Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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異文化交流クイズ「異文化としての吉原」第4回です。ようやく登楼編に入ります。
吉原をただの色里に留めなかったのは、金持ちの大尽と呼ばれた人々、遊び方を心得た通人と呼ばれた人々が、遊女たちとの間に文化的サロンを形成し、吉原独自の「しきたり」を築き上げ、江戸期を通じて時代の最先端の文化を発信し続けたからです。
さて、その「しきたり」で一般的によく知られているのが「太夫を揚げても本当に相手をして貰えるのは三回目から」というもの。


まず初めて客と遊女が会うことを「初会」と云います。初会には「引付」と呼ばれる儀式があったわけですが、要約すれば本当に「顔見せ」だけの儀式。
『初会には壁に吸附くほど座り 嘉肴ありといへども初会には食はず 何ンのこたあねえ初会は御儀式』
こんな歌が残っている程に、初めて顔を会わせた遊女が相手してくれるのは精々のところ酒の酌くらい。気位の高い遊女になると、酒も飲まず、料理も食べず、ただ客の話を聞く程度。
二回目の登楼のことを「裏」又は「裏を返す」と云いますが、二度目でも『裏の夜は四五寸近く来て坐り』と歌われたくらい、基本的なところは「初会」と変わりません。それでも初会の時よりは多少打ち解けた間柄となり、そこでようやく「本番」である、次回の約束をするわけです。
そして三度目に会う事を「馴染み」。馴染みの客になって初めて遊女から名前で呼ばれる待遇となり、客は「馴染金」なる料金とは別のお金を祝儀として払うことになります(ちなみにこれを払わないと「客人」としか呼ばれません)。
そしてこの「馴染み」になると、客専用の箸が作られ遊女がそれを預かり、また馴染みの客が帰るときには遊女は大門まで見送りに出るという形で、いわば「疑似夫婦関係」を成立させるわけです。
これは本当に吉原だけの独自のしきたりで、何故このような仕組みが作られたかを考察すると興味深いところですが、今回は省略。


……と、参考文献を改めて読み直しつつ、簡易に纏めて記してきたわけですが、よくよく考えてみると、これってひょっとして「現在の属性」に置き換えて云えばツンデレというヤツなのではないだろうか、とw。
最初はツンケンどころか無視。それが会うたびに心を開かれていき、遂には「普段見せない、本当の姿」を「自分にだけ」見せてくれる、と。まあ閨の場を「デレ」と称すべきかは微妙な所ですがw。表現が少々露骨ですけれど「最初は全く靡かなかった女性が自分の前だけでは素直になってくれる」と云うシチュエーションに男性がときめくのは、江戸期から変わっていない、ということの証左なのかとw。


というところで、今週のクエスチョン。
以上のような事を書くと、かなり遊女側に余裕があったように思われますが、実体として前回説明したような「切見世」クラスの遊女は、もっと即物的な世界に生きていました。
とりわけ彼女らにとって面倒だったのが「紋日」と呼ばれる、五節句などの祝日、毎月の一日、一五日と決められた日。この日は現在で云う「サービスディ」みたいなもので、客に対しては「歩き煙草OK」「吉原の大門も深夜店が閉まるまで解放し、自由見学OK」となっていたわけですが、逆に遊女にとっては「必ず客を呼ばなければいけない日」に当たっていました。上記のような馴染みの客がいる遊女は、事前にその日に来て貰えるようにお願いしておけばいいわけですが、そんな客がいない遊女は客引きが大変だったようです。
そんな遊女達にしてみれば腹立たしい存在だったのが「素見」と呼ばれる、ただ格子の外から遊女見学する為だけに来た人々。
で、実は現在の「ひやかし」という言葉の語源は、吉原郊外に集まっていた「とある職人」が、原料を水の中に入れて「冷やかしている間に」遊郭見学に来て、遊女達をからかっていたことに由来する、と云われていますが、彼らは一体『なに』を作る職人たちだったのでしょうか? ヒントとしては、現在では大量生産されており「手製で作るソレ」はそこそこの高級品となっており、その有名な産地は一般的に清流沿いに多かったりします。
回答は木曜日の22時まで、web拍手にてお待ちしています。
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