Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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月曜恒例、異文化交流クイズ「ナポレオン三世によるパリ大改造」。第2回は19世紀に入り既に近代都市としての限界に達していたパリ。そのパリを現代の姿に改造した「シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト」ことナポレオン三世についてよりの出題です。
今回も五択ですので、お気軽にご参加下さいませ。10問中正答5問で粗品進呈となりますので。
ナポレオン3世は1世の弟、オランダ王ルイ・ボナパルトと、1世の妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス・ド・ボアルネの三男として、つまり一世から見ると甥として1808年、パリで生まれました(ちなみに2世はハプスブルク家マリア・ルイーゼ・フォン・エスターライヒとの間に生まれたナポレオンの息子ジョゼフ)。
ですが1815年、1世がワーテルローの戦いに敗北すると、母に引き取られて父ルイとは別居し、ドイツ・イタリアを転々。長じた後にフランスへ戻ると、2度反乱を起こしますが、見事に失敗。1840年終身刑となりアム牢獄に入れられます……と、ここまでが彼の前半生。


しかしこのアムの監獄での日々が、後にフランス人たちの生活パターンさえ変えてしまいますから歴史としては面白い物だったり。と云うのも、監獄だから当たり前と云えば当たり前ですが、監獄の環境は湿気がちで極めて劣悪。そのため三世は悪性のリューマチに罹ってしまいます。
1846年に同牢獄を脱獄してイギリスへ亡命すると、三世はひたすら「光」を求めます。
脱獄したその足で向かったのはイギリスの有名な海水浴場。その後も陽光豊かな温泉の保養地を巡り、野外で新鮮な空気に触れる乗馬、競馬、テニス、ゴルフなどの競技三昧。今日フランスでこれらが盛んなのは、後に皇帝となる三世が積極的に導入したからだったりするのです。
これ以外にも三世は衛生学者たちの著作を読み漁り、パリより一足先に都市計画に着手していたロンドンを綿密に観察し、前回述べたような超劣悪な環境に晒されていたパリを、美しい「光の都」に改造しようと夢想します。
普通ならそんな夢想は夢想で終わる筈なのですが、1848年に2月革命が勃発し、再び王政が揺らいだことにより、その奇跡は始まります。三世は補欠選挙で当選し、亡命先の倫敦から議員としてフランスに復帰。そして12月にはそのままの勢いで大統領に当選。「パリ改造」を行いうる地位を手に入れるのでした。
そして大統領に当選した12月末。パリを含むセーヌ県の知事ベルジェに、三世はエリゼ宮において、壁に貼った一枚のパリ全図を見せます。その地図には四色の色で建設すべき道路や公共施設がぎっしり書き込まれていました。つまり、既にもうこの段階で三世の脳裏には「来るべきパリ」の姿が明確に見えていたわけですね。
三世はこの地図通りのパリ改造を直ちに命じますが、王党派であるベルジェとパリ市議会は「健全な予算を維持する」という名目で拒否。このままパリ改造は再び無に帰するのか……と思われましたが、1851年12月2日に三世は大統領自らクーデーターを起こし、ここにフランスの第二帝政が開幕。同時にパリの大改造もまた始まるのです……というところで本日のクエスチョン。


三世がアム監獄にいた当時に出した手紙にこんな一節があります。
『私は第二の○○○○になりたいと思っています。何故なら○○○○はローマを大理石の都にしたからです』
つまりこの当時から既に三世はフランスの支配者となり、パリを改造する意図をはっきり持っていたことが分かる訳ですが、この伏せ字部分にはあるローマ人の名前が入ります。さて、その人物とは一体誰でしょうか?
1.アウグストゥス 2.ティベリウス 3.ウェスパシアヌス 4.カエサル 5.ハドリアヌス
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。
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