Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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先週はお休みを頂きましたが、異文化交流クイズ「ナポレオン三世によるパリ大改造」第6回です。第5回ではパリの百貨店の歴史、そしてその百貨店に無料で備え付けられていた封筒と便箋に関しての出題でしたので、今回はその郵便を送る手段についての話題をしたいと思います。
これまで記した通り、ナポレオン三世によってパリは劇的に改造されたわけですが、丁度時同じくして近代的な技術も進展し、それがパリの街作りに即座に反映されています。
モールス信号が成功したのは1844年のことですが、腕木信号という独自の、原始的な通信方法を採用していたフランスに入ってきたのは、ようやく1860年前後のことでした。
当初は地方や外国から集められた電報を、グルネル通りにあった中央局で仕分けをし、各地の配達所に軽装の二輪馬車を走らせるなどして対応していたわけですが、電信量が増えると当然捌ききれなくなりました。
そこで中央局は1853年からイギリスで実験されていた「下水管の汚物を強力な圧搾空気によって排除する装置」に目を付けます。つまり「汚物」を流す代わりに、筒の中に電信や郵便物を入れ、圧縮空気で市内各所の支局に送ろう、と思いついたわけです。


1866年に最初の約1㎞の試験的送管システムは見事に成功。以降「プヌマティック(空気+システムの意味)」と名付けられたこの網の目は急速に進展し、1879年には総延長71㎞、約40か所の局が結ばれることになりました。最盛期には総延長約450㎞にも到達したと云うから驚きです。
このプヌマティックの使用方法は簡単。官製の郵便書簡に文面をしたため投函するだけ。パリ市内のポストは頻繁に手紙を回収していたので、数時間の間にほぼ相手に到達する、という寸法。あまりに便利だったお陰でパリに電話が普及するのが、なんと「1980年代以降」になった、という曰く付き。
何故ここまで、と云えば、元々フランス人は文書による意思確認を重んじることもあったのと同時に、上流社会では「午前中に訪問の諾否を問い、許可を得た上で午後以降、相手の屋敷を訪れる」という習慣が完全に定着してしまっていたからだと云います。確かに、近代フランス文学を読むと「よくこんなに書く時間があるな」と思わされるほど、登場人物達が手紙を書きまくっている印象がありますね。
ただ残念ながら、このプヌマティックは1984年3月30日に廃止され現存しません。ただ古いパリを舞台にした映画などで、在りし日の姿を見られたりしますけれど。


さて、ここで今週のクエスチョン。この速達用の郵便書簡は、その色にちなんだ通称も使われていましたが、この色とは一体何色だったでしょうか? 今回は単純な色当てですから、ノーヒントで。ちなみに某有名文学作品にもこの通称で登場していたりします。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。
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