Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第14回をお送りします。なお過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分
本日分はクララにとっての“怒りの日”がメインとなります。


1876年5月1日 月曜日
五月祭にまったく相応しい素晴らしい日だ。
おやおさんは木曜日に病気になり、五月の十日過ぎまで来られない。「日光を見るまで結構と云うな」と云われる日光へ行くには、今がとてもよい時期だと思う。
小野氏が昨夜見えて、ご自分の「貧しい、汚い家へ、貧弱なまずい食事!」をしに来てくれるように招待して下さったので、私たちはお受けした。本当に日本の社交辞令というのは厄介だ。
母は今日気分が良くないので心配だ。ハイパー氏が祈祷会にみえて、とても素晴らしい集会ができた。主題は創世記第一章、天地創造だった。
佐々木氏はとても興味をお持ちで質問し続けた。その後も残ってお茶を飲んで行かれたけれど、ご病気で眩暈がすると云われ、顔色が悪かった。
「日本の習慣ですと、漢文を習う女の人は殆どいません。読み書きを習うのは男だけです」
「女の人は男優が演じる芝居が好きなのです」
佐々木氏が突然そんなことを言い出したので些かぎょっとした。私は別にそんなことを佐々木氏に言わせるようなことを何も口にしなかったからだ。


1876年5月7日 日曜日
今朝は九時から十時の間にかなりひどい地震があった上、天気はとても悪かった。
水曜日に小野氏の新しい家に行ったけれど、一部屋限りの家だった。その後、茶屋で日本の食事を頂いた。いま丁度日本では、長い間水に浸っていた舟から、腐敗して虫の食った材木を取り、それで垣根や入口の側柱を作るのが流行っているが、誰が見てもとても美しいと思うものだ。
オーシャニック号で郵便も着いた。財産と支払拒絶された手形に関して母には悪い知らせがあった。それからまた、富田氏から冷たい手紙が来た。前にはあんなに親しかったというのに、こんなことを書いてきたのだ。
『もし貴方たちが友達を持ちたかったら、聖書を教えてはいけない。誰も聖書やお祈りのことを聞きたくて貴方がたのところに来るのではないのだから』
どうやら高木氏が富田氏にこぼしたらしいのだ。「ホイットニー夫人たちが教会や祈祷会に出席させたがって困っています」と。高木氏はキリスト教信者なのでそうするのが務めなのに、余暇はみな、浅草で過ごしておられる。
森氏は今日、お母様がご病気なので、七ヶ月ぶりに清国から帰国された。まだご自分の赤ちゃんもご覧になっていなかったのだ。


1876年5月8日 月曜日
「ご心配おかけしてどうも申し訳ありませんでした」
令嬢たちが今日またやって来た。おやおさんは長い間病気だったが、今日から再び私たちの務めが始まったわけだ。会議所がこの家の裏手の川に面したところに、私たちの新しい家の工事を始めた。
大鳥圭介氏が午後訪ねて来られ、帰られた後、佐々木氏がみえた。
今日は創世記から始めたが、とても面白く、佐々木氏は沢山質問した。集会後も長い間残り、母と話をしていった。
「お酒を飲むことはよくないことですよ」
母がそう諭して以来、以前はお酒好きだった佐々木氏は友達が勧めても、断固として断っているという。どうしてかと聞かれると、佐々木氏ははっきり答えるそうだ。
「聖書にそれはいけないことだと書いてあると、ホイットニー夫人が言うからだ」と。
ここに神の教えの一粒の種が蒔かれている。


1876年5月10日 水曜日
今日、母が松平夫人を食事にお招きし、勝夫人にもおいで頂くように伝言した。
午前に令嬢達が来たが、私たちが彼らを二階の奥の部屋にアディと一緒に閉じこめてしまうと、彼らは縫い物をしたり、遊んだりして時を過ごしていた。母と私はかなりきびきびと立ち働いて、お客様を迎える準備をした。三浦夫人もみえた。
「雨がひどいわね。晴れそうにもないから、松平夫人はおいでになられるのかしら?」
松平夫人は肺癌だ。人力車にせよ、馬車にせよ、車に揺られてやってくるのは辛い筈だ。
「いいえ、お義母さまはきっと来ると思いますよ」
例のおっとりした口調で、しかし、おやおさんは迷いなく断言する。
「なにせ外国人の家に行ったことがないのですもの。今日の招待をとても喜んでおりましたから」
そしてこう云うのを日本では「噂をすれば影」というらしいけれど、本当に松平夫人はおみえになった! 付き添いの人が二人、おすみのお父さんと女の人が一緒にだ。
「ご招待どうも有り難うございます」
続いていらした勝夫人は、二人の「子猫」を連れて来られた。
「!」
相変わらず勝逸嬢はとても綺麗で、美しい着物を着ていた。思わず見とれそうになってしまう。彼女ににっこりと微笑み返されるだけで、とても幸せな気分なれるのが不思議だ。
母、富田夫人、盛、アディと私を入れて、我が家の人口は全部で十四人にもなった。お客様はとても素敵な役に立つ贈り物を下さった。しかし私たちは、日本のこのような習慣にどうしても慣れることが出来ないし、こんなことを考えてもいなかったので、ケーキと小間物しかお返しできなかった。
「お返しなど大名家の方はたいして気にかけたり期待などしないから、素晴らしい贈り物などあげなくてもよいのですよ」
しきりに富田夫人はそう云われるけれど、どうしても気にしないわけにはいかない。
ただ食事の方は殆ど全員が満足して下さったようだ。その後で母はもてなしとしてご婦人たちに家事的技能の見本をお見せした。ミシン、ドレス、ベット、掛け布団、羽布団などが何よりも皆さんの興味を引いたようだ。
その間、父はおすみのお父様を喫煙するため別室に連れて行き、私は子供たちをチェッカーやジャックストローや輪投げといった、アメリカの遊びで楽しませた。
それから大人たちが下りてきて、私たちと一緒に床に坐り、はめ絵やゲームに手を貸したりしたが、皆とても面白がっていた。
「今日は大変に楽しかったですわ」
松平夫人は六時頃にお帰りなる時、はっきりと云われた。
「あれは松平夫人の本心で、よくあるような日本的儀礼ではないと思いますよ」
富田夫人は、ご自身が日本人であるが故に、私たちに気を遣ってそう云って下さった。


このように一緒に寄り集まって社交的に交わるのは、日本の婦人たちにとって本当にいいことだ。事実、この国では女の人は結婚すると、殆ど訪問することがない。結婚前だって、良家の子女なら深層に育ち、社会的儀礼や快楽はすべて男だけのものである。これは恥ずべきことだ。
富田夫人はあらゆる面で新しい思想を身につけようとしておられる。いつだったか、あるお寺のそばを通った時のことだ。
「父があそこに葬られています」富田夫人は突然そう切り出してきた。
「ああ」私はそう答えてから、何か云わなくてはと思ってこう尋ねた。「他の日本人のようなお墓参りに行くのですか?」
「今年は行ってないけれど、去年行きました」
「どうして今行かないのですか」そう聞くと、静かに笑って、こうお答えになった。
「そうですね、父はあそこにはいませんもの。あそこにあるのは、塵と石だけですわ。石なんて拝むことはできません!」
そう、夫人は分かっておられるのだ! 神様、あなたが夫人に崇められたいと望み、そうすることを命令しておられるのだということを夫人が理解できますように! 
富田夫人が本物のクリスチャンであって欲しい。確かに夫人はキリストとその力を信じている。しかし、それが悪魔の信仰なのか、神の子の信仰なのか現段階では何とも云えない。それが良い土地に落ちた良い種のように本当のものであり、石だらけの地に落ちて、いざ証しを立てようという時に死んでしまうようなものでないことを願っている。