き出しながら続ける。「お主には苦労をかけるが……儂は天下が欲しいのだ」
全ては天下を得るためだった。
敵に捕らわれた父を見殺しにしても、己の地位を脅かさんとした弟を抹殺しても、弟を溺愛した実の母から毒を盛られても闘い続けてきたのはこの手に天下を握る為だ。そして今こそ、その最後の機会であることを正宗は知っていた。
苦い思いだけが残った父との対面を終えた三日月は、天井裏経由で屋敷の出口へ向かう。
既に賽は投げられていた。父上のご側室の病をブルギリヨが完治させたときから? 五郎八がキリシタンに入信したときから? それともあの男、大久保長安が忠輝様の付家老になったときから? 分からない。私にはどこまでが仕組まれたものであったのか……。
「んんっ!?」気付いたときには背後から口を覆われ、身体中の関節を決められていた。
「三日月!」
必死に足掻く三日月の抵抗は、その声にあっさり止む。優しくて、それでいて抵抗の余地を与えぬ厳しいその声に。「忠輝様! なぜこのようなところへ!?」
「義父上は覚悟を決められたか?」
忠輝の短い一言に、二人の対峙する天井裏は凍りつく。
「……な、なんの事を仰ていられるのですか?」
反論が無駄であることを知りつつ、彼女の立場では別の言葉を紡ぐことはできない。
少しだけ悲しそうな目をして、幾分か視線を下に落とす。だが忠輝の追求の矛先は鋭い。
「俺の目は節穴ではない。そなたであろう、義父上と長安との連絡役を務めておるのは?」
大久保長安。忠輝の付家老、つまり越後福嶋藩の実質最高責任者だったこの男は凄まじい異能の人物だった。採掘法に横穴方式を採用し、僅か数年の内に生野銀山佐渡金山の採鉱量を従来の数倍にまで高めてみせ、伊豆の大仁金山を開き、精錬法としては南蛮渡来の水銀流し方法を使用し「日本一の山師」とまで謳われた。
この男が如何に有能であったかは、越後福嶋藩の付家老と同時に、家康から幕府直轄領四〇〇万石の代官を任されたことに現れている。しかし、この男が影で行っていた計画は、とてつもないものだった。
「それで……困窮した諸藩に貸し付けた金子は如何ほどになった?」
忠輝の追求に三日月の顔は死人のように青くなる。それこそが長安の仕掛けた奥の手だったからだ。
長安は半ば黙認状態で鉱山や天領からの収益の一部を着服していたのだが、目的は私腹を肥やすことではなかった。幕府初期の藩替や各種普請により、諸藩は窮乏状態に追いやられていた。そこに目を付けた長安は、彼らに当初低利で金を貸しつけた。この借金が藩財政として看過できなくなった頃、長安は一枚の誓詞を取り出す。これは彼が仕える忠輝に対して忠誠を誓う文書であり、これに大名自らが署名すれば借金を半減するというのだ。
しかし、これは「悪魔の契約書」だった。
長安の真の目的は二代将軍徳川秀忠に代わり、忠輝を将軍の座につけようというものだった。諸大名はこの計画を聞いた途端、顔を真っ青にしたが、自筆の「誓約書」まで取られていては、もはや後の祭りだ。彼らが苦悩している最中にも計画は進行し、諸大名は本格的に叛逆に荷担していく羽目となった。
長安に『横穴式』の採掘法式を伝えたのはソテーロ師だな?」
「…………」
「義父上にソテーロ師が対面できるように計らったのは長安だな?」
「…………」
「今回の長安の計画、知恵を付けたのは義父上だな?」
「…………」
三日月はただ、ただ強く奥歯を噛み締め続ける。痛ましいほど張りつめた少女の表情に気付き、忠輝は素直に詫びる。
「済まぬ、そもそもそなたを責めているわけではないのだ。ただこれだけは教えてくれ。五郎八がキリシタンになったのは本当にあの者の意志か?」
「五郎八は望んで改宗したのです。それにソテーロ師は決して私心のあられる方ではございません」
しかし三日月自身、その言葉が嘘であることを知っていた。五郎八がキリシタンになったのは確かに彼女の意志だ。だが、その意志が形作られるのに明らかに別種の力が働いていたことを三日月は気付いていた。
三日月の言葉を信じたのか、追求しても無益だと悟ったのか、忠輝は同じ問いを繰り返さず、ただ淡々とした口調で自問するように呟く。
「義父上は天下を狙い、長安はその下で臣下としての位を極めんとし、ソテーロ師はこの国に神の国を樹ち建てられようとされている。無論、義父上が天下を握るのに異を唱えるわけではない。長安の官僚としての才能は誰より俺が知っている。それに俺自身はキリシタンではないが、仏の教えでもキリシタンの教えでも、その宗派の如何を問わず何人も 迫害されぬ国があってもよいと俺も思う。では、俺はなんだ? 実の父から捨てられ、義父上も長安もソテーロ師でさえも俺を傀儡としか見ていない。では、俺自身の居場所は一体どこにある? 俺が俺という人間として生きていける世界がこの国にあるのか? 本当に俺という一人の人間を必要としてくれる者がいるのか?」
「…………」
「済まぬな、愚痴を聴かせてしまって。五郎八にこういう話をすると、アイツ、この世の終わりが来たような悲しそうな眼をするのでな」
ようやくいつもの優しい口調に戻った忠輝に、ポツポツと呟くように三日月が口を開く。
「…………御不満ですか?」
忠輝の澄明な瞳に戸惑いが浮かぶ。
「五郎八には忠輝様が必要なんです! 忠輝様が全てなんです! それだけでは御不満ですか?」
躊躇いを振り切り強い口調で言い切ると、きっと鋭い視線で忠輝を見つける。その三日月の瞳に宿るのは怒りにも似た強い感情。
「そうだったな、俺には五郎八がいたんだな。済まぬ、埒もないことを言ってしまって」
忠輝はようやく普段の柔らかい微笑を浮かべた。「久しぶりに屋敷に来るがよい、五郎八も会いたがっている。昔のように屋敷を抜け出して、また三人で花見に行くのもよいな」


「奥州の高貴な一族の宝、ですか?」
三日月が呼び出されたのは幕府転覆計画も煮詰まってきた慶長十七年のことだ。不審な表情を見せる彼女に、正宗は苦笑を浮かべ説明する。
「ソテーロ師によりキリシタンに改宗したある名主がその死に際して――流行病で家族もとともな――師に告解したのだそうだ。彼の家が四〇〇年以上に渡り守り続けてきた『高貴な一族の財宝の隠し場所』をな」
四百年前の奥州の高貴な一族と言えば、奥州藤原氏のことであることは自明だ。
が、戦国生き残りの現実家政宗が「奥州藤原氏の隠し財産」などという怪しげなものの存在を信じるわけがなかった。ただ伊達氏は「奥州藤原氏の末裔」を名乗っている。その名が出た以上、放置しておくわけにはいかなかった。
「今日来て貰ったのは他でもない。お主達に師の埋蔵金探しを手伝って貰おうとな」
「殿! 今がどのような時期か御存知でしょう?」
三日月が思わず声を荒げる。
「だからこそ、だ。《あちらの動き》に際してお主の素性が明るみに出れば全ては破滅だ。それに万が一、師の妄言が真実であったときには取り返しがつかぬ。師は家康殿との親交もある。儂が断れば家康殿に協力を要請するだろう。それだけは避けねばならん。それにその名主が遺した埋蔵金への鍵と伝えられる剣。儂もこの眼で見たが尋常ならざる光を放っておったのでな」
三日月は不承不承、頷いた。だが半年後、三日月は正宗の下に驚愕すべき報告をもたらすことになる。奥州藤原氏埋蔵金は本当に実在していたのだ。
しかしその発見の報がもたらされたのは………最後に生まれてきた戦国武将伊達正宗、彼が天下を獲るための最後のチャンスが破綻に瀕しようとしていた最悪の時期だった。


殆ど成功を収めかけていた計画が頓挫したのは長安の突然の病のためだ。症状は脳溢血。辛うじて命は取り留めたものの、長安は口すら利けぬ有様に陥った。
即座に計画を放棄した政宗は知らぬフリを決め込み、家康に長安の計画を通報した。無論家康も政宗が一枚噛んでいることに気付いていたが、証拠がないし、忠輝や政宗まで処罰するとなると事態の収拾がつかなくなりかねない。政宗を追い込み、兵を挙げられたのでは未だ大坂の豊臣家という炸裂弾をかかえる幕府の全国支配が無に帰す危険もあった。
かくして最終的判断を下しかねている慶長一八年四月、長安が死んだ。
これを幸いに家康は「公金横領」という馬鹿馬鹿しい罪で、長安の一族の抹殺と連判状に名を連ねた大名の処罰を謀り、事態の収拾を図った。問題は正宗と忠輝に対する処遇だった。
そして正宗は……いまだ天下を諦めてはおらず、天もまた彼を見放してはいなかった。
幕府の正宗に対する懲罰を含んだ処置。それはノヴァ・イスパニア、つまりメキシコに対する派遣使節団への人員の提供だった。
この使節はメキシコとの交易のため、幕府が仙台領内の月ノ浦で建造中のガレオン船で行われる予定だったのだが、この頃来日したオランダ人達の意見を総合すると次のような結論が出た。「日本国内のキリスト教信仰を禁止した上でのスペインとの貿易交渉は不可能であり時間と労力の無駄である」という結論が。
結果、家康は急速に使節派遣に対する情熱を失った。だが建造した船を日本近海にあるとされた《金銀島》を探索しにきて難破したスペイン人たちに無償で引き渡すのは自分達の見通しの甘さを世間に暴露することになり具合が悪かった。
そこで幕府からの使者ではなく、政宗の「個人的派遣」という形で事態の収拾を図った。
仙台藩としては貧乏くじを引かされた格好だが、長安事件の無言の軽い懲罰的側面もあった事からこれについては了承せざるを得なかった。しかし、家康のこの処置は正宗にとってまさに天啓だった……。


「殿、まさかそのようなことを本気で……?」
「儂は本気だ。いや。忠輝殿にとってもこれが最良なのだ。今回の一件で忠輝殿は危険人物と判断された筈だ。このままでは早晩、結城秀康殿や松平忠吉殿と同じ運命を歩むことになりかねぬ」
正宗は不自然な早死にをした家康の息子たちの名を挙げる。彼らはいずれも二代将軍 秀忠の治世に邪魔と判断されたものたちだ。三日月は吐き出しかけた不満を必死の思いで飲み込む。
忠輝殿を今回の一件に巻き込んだのは殿たちではないですか!
「しかし、いくらかの埋蔵金という餌があるとしても、忠輝様が直接赴かれ交渉されるとしても、スペイン政府への援軍派遣要請が受諾されるとは到底思えませぬが」
それこそが今回の使節団派遣の真の目的であり、最後の戦国武将伊達政宗の天下を狙う最後の賭け。
客観的に見て正宗単独の武力で幕府を打倒できるわけはなかった。先般の謀略は長安の資金力があって初めて成立し得たものだ。
しかし、形ばかりでもスペイン艦隊と徳川政権が交戦状態に陥れば一体どうなるか? まだ大坂に豊臣家が存続しており、現在の体制に内心満足していない大名は全国各地に満ち溢れている。きっかけさえあればもう一度戦国の世に戻り、力のある者が天下を握るという構図の再現が期待できた。
だが同時に、三日月の至極もっともな懸念に対する正宗の回答は冷徹を極めた。
「その際にはかの国に亡命されるが宜しかろう。南蛮好きの忠輝殿のことだ。この国に残り無惨に殺されるよりも、かの国で一生を過ごされる方が幸せであろう。今の実質的な日本国王の紛れもない実子だ。かの国もさほど無下には扱うまい。それにそなたの配下の黒脛巾組の者にも供をさせる。その人員の選定も既に済んでおるしな」
正宗の意図は明らかだった。ソテーロも含め、今回の埋蔵金発掘に携わった者、その全てを今回の派遣船団に加えるつもりなのだ。ソテーロ神父は信仰上の理由で家康に今回の埋蔵金発見を報告していない。だが現在進行中のキリスト教禁令により追いつめられれば、思わぬところで埋蔵金のことを暴露しかねない。
スペインへの援軍派遣要請が上手くいけば良し、いかねば埋蔵金の秘密を抱えたまま異境の地で骨となれ、と言っているのだ。任務に失敗し、万に一つ、帰国したとしても、「キリシタン宗門となって帰国した」という理由で処刑してしまえばよい。
三日月は奥歯をただ強く噛み締める。口の中に血の味が広がっていく。握りしめた拳から鮮血が流れでる。
「済まぬがそなたには忠輝殿の身代わりになって貰うぞ。五郎八もおるし、そなたは忠輝殿のことをよく知っておる。得意の変顔術を用いればしばしの間は誤魔化せるであろう。その後は適当な死体の手筈がつき次第『忠輝殿』には病死して貰うことになるが」
「……父上」
三日月は初めて正宗を父と呼んだ。
「五郎八は、五郎八はどうなるのですか!? 祖父様を見殺しにし、祖母様を追放し、叔父上を殺し、義理の息子を使い捨ての道具にし、今また実の娘の幸せを奪うのですか? そこまでして欲しい天下とは何です!?」
それは初めての……三日月自身の心の爆発だった。
瞳一杯にこみ上げるものを堪え、三日月はそのまま正宗の私室を飛び出していった……。
この使節団の派遣に関しては正宗の決断後も様々な権謀術数が繰り広げられた。派遣直前の一ヶ月前にはソテーロが幕府に捕らえられ、危うく処刑されるところを正宗が救い出している。
正宗は驚くべき周到さと執念深さで事を運び、全ての準備が整えられ、遂に出航前夜、慶長一八年(一六一三年)九月一四日を迎えた……。
(後半に続く)


さて幕間の途中ですが、閑話休題
幕府開幕から大坂の陣までの間が舞台となった時代小説等において「陰謀の首謀者にされるランキング」で常に上位にいるのが、今回の物語でも実質首謀者と描いた大久保長安
実際史実として、長安の死後僅か数日の間に生前の不正(巨額公金横領)が発覚、子は全員死罪、長安の死体も掘り出された上で晒される、という展開を見せた上に、結局真相は歴史の闇と消えただけあって、真実の解釈は百人百様。
キリシタンネタは、話の壮大さからいってもメジャーなネタなのですが(真実はさておきw)、事実長安が鉱山開発に使用した横穴式採掘方式やら生産効率を高めるための「アマルガム精錬法」は、当時の西洋の最新技術であって、別段キリシタンとの付き合いを深めるような立場にいたわけでもない長安が何故その技術を保有していたのか、という疑問は実際にあるわけです。あと彼が家老をしていた忠輝の妻、五郎八姫がキリシタンであったことは第5章で書いた通りの論拠で、確度がそれなりに高いと考えられていますし。


さて、ここで今週のクエスチョン。鉱山の生産技術を高めるこの「アマルガム精錬法」は、粉末にした鉱石と『あるもの』を反応させてアマルガムを作り、更に加熱により『あるもの』を蒸発させ、金や銀を得るものなのですが、この後、急速に廃れてしまいます。
それは鎖国によってこの『あるもの』が手に入らなくなるからなのですが、この『あるもの』とは一体なんでしょう? ヒントとしては、この『あるもの』が最初に日本に輸入された時代は相当古く、既に飛鳥時代には輸入されていて、しかし「恐ろしいことに」一部では「健康の(寿命を延ばす)ため」に顔や身体に塗っていたとか、髪の毛を整えるために使っていたとか(ブルブル)。勿論、現在では間違ってもそんなことをする人はいませんが。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。幕間の後半は木曜日の解答発表時にアップします。
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