Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

異文化交流クイズ「ナポレオン三世によるパリ大改造」第7回は、ナポレオン三世の宮廷となったチェイリー宮とそこでの生活からの御紹介。何故か今回は当時のコスプレ事情ネタにw。
このシリーズの最初に述べた通り、パリはシテ島から始まりました。国王は代々シテ島の王宮に居を構え、ルーブル宮が1202年に完成してからも、国王の好みによっていずれかの王宮に滞在していました。1422年以降、一時王宮はパリを離れたものの、1528年に再びパリに帰還。以降、ルイ十四世のヴェルサイユ宮殿建設まで、基本的にルーブル宮がパリの王宮となっていました(リシュリューによって寄贈された館を改造したパレ・ロワイヤル等にルイ14世がいた時期がありますが)。
と云うわけで、かの有名なカトリーヌ・ド・メディシスによって1571年に建設されたチェイルリー宮殿がフランス君主の宮殿となったのは意外と新しく、そして皮肉なことに、フランス革命でルイ十六世がヴェルサイユから引き戻されたときだったりします。以降、ナポレオン・ポナパルド、ルイ十八世、シャルル十世がチェイルリー宮に居を構え、ルイ・フィリップも一時パレ・ロワイヤルにいたものの、最終的にチェイルリー宮に身を落ちつけています。
と云うことで、ナポレオン三世も当然帝位につくとチェイルリー宮の主となるわけですが……その彼が最後のこの宮殿の主となることになります。
ですが同時に、この最期の灯火は絢爛豪華なものとなります。もっとも美術評論家に云わせれば「過去の諸様式の模倣」ということになるのですが。


このチェイルリー宮での皇室の私的な日常生活は、同時代人たちが悪し様に批判するほど豪奢ではなく、質実で微笑ましくなるくらいの謹厳なものでした。ですが、公式の祝典や晩餐が開催される日には、この慎ましやかは掻き消え、迫り来る終焉を察知したかのように熱狂的なものとなっていきます。
仮面舞踏会はこの当時が最も盛んな娯楽でした。三世が赤と黒の騎士の衣装で登場したのみならず、彼の臣下達は歴史上の高名な人物になったり、屑拾いという最下層民に扮するくらいならまだしも、貴婦人達は過激この上ないコスプレ(としか称しようのない格好w)で舞踏会に出席しました。
辻馬車の御者に身をやつして際どい小唄をうたうオーストリア大使夫人、ローマ女に扮して髪をふりほどき、片側にスリットの入ったドレスから下着も着けない脚が丸見え、足の指には幾つもの指輪をはめた伯爵夫人、フローベルの小説の主人公に扮した大公妃がタイツの上に付けているのは腰に巻いた一枚のスカーフのみ。古代エジプトの踊り子に扮した夫人に至っては、文字通りの真っ裸。皇后は流石にヤバ過ぎる衣装をするわけにはいかず、ジプシー女に扮する程度で我慢していたそうですがw。
で、上にサラッと書きましたが既にこの頃には「近代小説の登場人物」のコスをするような土壌があったわけです。勿論元々このような仮面舞踏会の場で扮装するのは、歴史上・伝説上の人物、そして物語の登場人物だったのでしょうが「同時代人が書いた(所謂)近代小説」の人物に扮する、というところに、既に現在のコスプレに繋がる萌芽が見えるでしょう。……もっとも、日本の現在のアレは西洋でのソレとは根元的なところで違いがある気がしないでもありませんがw。


さて、話は戻って。宮廷がこの有様ですから、改造されたパリを背景とした、底抜けの快活さと陽気さのパリジャンも思いつく限りの快楽にのめり込み、この時代の華やぎをますますもり立てました。しかし、この僅か数年後……というのは次回以降のお話。
ここで今週のクエスチョン。既にこの頃には写真は庶民の手に届く物となっていましたが、上記のような宮廷の有様を更に囃し立てるために、彼らはこの新しい「玩具」を利用することにしました。彼らは「どのように」写真を利用したのでしょうか? ヒントとしては、現在もなお「その手の悪質な悪戯」をする輩は居ますねー。特に最近は「手軽に」出来るようになってしまいましたので。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。
web拍手