Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第76回をお送りします。なお過去ログは、以下のように収納しております。
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今回分は「クララも吃驚のベルツ博士の蛭療法」「お逸を取られそうで嫉妬するクララ」、そして「村田夫人とお逸の楽しい会話」な話がメインとなります。解説はお雇い外国人であるベルツ博士について。


1879年4月22日 火曜日
母はまだ起き上がれないので、本郷にある加賀屋敷から高名なベルツ先生に来て頂いた。
「シモンズ先生が来られないなら是非そうしなさい」
ヘップバン夫人にそう勧められたのだ。
身体の大きい礼儀正しい方だが、ドイツ人特有の訛りがある。
二、三質問された後、蛭を処方されたので震え上がった。
まだ見たことのないそんなものを、とても使う気になれない!
なれなかったが、母に「どうしても」と云われたら仕方がない。
先生は「五十匹」と仰ったが、二十匹だけ田中に買ってこさせた。
「……私がしなくてはいけないのか」
そう怖気を震っていると、お逸が助け船を出してくれた。
「父様がよく使うから、母様はやり方をよく知ってるわよ」
というわけで、勝夫人のところへ行って「助けて下さい」とお願いすると、快く引き受けて下さったのでホッとした。
気味の悪い蛭が母の白い肌にとりつき、血が細く流れるていく。
そんな目前の光景に、気が遠くなりそうになったけれど、初めてのことで実はびくついている母を励ますためにお喋りを続けた。
勝夫人は、母を自分の子供のように、やさしく労られたので、本当に有り難かった。
こんな遠い離れ島で、母の健康を案じている経験の浅い私たちに、こんな親切な友人をお与えくださった神はなんと優しいことか。
感謝とお詫びの言葉に送られて出られた勝夫人は、血のついた手を上げて云われた。
「ほんとに血まみれの老婆ですよ。何か血生臭いことが必要なら、いつでもお呼び下さい」


1879年4月23日 水曜日
母は昨日血を出したので、ひどく弱っているため、今日はずっと家にいた。
だけど実際はずっと良くなっていると思う。
お逸はまたお花の友達に会いに行った。
加賀の殿様や、池田公、上杉公のお嬢様方だが、令息と知り合いになるようなことは起こらないでほしい。
お逸がお嫁に行ってしまったら堪えられない!
アメリカに帰ったら――この頃よくそんな夢を見る――この楽しい平和な日々、自国の人々より親切だったこのやさしい友人たちを、どんなに懐かしく思い出すことだろう。
神よ、この人々と私たちに祝福を与えたまえ!


1879年4月24日 木曜日
今日はリーランド博士に招かれ、ド・ボワンヴィル夫人と一緒に皇后様の学校に行き、女生徒の柔軟体操を見た。
とても上手で、生徒たちは大変楽しそうにしていた。
実際この授業は、昔の日本の無言劇のダンスのようだった。
女の子の何人かはとても綺麗だったが、その他は不器量もいいところで、醜いとしか云いようのない者も幾人かいた。


1879年4月25日 金曜日
今日は母の誕生日。
アディと二、三シリンジを掻き集め、プレゼントに桜の花、月、詩などの素敵なものが描いてあり、裏が別の色になった日本独自の傘を買った。
それに七面鳥と、母の大好きな躑躅も一株手に入れた。
日本に来て以来、誕生日にはきっと咲くこの花を母は特別扱いしている。
外はひどい雨だったが、家の中は楽しい一日だった。
母は有り難いことに、蛭がよく効いてずっと良い。


1879年4月26日 土曜日
今日はとても気持ちの良い日だったので朝早く図書クラブに行った。
あまり早かったので、アンダーソン夫人はまだ来ていず、ピーコックとウッドが面倒みてくれた。
それから築地へ行き、ミス・スペンサーを訪ねた。
さも物憂げに、言葉を引っ張ってダラダラと喋る変な癖のある人だが、ウッドの訛りよりはましだ。
このところ日曜日は忙しくて暇がない。
というわけで、ミス・ギューリックが二、三週間オルガンを引き受けると約束して下さった。
買い物をして家に帰り、お昼を食べるか食べないうちに村田夫人がみえた。
買ってきたフランスのキャンデーを食べながら、午後は借りてきた本を静かに読もうと思ったが、それはすっかり諦めた。
階段を直している最中なので、家の中はもう目茶苦茶。
私のためにつけた急拵えの階段を上ったが、荷物は持っているし、裾は引っかかるしで一苦労。
村田夫人は愛情溢れんばかりで、一緒に庭を散歩した。
「中に入りましょう」
お逸のいる門の前を通りかかった時にそう云うので一緒に行くと、お逸は家の人に囲まれて先生に教えられながら花を活けていた。
「あら? おひささん(村田夫人のことだ)、中に入られませんか?」
お逸にそう勧められたが、縁側でお喋りをしたり、アカとコマが私の愛猫トラノスケとじゃれあっているのを見て笑ったりした。
年寄りのお師匠様はとても陽気で、こんな童謡を繰り返して歌った。
「いぬ ワンワン、ねこ ニャーニャー、きじ ケンケン、うさぎ、――、うま ヒンヒン、
[合唱]ワンワン ニャーニャー、ケンケン うま ヒンヒン」
とてもおどけた口調と表情で歌うので、みんな大笑いをした。
「ごめんくださいませ」
おひささんが今度はこんなことを云ってお逸の髪をとかしはじめた。
「どういたしまして。こんな汚い髪でよろしかったらいくらでもどうぞ」
帰るときになって、おひささんは頭を深々と下げて云った。
「ご馳走になり大変有り難うございました、結構なお庭を拝見させて頂きまして」
「庭だなんて、雑草だらけの原っぱのようなものでございます」
若いホステス役のお逸は馬鹿丁寧に返した。
「お逸とおひささんのこんな丁寧な話し方は聞いたことがありません」
私はおかしくなって笑いながら云った。
おひささんはそれからなおしばらく私のところにいて、お喋りをしたり、刺繍をした美しい長襦袢を見せびらかしたりして、とてもよい一日だった。


1879年4月27日 日曜日 
朝、目を開けると、シュウが戸口のところで手紙や新聞を一杯かかえて立っていた。
すぐに起きて見てみると、メアリー・チェディスター、メアリー・スティーブンズ、それに一番嬉しいことにミス・ティクナーの筆跡のものが入っていた。
母は今朝教会へ行き、爽やかな朝の空気の中を車で走ったので、ずっと気分がよくなった。
こんなに美しい世界が、悪や苦しみの場であろうとは!
ウォデル氏が「主は我が羊飼い」について、いつものように熱心に説教なさった。
芝の先生も生徒たちによい話をなさった。
「あらゆることがあなた方のためになされます。
お父様は本を買い、お母様は学校へ行く支度をし、女中が連れていってくれ、先生が教えて下さいます。
さて、夕食が目の前に出たのにあなたが箸をつけるのを拒絶したら、それは誰が悪いのでしょうか?
ただ食べれば良いだけなのですから、福音のご馳走も同じことです。
さあ皆さん、キリスト様が用意して下さった恵みの味を味わいましょう」
そう云うと、低くお辞儀をして説教を終えた。
今晩の祈祷会は三人余計に来たほか、勝家から六人、中村夫人と上野氏も来て、全部で十九人だった。
こんなに盛会だと心強い。
そうそう、ミス・ワシントンがユーイング氏と婚約したことを書き忘れた。
五月十四日に式を挙げる。
二人に“マンザイラク”漢字で書くと“万歳楽”を祈る。