Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第97回をお送りします。
なお過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分
今回分は、クララと可愛いらしい疋田玄亀君(勝海舟孫)との会話、前回の藤島氏の話を受けてのクララとディクソン氏の微妙な機微の話がメインとなります。今回は区切りの関係&旅行の準備につき、非常に短めで失礼します。


1879年11月11日 火曜
今日はジェイミーとテニスをする約束をしたが、起きてみたらその段ではない。
滝のような雨で、晴れる気配はまったくない。
大山氏の赤ちゃんのおみつが昨晩死んだと今朝聞いた。
可哀想に、冷たい雨と風の中を旅立ったのだ。
だが知らなくとも救い主は、汚れなき子羊を天国に召されるために、外で待っておられたのだ。
キリストが哀れな母の心に慰めを与えられんことを。
清い、汚れのない地上の天使のような子供たちは私の胸をしめつける。
昨晩も、小さな黒鳥のような玄亀が私に抱きついてきて、悲しそうな声で云った。
「クララさん、オクニへ、オカエリナサルカ?」
「ええ、玄亀、そのうちにね。でもまだ行かないわ」
黒い髪を軽く叩き云う。
「行ってしまったらとっても悲しい」
「私もよ。でも一緒に行かれないかしら。どう?」
「イヤ、イカレマセン」
「どうして? アメリカにはいい子が一杯いるから、一緒に遊べるわよ?」
「日本人の子か?」
玄亀君は心配気にたずねる。
「ううん。アメリカ人」
「じゃあ、僕行きたくない。話できないもの」
「それじゃ、私が遊んであげるわ。それでどう?」
「でもクララさんは男の子じゃないもの」
心得顔に黒鳥君は云う。
私は笑って「友達の別当の子と一緒に行きたいか?」と聞いた。
「チョウちゃん? いやだよ絶対。悪い子だもの。だけどセイちゃんは連れて行きたい」
「ヤーちゃんも駄目ね」
「そうさ、ヤーちゃんも悪い子で、それに泣き虫だからね」
「それじゃ、セイちゃんにしましょう。あと誰にする?」
「うん。西村を連れて行こう。学校中で一番いい子だからね。あいつならいいよ」
玄亀は熱中してきて云った。
この後も、玄亀がこの子はいいとかあの子は駄目と云うのを聞いているのは面白かった。
まもなくアメリカ旅行に出かける子供の大団体ができあがった。
ジェイミーは子供とすぐ仲良くなる人で、五分ももたない中に玄亀とすっかり意気投合してしまった。
悪天候にもかかわらずドイツ語の授業がいつものようにあった。
今日の私はひどく神経質になっていた。
というのも、ランプがひっくり返ったり、カルカッタで汽船の事故があって、ヒンドスタン号が沈没した話を読んだりで、気が動転していたのだ。
アンガス氏も、トルコでイギリスとロシアの戦闘が再燃しそうな話をした。
「帰国した途端、入隊ということになるでしょうね」
ディクソン氏がそう云うので、私はぎょっとした。
「あなたが行ってしまわれることなど考えたくもありませんわ」
母が吃驚して私の言葉を代弁した。
「僕も考えたくはありません。でもいずれその時は来るのです」
見上げると、彼の澄んだ目には涙がにじんでいた。


1879年11月13日 木曜
母は昨日横浜へ行って、ディクソン氏とジェイミーに会った。
ディクソン氏とアンガス氏は夜、家に来て一緒にドイツ語の勉強をした。
二人ともとても機嫌がよくて、本当に楽しかった。
今朝母と銀座に行き、亀屋やそのほかの店で買い物をし、家に帰ったのは一時近かった。
母がジェイミーと約束してあったので、私はすぐにテニスにでかけた。
とても楽しくて四時頃までやった。
それからドイツ語の授業に急いで戻ったが、門のところで近所の軍人の奥さんである高木さんにひきとめられた。
いくつですか、コートはいくらですか、アメリカまでどのくらいありますか、どこに行っていたのですか、いつ結婚なさるおつもりですか、等々。
そんな幾つか不躾な質問を浴びせかけられたが、なんとか答え「日曜日においでください」と云った。
奥さんは、ありがとうとは云ったが、いつかアメリカに行きたいということだった。
授業の後、母がディクソン氏に云った。
「この前の日曜に、藤島さんの言ったことについて、娘が書きましたよ」
「ああ、そうですか。是非見たいですね。
藤島氏が何を云っていたのか分かれば、今度答えることを考えておけますから」
でもその文章は私の日記に書いてある。そこで私は云った。
「別のものに書いて差し上げますから、しばらくお待ち下さい」
「いえ、是非すぐに聞いてみたいのです」
しかしすぐに聞きたいと仰っるので、私は少し考えてから云った。
「……少し残って下されば読み上げます」
正直なところ私はとても嫌だった。
私の日記に彼の名前がこんなに頻繁に出て来ることが、表紙からさえ分かってしまうのではないかとさえ思えたからだ。
私が取り出した日記を見て、ディクソン氏は「随分厚い日記ですね」と驚いたように云った。