Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

オリジナルの歴史伝奇小説から出題中の「異文化交流クイズ」外伝シーズン第11回。
物語は幕を閉じたように思われましたが、舞台は北海道へと移り……。


《第8章》平取
1.
『この地は日本本土の人々にとっても、人跡未踏の荒涼な土地だと考えられている。
その関係は我々英国人がチッペラリーを、スコットランド人がバラを、ニューヨーカーがテキサスを思い描くのと同じである。かつて蝦夷地と呼ばれたこの処女地を、新生明治政府は北海道と名付けた。
この地の神話によれば、彼らの祖先は天から使わされた狼だという。しかし、彼ら民族の最大公約数的要素を備えた若者の顔立ちは歴史画家ノエル・パトンの手によるキリストの顔によく似ていた。高貴で悲しげな、うっとりと夢見るような、柔和で知的なその顔つきを、私は美しいと思った。
日本人による迫害に黙々と耐える彼ら民族の名を、アイヌといった。』
私たちが平取のアイヌの集落に入ったのは、九月一五日のことだ。
龍泉洞の地底湖から発見された黄金の鷲は回収班が既に本国への発送を終えている。函館に渡った私たちは、二週間ほどその地の英国領事館に留まった。アイリーンの発熱とシンイチの怪我の治療、そして先日の一件の後始末のためだ。
函館にはパークス公使とヘボン博士が海路やってきていた。東京での連中の“計画”が瓦解した証拠だ。
その地のフランス領事館で苦虫を噛み潰したような表情を押し隠し私を迎えたのは、フランスのディースバッハ伯爵とオーストリア陸軍のクライトネル中尉、そしてフランツ・シーボルトの次男で、現在はオーストリア領事館勤務のハインリッヒ・シーボルトだ。
ドイツとオーストリアハンガリー二重帝国は旧奥羽越列藩同盟への武器供与と引き替えに、北海道の永年租借を得る秘密協定の調印直前まで行っている。勿論主導権を握っていたのは一八六六年の対オーストリア戦勝利の余勢を駆ったプロイセンだ。
そのオーストリアが今度はフランスと手を組んだというのが今回の一件の裏面だ。
両国共にドイツに苦杯を舐め、更に強大化していくかの国に恐怖を抱いている。今回の一件は我が国にではなく、むしろドイツに対する牽制策だったわけだ。
かくてヨーロッパでの“コップの中の戦争”は世界各地に火種を飛ばし、無数の悲喜劇を繰り広げるというわけだ。いつの日か、その埋火が燎原の火となり、ヨーロッパ全土さえ焼き尽くしかねぬことに気付かぬままに……。
彼らが今回の見届け役であることは疑いないけれど、証拠なぞあるわけがない。
そして彼らは今回の結末を既に知っている。工作員に二重三重の監視をつけておくのは当然だからだ。
「お陰様で楽しい道中になりました」と精一杯皮肉るのがせめてもの腹いせだ。


旅を再開した私たちは函館から森、室蘭、苫小牧を経て、この地方最大のアイヌ集落、平取へと入った。
平取はこの地方のアイヌ部落の中で最大のものであり、森や山に囲まれ、非常に美しい場所にある村だ。村は高い丘陵の上に立っていて、非常に曲がりくねった川がその麓を流れ、上流には森の繁った山がある。
私たちがこの地に長期滞在することになったのは、酷い眼病を患っている子供をアイリーンが治療を施したのがきっかけだった。
無論アイリーンも私も医者ではないけれど、それなりの応急処置に関する知識はあるし、函館で補充した医薬品が役に立つこととなった。
アイリーンはこの村に入って以来、羅紗製の裾丈の長いカートルを纏っていることが多い。函館の公使館で真っ先に手を入れたのがこの服だ。しかも御丁寧なことに、腰にはエプロンをつけ、首から肩にかけてはフォーリング・ハンドと呼ばれる薄手の布で覆い、亜麻色の髪はボンネットの中に収められている。
どこからどう見ても……典型的な我が国で働くメイドの姿だ。けれど、その格好は甲斐甲斐しく看護に働き回る今のアイリーンに妙にフィットしていた。 


2.
一ケ月近く滞在したこの地を去ることがようやく決まった。
アイリーンは更なる滞在を望んだのだが、既にこの地には冬の先触れである白い淡雪が舞い降り始めていた。これ以上ここに留まれば、帰路を白い壁に閉ざされかねない。
これまでの礼とともに、ゼルファが長老の元に報告に行くと、彼は感謝の印として翌朝アイヌたちの聖域に案内してくれることとなった。長老は気管支炎で生死の境を彷徨っていた孫が、アイリーンの持ち込んだ薬と献身的看護により救われたことに心から感謝していたのだ。
当初の予定では三人で訪れる予定だったのだが、アイリーンと仲のよくなった少年が急に高熱を発したため、彼女とカペは看病のために村に残ることとなった。
まだ夜も明けきらぬ朝霧の中、村を出立する。
その道中、長老はアイヌの伝説を語り、息子のアペプチが日本語に通訳する。
兄頼朝に追われた義経はこの地に逃れたのだという。アイヌを対等な人間として扱った義経は彼らの祖先に文字や数字、法を伝え、争いを禁じたのだとされている。
皮肉な話だな、とゼルファは思う。彼らは彼らを抑圧し、遂には滅亡さえ望んでいる筈の日本人の英雄を崇拝しているのだ。ゼルファの内心など知る筈もない長老は更に語る。
ホンカン様は黄金の鷲を追ってクルムセの国へ行った』
九郎判官義経はこの地で“ホンカン様”と呼ばれ、あらゆる文物を伝えると、この地の知者・勇者を引き連れ、海を渡ったところにある“クルムセの国”へ旅だったのだという。
なるほど、と自嘲気味にゼルファは心の中で呟く。
今回の一件の締めくくりは“そういう仕掛け”か。「気宇壮大」といえば聞こえはいいが、まともに考えれば「誇大妄想」としか表現のしようがない“用意された結末”。
ゼルファの脳裏のジクソーパズルは遂に……完成した。


彼らの神域は佐瑠太川の上流にあった。
暗い森に包まれた川に丸木船を浮かべ、更なる上流を目指す。川霧に包まれたあたりは深く静まりかえり、どこを切り取っても静物画の一シーンのようだ。
一時間以上も上流を遡り丸木船を降りる。意外な山深さがあった。獣道としか思えぬ道を辿り、更に小川を二、三回徒渉する。水はもう冷たくなっている。更に入り組んだ道を辿り、最後に彼らが案内した先にあったのは小さな洞窟の入口だ。
長老の話によると、この地は族長の代替わりの際、先代の族長と新族長のみが訪れるのだという。そして“ホンカン様”から許しの儀を得、部族の更なる発展を祈る場所であり、一族を継ぐ資格のある者以外は決して知らぬ“真の聖域”なのだという。
長老がゼルファをこの地に導いたのは、彼女が将来の族長の資格を持つ彼の孫の命を救ったからだ。
「なるほどね」
長老たちの後に従ったゼルファは「洞窟」の壁に手を触れながら呟く。
「そう言えば、幕府の文書の中で……『徳川実記』だったかな? 大久保長安蝦夷地に鉱山師を派遣したという記載を見たことがありますね」
天然の鍾乳洞を「横穴式方式」で掘り下げた洞窟を歩きながら、シンイチはゼルファの推測に補強資料を加える。
「……どう思う?」
「ボクもここに来るまでは半信半疑でしたけれど、舞台装置としては完璧かな、と」
「そう、そうね。アイリーンを連れてこなくて正解だったかな」
ゼルファは唇の端を少し吊り上げ、自嘲気味に言う。
明らかな人工的複層構造を持つ洞窟。そこを五層降りたところに現れた広間で長老は立ち止まった。ここが彼らの儀式を執り行う神聖の間らしい。石造りの祭壇が据え付けられ、正面の壁には笹竜胆の紋章が刻み込まれている。
ゼルファとシンイチは図ったように顔を見合わせる。ゼルファは笹竜胆が指し示す意味をシンイチから聞かされていたからだ。
向き直った長老はかの地に残された“伝説”を告げる。
ホンカン様は黄金の半分をこの地に残された。そして来るべき日、復活されたホンカン様は黄金の鷲とともに再びこの地に降り立ち、我ら一族を栄光へと導いて下さるのだ」
「……どこかで聴いたことがあるようなお話ですね」
ゼルファは力無くその棘のある言葉に頷く。入口の方をチラリと横目で見やると同時に行動に移っていた。
「ごめんなさい」
ゼルファは日本語で呟きながら、瞬く間に長老とアペプチを昏倒させた。


「き、貴様ら一体何をした!?」
聞き飽きた声が狭い玄室内に響き渡る。
「本当に生きていたとは驚きね」
ゼルファは入口脇に現れた男を見つけると、形ばかりの驚きを示す。あの地底湖で死体が発見されなかった以上、この男の生存の可能性は常に念頭にあったからだ。
「貴様ら一体何をした?」
ボロ布同然となったキュロットを纏ったカションは目を血走らせ、壊れたオルゴールのように同じ言葉を繰り返す。
「一体なんのことかしら?」
「とぼけるな!」
ゼルファの韜晦に付き合う余裕も完全に失われてしまっている。
「ない! どこにもない! 我々の東京での連絡先も、政府の転覆を謀るべく東京入りしていたシャノワーヌ参謀大尉直属の精鋭兵士も、叛乱の際には蜂起させる予定であった日本人どもの姿も! 何もかも我々が接触を図った人員も物資も全て跡形もない!」
やれやれと、声にならぬ呟きを漏らし、ゼルファは吐き捨てるように言う。
「……やはりこの国に来ていたのか、あの男。相変わらずろくでもない露骨なやり口だな」


一八七八年八月二三日深夜、皇居内で発生した謎の事件は後世「竹橋事件」と呼ばれることになる。
事件の表層だけをなぞれば、たいした事件ではない。近衛砲兵が待遇改善を求めて宮中に乗り込み、天皇に直訴を試みたが敢えなく失敗したというだけの事件だ。叛乱と呼ぶには稚拙で、叛乱側、鎮圧側を含めてこの騒動の最中に命を落とした者は僅か三名に過ぎない。
だが、事件後の叛乱兵に対する処罰は異様なほど迅速かつ徹底的に行われた。事件翌日には臨時の陸軍裁判所が設置され、最終的に死刑判決が下ったのは五三名。流罪や徒刑に処せられた者に至っては二五〇人を越えた。
裁判は当然の如く非公開で行われ、首謀者と思しき者が尽く処刑された為、事件の真相は歴史の闇へと葬られた……。


「一部下仕官の暴発? しかも賃金の低さに対する不満表明? そんな馬鹿な! 大久保暗殺を端緒とした我々の緻密極まりない計画はどこに消えた? この国に混沌をもたらすために数年がかりで用意された人員と物資はどこに消えた?」
血走った視線を無意味に周囲に撒き散らし、誰に問いを求めるでもなく喚き散らしたカションは唐突にそれに思い当たる。
「あの男か? クリストファー・バードか? ヤツめ、裏切りおったか!?」
「だから最初から言ってるでしょ、あの男は誰も裏切ったりしないって。何故って最初からあの男は……この世界全体を裏切っているんだから」
憎悪の視線を浴びつつ、ゼルファは酷く素っ気ない口調で言い捨てる。
「一体何のためだ? そもそも私に如月の行方を教え、あの村の存在を教えたのはあの男の方なのだぞ! 逆スパイとしても解せぬ。東京での計画をヤツには一切明かしておらぬ。少なくとも今回の如月の一件に関して、イギリス側に何か利点が生じたとは思えぬ!」
眼を血走らせ、髪を掻きむしりながら、出る筈のない回答を探し求め続けるが、そこに救いの手は決して差し伸べられることはない。繕っていた外交官としての仮面が音を立てて崩れ落ちていく。
後に残されたのはすっかり銀色に染まった髪、落ちくぼんだ眼窩、皮膚もすっかり弛み、皺だらけになった……孤独で哀れで無力な老人だ。
「いいわ、教えてあげる」
酷く疲れた口調でゼルファは言う。
「教えて上げる。“Pax”の秘密、そしてあの男の事を。話を貴方が理解できるレベルまで引き下げて、ね」
冷ややかな視線をカションに向けるシンイチにチラリと目をやってから、ゼルファは「真実」の一端を語り始める。
「アイツは確かに大英帝国の、そしてPaxの裏切者よ。だけど、あの男は同時に今でもPaxの忠実な僕でもある。そう、Paxには二つの顔があるのよ」
「……Pax? Pax Britania?」
カションが当惑したように言う。そう『Pax』とは『平和』の意味だ。
しかし、一般的な意味での平和ではない。それは「何者かの支配の下における」平和。『イギリスの支配下における平和』だ。
「表の顔としてのPaxは宰相グラッドストーンのお陰で予算停止に追い込まれた独立採算性の貧乏組織。元々は海外進出した王族の不祥事の後始末を任務とし、その流れで王室直属の外交情報収拾とその始末を請け負うこととなった一機関でしかない。
でも、真のPaxの存在とその目的については女王陛下でさえ御存知はない。それも当然、真のPaxが忠誠を尽くすのは女王陛下ではなく、歴史の女神クリオなのだから。
そう、真の“Pax”とは……“歴史を歪める誘惑”を狩る組織!」
(第8章後半に続く)


さて章の途中ですが、閑話休題
幕末明治以降、数多くの外国人が我が国を訪れましたが、その中で最も体系的に日本文化&日本語を研究し、成果を残したのが、外国人として最初の東京帝国大学名誉教師となったチェンバレン博士でしょう。彼は日本語ばかりでなく、アイヌ語まで研究したことでも知られています。
明治6年に来日し、明治44年(1911年)に最終的に日本を離れた博士は、1905年に書いた、その代表的な著書「日本事物誌」第5版のための序論に次のように書き記しています。
『著者は繰り返して言いたい。古い日本は死んで去ってしまった。そしてその代わりに若い日本の世の中になったと』
『古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ、それを埋葬することである。このささやかなる本は、いわばその墓碑銘たらんとするもので、亡くなった人の多くの非凡な美徳のみならず、また彼の弱点をも記録するものである』
自分がこの文章を知ったのは、来日外国人達の記録を読み始めてから結構後の話ですが、それまでもまさしくこの文章とほぼ同じ結論に至っていたわけで。そして自分がこの時代を舞台に小説を書こうとしているのは、小説の形で「一つの文明の滅亡」を描きたいからだったりします。


それはさておき。西洋文明に追いつくことを至上命題とした明治期の政治家、学者達はこぞって欧米人達が見いだし、描き出した「古き良き日本像」を嘲笑し「日本は奇妙で類例のない国だ」という欧米人達の観察を徹底的に否定しました。もっともこれは明治当時だけでなく、戦後の日本でも広く流布してきた考え方であって(最近ようやく変化が見えだしましたが)、その手の「専門家」の言説を読んでいると「そこまで我々のご先祖さまたちを貶めたいのか」と、頭が痛くなってきたりします。……何故かその手の学者さんたちと、現代の「特定の(地政学的に偏った)政治思想を持った方々」の言説が極めて類似していることは興味深い現象だったりしますが。。。
勿論江戸期の日本が天国だったわけではないことは重々承知していますし、この小説の第6章で取り上げたような村もあったのは厳然たる事実です。それでも恐らく江戸期の日本は「一つの文明」が築き上げ、辿り着いた生活としては、当時の世界基準から言って最良に近い物だったと言えるでしょう。もっとも、その「一つの偉大なる文明」を同じく我々のご先祖様が僅か40年で滅ぼしてしまったのも、また確かなことであって……と、この辺は長くなりますので割愛して、ここで今週のクエスチョン。
チェンバレンは知性も感情も豊かでしたが、自己の西洋的思考の枠から脱しきれず、感受性において些か鈍感なところがあり「日本人の感情表現に深みがない」などと評していましたが、その反証になるような例からの出題。
来日した外国人達――ロシア人も、イギリス人も、ドイツ人――は、日本人に世界地図を見せた際の反応を書き記していますが「日本が如何に小さいか」を知った日本人の反応で最も多かったのは、どんな反応だったでしょうか? 今回は回答しづらいと思いますので、アバウトな反応でどうぞ。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。第8章後半は木曜日の解答発表時にアップします。
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