Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

新コーナー「ラノベ風に明治文明開化事情を読もう」は引き続き「クララの明治日記」の「超訳版」第2回となります。第1回分はこちらからどうぞ。
日本に上陸したクララ家御一行。彼女らが家族揃って来日したのは父が、日本で初めて設立される欧米の商法を学ぶ学校(商法講習所。今日の一橋大学)の所長として招聘されたからでした。その窓口は薩摩藩出身の森有礼だったのですが……というところから始まるのが今回のお話。ただ今回は「ラノベ風」というより、時系列がゴチャゴチャで来日直後に起こった出来事の前後関係が分かりにくい日記の記述の再構成版ですね。
1875年8月19日 木曜日(クララ14歳)
 想像して貰いたい。
 一国の政府の高官の求めに応じ、地球の裏側から見知らぬ異境に来たにもかかわらず、職どころか住む家すらなく、財布の中に一ドル五十セントしか残っていない状況を。
 日本に上陸してはや二週間。我がホイットニー家の憂鬱は晴れぬまま、事態は悪化の一途を辿っていた。
 私たち一家を日本に招聘したのは薩摩藩出身の政府高官森有礼という人物だ。森氏は職と家を提供し、何かと助力してくれると約束していたのに、私たちが現実にやって来たと分かった途端、その約束を反故にして予定されていた地位に父は不適任だと云ったのだ。
 まるで森氏は私たちに借金で恥をかかせるか、餓死させるためにここに連れてきたみたいだ。 
 私は考える。どうして私たちはアメリカでの不安な日々に加えて、あの退屈な何千マイルもの旅をさせられたのか。そしてその挙げ句、こんな冷たい仕打ちに遭い、固い友情と関心を持った振りをしていた人々から、こんなにも侮辱され見捨てられなければならないのだろうか。
 しかし、私はこの白い頁を疑惑で汚したくはない。いいえ、そんなことはしてはいけない。神様が一番よくご存じなのだ――私がおかしいのだということを――。
 何故なら、もし放縦で贅沢な暮らしをすることを許されたら、私たちは快楽に溺れて神様を忘れてしまい、世俗的な物を好むようになりがちである。汽車の中や、サンフランシスコであんなに楽しくはしゃぎ回っていた時、私は今ほど神様のことを考えなかったし、幸福で信頼の念に満ちた感情も起こらなかった。だからもしかしたら、私がこの嵐のもと、つまりヨナなのかもしれないのだ。
 そう思ってもなかなか腹の虫の治まらない私に、いつも夕食をとっている精養軒の日本人従業員が最近流行の「呪いの儀式」とやらをお節介にも教えてくれた。なんでも、深夜の零時に呪いたい相手の名前を書いた「絵馬」とやらを神社に納めると、その名前を書かれた相手は地獄の流されるのだそうだ。あまりにも馬鹿馬鹿しい邪教の儀式なので「絵馬とは一体何? この近くに神社はあるの?」と聞いただけで、私はそのまま忘れてしまうことにした。
 ああ、主よ、彼を赦したまえ。彼はその為すところを知らざればなり。
(後に加筆。お気の毒に、森氏は1889年に暗殺された)。


1875年8月27日 金曜日
「斯てその苦しみのうちにてエホバを呼ばわりたれば、エホバこれを艱難より助けいだしたもう」
 神様は私たちの訴えを聞き届けて下さった。神様のお力が十分よく分かったので、私たちはこれからも神様のご加護が頂けることを固く信じて疑わない。
 我が一家に救いの手を差し伸べてくれたギデオンは、政府の高官である勝海舟という人物だった。勝氏は困窮については何もご存じないまでも、私たちの到着のことは耳にされていた。
 先日、すべての望みが失われたとき、私たちがこの国で設立するためにやってきた商法学校への寄付として、勝氏が千ドル贈って下さったのである。これはこの国だと広大な敷地と屋敷が十分に建てられる金額だ。
 ほんの僅かなそよぎでさえも、神様に対する私の信頼を傷つけることができようか。またどんなに強い反対でも、神様に対する私の信仰を揺るがすことがどうしてできるであろうか。いいえ「我らは目に見た」(ヨハネ第一の手紙一章)のである。私たちは神の子イスラエル人のようにじっと立って、主の救済を目の当たりに見たのだった。永遠に神の慈愛と慈悲を讃えて歌っても足りないだろう。
(続)