Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第81回をお送りします。なお過去ログは、以下のように収納しております。
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今回分は「お逸に対する求婚が続々」「日本人・西洋人交えての楽しいピクニック」、そして「アンダーソン博士の日本美術に関する講演会の模様」な話がメインとなります。


1879年6月5日 木曜  
今日、殿様――つまり勝安房守様のことだ――の部屋の前の木に大きな蛇が出て、大騒ぎに。
長い竹竿を勇ましく手にした小さな七郎を先頭に、植木屋、大工、別当、使用人全部が集まった。
だがこんな大軍を以てしても蛇を下ろすことができない。
やっとのこと、ひとりの男が角材で叩き落としたのだけど、落ちた途端、みな我勝ちに逃げ出した。
だが七郎は落ち着いて蛇の尻尾を捕まえると遠くに投げ捨てた。


1879年6月6日 金曜  
今週はずっと雨続き。
だから今日、陽がさして木陰がちらちらしているのを見て驚いた。
ビンガム家を訪ねたら、ビンガム公使しかおられなかった。
私たちをとても親切に迎え入れて下さり、気持ちよく長い間話をされた。
他のお客様が来たのでお暇をし、何軒かまわった。
今夜は勝氏、小鹿さん、津田氏、ディクソン氏、お逸などを招待した。
中村氏は来ることになっていたが「天気に逆らえないから」と云ってこられた。
松平氏とその大叔父様である黒田家の殿様も招待したが、先約がおありだった。
とても楽しい夕べだった。
勝氏はとても愛想よく「クララさん」と、私にまで話しかけ、チェッカーやチェスをした。
小鹿さんも愛想よかった。
津田氏はいつものように面白く、汗っかきの人の善い田舎のお百姓さんそのものだった。
「大きくて、赤くて、デコボコしていて、まるで苺みたいですね」
これはシュウによる津田氏の評だ。


1879年6月7日 土曜  
今日は津田家で月一回の親睦会があったので、昼から出かけた。
母は礼拝が終わるとすぐ帰ったが、お逸と私は夕飯まで残った。
中村夫人とお嬢様もいて、苺畑で楽しく遊んだり、アーティチョーク――日本名はきくいも――とアスパラガスの煮たのを頂いたりした。
津田氏はいろいろ珍しいものを見せて下さった。
帰りえがけには、彼が作らせた扇と、彼がアメリカから持ってきた夜に花の咲く紐サボテンを下さった。
津田邸を出たのは八時過ぎで、母はひどく心配していた。
帰り道、お逸は、広大な領地を持つ有力な大名の立花家から「嫁に欲しい」と云われていることを話してくれた。
「大鳥家のおひなさんとこの間別れたばかりの上杉氏まで、私のことを嫁に欲しいと云ってきたのよ。
本当に馬鹿にしているわ!」
お逸は私相手だと容赦なく憤慨を吐き出す。
「結婚なんかするもんですか!」
お逸はそう強調するけれど、それは怪しいと思う。


1879年6月9日 月曜
今朝、母が同人社から帰ってから、ビンガム夫人に会いに。
母はアメリカの土地の税金について公使にお聞きしたいことがあり、私はウィリイに東京で職を見つけていただきたかった。
公使はとても親切に、細々としたことまで教えて下さり、法律の講義のようだった。
「ウィリイ君の勤め口については、私から喜んで探させてもらいましょう」
そこまで仰っていただき、私は大変有り難かった。
ビンガム夫人も相変わらずやさしく、容貌も態度もちっとも変わらず、昔どおりゆっくりと話をなさる。
但し、公使夫妻と一緒に一緒にアメリカから戻ってこられたワッソン婦人とミス・エマ・ビンガムは体調が悪く、気候に慣れるまで私もできた吹き出物のようなもので困っているらしい。
もっといたかったが、ドーニッツ博士が見えたのでおいとました。
メアリ・ハピットに送るお金のことを聞く必要があって、高木氏の家と売茶亭によらねばならなかった。
高木氏はいなかったが、奥様と楽しくお喋りをした。
家に辿り着いたのは二時過ぎで、三時には素敵な車が家に着き、田中不二麿夫妻がみえた。
田中氏は文部大輔、つまり文部省の次官にあたり、ビンガム夫人と非常に親しく、それで近づきになったのだ。
奥様のスマさんは元歌手で、とても美しく、英語も上手な素晴らしい方だ。
アメリカに行ったことがあり、とても感じが良い。
「クララさんは日本語が上手だと聞きました。是非私には日本語で話して欲しいのだけれど」
同行の通訳を通じてそう仰るけれど、奥様自身もどうやら英語の知識が豊富のようで、私はそれを褒めた。
お逸のことをあれこれと聞き――またお逸の“お相手候補”が増えるのだろうか?――宮中服を着た写真を特に気に入っておられた。
二人ともとても良い方たちだ。
「どうぞちょくちょく遊びにいらして下さい」
帰り際に奥様はそう云われ、ご主人もそばから口を添えられた。


1879年6月11日 水曜  
今日は一時に三田の製紙工場に外国人、日本人の一隊が集まった。
しばらく前に、村田氏が今日私たちを目黒へピクニックへの招待して下さっていたのだ。
村田氏が何度も言い訳をしてから、洒落れた一人乗りの人力車で先頭を切った。
その後ろを母とアディ、村田氏の父上の林氏、次にお逸の専用車、高木三郎夫妻の二人乗車、富田夫人、三浦夫人と私。
ディクソン氏ははじめ私たちの前だったが「どうしても先に行って下さい」とのことで後ろについた。
津田氏と合流するために、古川でとまった。
けれど、例の通りまだ津田氏の支度が済んでいなかったので、長いこと待たされた挙げ句「広尾で待ってますから」と約束して先に行った。
あの美しい菖蒲園――笑花園というらしい――でブラブラしていると、遅刻常習犯の津田氏が汗をかき、赤い顔をしてやって来た。
洋服を着込んできたのだけれど、スネはズボンの裾から丸見え。
チョッキの下の麻のシャツのお腹の部分が飛び出し、カラーがちゃんと留めてなかったので横にずれて、蝶ネクタイが左の耳の下に来てしまい、まるでいたずら子猫のような有様。
汗をかき、はあはあ云いながら、けれど津田氏は展示してある植物を説明して下さった。
広尾からの道は森のように木の多い所を通っている。
道幅が狭いのと、時々急勾配のところがあるので、車を降りてかなり歩かなくてはならなかった。
お陰でじきに皆が皆、津田氏のように暑そうな様子になった。
津田氏の方はと云えば、きつい靴にもかかわらず、坂を上がったり下がったり、辛抱強く歩き、哀れな虫や蛇を殺したり、木の葉や枝を折っては、長々とその性質や効能などを話して下さった。
大体英語で話をしたが、夢中になって急いで説明しようとするあまり、動詞や名詞もごちゃまぜの目茶苦茶になり、英語をもっともよく知っている村田氏が助け船を出していた。
こんなエピソードや富士の素晴らしい眺めはあったが、目的地である目黒の内田屋に着いてホッとした。
おいしいサンドイッチや生姜入りクッキーだけでなく、和食のご馳走もあり、少なくとも私は十分に堪能した。
村田氏は水を給仕した綺麗なウエイトレスが気に入ったようなので、皆でからかったりして、食事はとても楽しかった。
食後にゲームをした。
その一つは足を後ろに持ち上げ、膝で歩いて、柱についている紙切れを舌でとるもの。
無論、男の人たちだけがこの優雅で、面白いゲームに参加し、とてもおかしな格好になった。
津田氏はことに、たとえようもないほど滑稽だった。
ディクソン氏などは俯せに倒れてしまった。
女の人たちはもっと静かな遊びをし、紙で蝶々を作って、髪の毛で扇子の先につけたりした。
しばらくこうして遊んでから、家路についた。
扇子と提灯を持ち、疲れてはいたが、楽しい冗談を云ったり笑ったりした。
家に着いたのは十時近くだった。


1879年6月17日 火曜
今日はアディの11歳の誕生日。
プレゼントをあげたが、ヘップバン夫人がいらっしゃるので、パーティーは明後日にした。
母はとても可愛い裁縫箱をあげたので、アディは嬉しがっていた。
アディの愛する子供たちであるハレルヤとエセリンダのために生地もいろいろ貰ってますます喜んだ。
ヘップバン夫人は一時にみえ、食事をなさった。
それからディクソン氏や母と一緒に工部大学校の美術館を見学にいらっしゃった。
招待されたので、アンダーソン博士の「日本美術」に関する講演を聞きに、私も四時に行った。
ド・ボワンヴィル氏が門で待っていて大ホールの奥様の隣に案内して下さったのだが、こんな笑えない冗談を仰った。
「今日は大地震がないことを祈ってますよ。
僕が建てたんですから、責任とらされては困りますからね」
私を落ち着かせようとなさったのだと思う、きっと。
ホールには有名な画家のありとあらゆる掛け物がかかっていた。
だけど、建てた当人を前にして云うのはなんだけど音響効果がひどく悪く、アンダーソン博士の声も小さく話がさっぱり聞き取れない。
仕方がないので壁の絵を見たり、ギャラリーから私を悪戯そうに見張ってくださるド・ボワンヴィル氏に微笑みかけたりした。
というわけで、講演は全然分からなかったので印刷したものを読みたいと思う。
その後、私たちのお友達と話をしてとても楽しかった。
フェノロサ夫人、メンデンホール夫人は特に愛想良かった。
「毎週水曜にやっていますから、クローケーを是非しにいらっしゃい」
アンダーソン夫人そう云って下さった。
全体にとても面白かった。