Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も(暫定)新シリーズ「帰ってきたクララの明治日記 超訳版」第3回をお送りします。
なお前シリーズの過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分明治12年12月分明治13年1月分明治15年11月分明治16年1月分


1883年1月30日 火曜日
今日はビンガム夫人を訪問し、とても楽しかった。
ビンガム判事は本当に親しみを持てる最良の公使である。
考えてもごらんなさい。
神の王国にとても近くにおりながら、そこにまだお入りにならない。
私の腕をとって、丁重に人力車のところまで連れていってくださってから、別れを告げた時に、ビンガム氏は一瞬私の手をとり、とてもやさしく「さようなら」と言われた。
親切なご老人に祝福あれ!


1883年2月2日 木曜日
今日は面白いことがあったので、日記に書いておく。
使用人の金太郎とハルに暇を出した。
ハルと別れるのはいやだったけれど、金太郎は「まったくもってまったく」我慢ができなかった。
ハルは泣いていた。そして、別れをひどく悲しんでいた。
ハルは本当にいい人だったから私たちも残念だった。
彼女がやめる前日、私は聞いてみた。
「聖書について何か聞いたり、読んだりしたことがある?」
ハルは云った。
「読んだことはないし、はじめて聖書について聞いたのは、お正月にウィリイさんが幻灯を使ってヨセフの話をした時です」
ハルはその話を聞いて泣き、それをすっかり金太郎に話してやったそうだ。
そこで私が神様や救い主について話してあげたところ、ハルはうやうやしく耳を傾けていた。
ヨシは「ハルにあげてほしい」と、キリスト教の話を書いたやさしい本を二冊くれた。
さて二人は行ってしまい、アディと私だけが大張りきり。


ヨシが来て、夕食の仕度を手伝ってくれた。
でも、せいぜい煮たきをしてお喋りをするぐらいしかできなかった。
ヨシは本当にいい人で、私たちは皆彼が好きだ。
ヨシは勝氏のケライでサムライである。その上、一番よいことに、クリスチャンである。
頭のいい若者で、顔立ちはよくないが、なかなか機転のきく男だ。
家事に使う道具をみな買って来てくれたし、またウィリイにとってはいろいろな点で、言いつくせないほどの助けになった。
お礼にアディは英語を教えてあげている。
ヨシは、使用人の部屋に誰もいないから泊まっていってあげるといった。
私たちはその申し出を喜んで受け、ヨシは泊まった。
梅太郎もヨシといっしょに真夜中近くまで起きていた。
内田夫人と疋田夫人も夜、讃美歌を歌いにみえた。
今朝、私たちは早く起き、ヨシはストーブの火をつけてくれた。
そこへ、男の人が足早に入って来て、勝夫人の言いつけで手伝いに来たといった。
この大の名は金八という。
妻は病んでおり、二人の子供を育てなければならないので、骨債屋を始めたのだが、その様子から見ると大して儲からないようだった。
しかし金八はとてもいい人だ。
何でも喜んでするし、器用でてきぱき用事を片づけてくれるので、そばにいてくれるとありかたい。
いつもいてくれたらとただ願うばかりである。
金八に手伝ってもらって、台所を片づけ、食事の支度をした。
丁度できあがったところへ勝夫人が私たちのために雇ってくださった二人の使用人を連れて、入ってこられた。
二人ともぼっと出のまだ若いピチピチした、どんな種類の仕事でも大丈夫といった女の子だ。
この人たちが来てくれたのはとても嬉しかったけれど、ただ来た時間の具合が悪かっただけだ。
でもどうやらうまくきりぬけ、間もなく二人にはお皿を洗ってもらった。
丁度そこヘヨシが台所道具を新しく買って帰ってきた。
内田夫人が養子の保爾とそれを見に来られた。
それから輝ちゃんも来て、皆台所に集まって大会見式のようだった。
ふざけたり笑ったりしながらも、日本製の道具はちゃんと適当な場所に掛けられた。
「何か不足があったら、うちにあるものの中から持って来ますから」
内田夫人はそう言ってきかなかった。
それから内田夫人は「使用人たちのご飯は適当な釜が買えるまで、うちの竈で炊くように」と言い張られた。
そこで金八が炊飯用の薪を持って行こうと提案した。
夫人は全然そんな必要はないと主張したが、私はそうさせた。
勝夫人は魚を母のために調理して届けてくださった。ヤシキの人たちはこの上なく親切だ。
私たちは家族の一員のように扱っていただいて感激している。
実際勝家には私のとを姉妹とみなし、母のことを母親のように思っている人が二人いる。
すべてありかたいことだが、私たちはこの方たちが皆「我が父」の家族に加えられる日を待ちのぞんでいる。


今日午後に小鹿さんの奥様が来られた。
木挽町から持ってきた大きな背の高い雨水を入れる水槽は、クララさんの風呂桶なのですか?」
高い円筒形の水槽なのに、まったく滑稽である。
ウィリイは昨日ミス・パークスを訪問した。
ミス・パークスは母がよくなり次第、一緒に乗馬に出かけましょうと誘ってくださった。
皆さんが本当に親切にしてくださる。
こんなに親切にして頂くとは、なんともったいないことだろう。
しかし私たちのどこが好かれるのか知らないが、それはとにかくすべて正義の太陽から借りた光に過ぎない。
親切を受けてやたらにいい気にならないように注意し、人々が私より、むしろ我が主を愛するよう切に祈る。
人の心の罪の深さよ! とても計り知れないほどである。
安全だと思えば思うほど、陥る危険は大きい。
神よ、われらすべてを助け給え、聖顔の光を示し給え。


1883年2月7日 火曜日
勝氏のうちの若い人たちぱ今日午後にとても愉快なことをした。
昨夜は大雪で、今朝は文字どおり雪に閉じ込められた。
ヨシと武夫は一晩中わが家に泊まり込んでいた。新しい女中たちはとうに出てしまっていたし。
雪が腰まで積もっていたので、ここでご飯を炊いて、朝食を食べなくてはならなかった。
松の木には重い白い雪がかぶさり、屋根にもまた積もっていた。
アディと私が朝六時に台所におりて行ったところ、吹き込んだ雪が棚にも床にもたまっていた。
綺麗だったけれど、牛乳屋は遅く来るし、魚屋は全然来ないしで、まったく不愉快だ。
正午頃には雪はやんだ。
間もなく得体の知れない種々雑多ななりをした男の子や女の子の群れが、勝家の門からヤシキの広い空き地に現われた。
そこでその子たちは羽目を外して大笑いしながら、猛烈に雪つぶてを投げ合った。
一方は勝家の若奥様が女中たちに囲まれて攻撃の指揮をし、他方は梅太郎が男の子の一隊を率いていた。
若奥様は、着物の上に灰色のフランネルのシャツを着、頭には青い手拭いを被っていた。
一人の女中は青色の夏の着物を、今一人は白の漂白してない着物の上に赤いネルのシャツを着ていた。
しかし男の子たちは、まったく滑稽ななりをしていた。
梅太郎は洋服を、武夫は白のフランネルの下着を着ていた。
七郎は昔の武者のようななりをし、彰爾は短い、丈のつまった袴をつけ、それが足にひどくまつわりついていた。
ミズクミは大きな従軍用の上衣と帽子をつけ、ダイクは木綿の股引とシャツという夏の衣装で、雪つぶてから身をかわしていた。
それは面白い眺めで、見物人も雪合戦に加わっている人たちと同じくらい大笑いした。


1883年2月16日 木曜日
生徒の六蔵は今日は来なかった。私も来るとは思っていなかった。
昨日、読本巻一で、犬に読みを教えている子供をうたった短い詩を読んでいた。
 こっちへこい、こい こっちへおいで
 教えてあげるよ A、B、Cを!
六蔵は堂々と読みあげたが、A、B、Cの最後のB、Cを「Before Christ!(紀元前)」と読んで私を驚かした。
私たちは前にバーレーの万国史を読んでいたのだ!


1883年2月25日 土曜日
私たちは相変らずだが、徐々に落ち着いてきている。
ただ同胞から離れ、最近は道が悪いために多くの日本人の友人だちからまでも隔離されている。
まるで勝家に閉じ込められているようだ。
そして当家の人たちは私たちにとってすべてである。
小鹿さんの奥様は私に英語を習いにほとんど毎日来られる。
また私たちは、毎日勝家の誰かしらに会う。
内田夫人はとても親切だ。
私たちは勝氏のヤシキと、絶えず小さな贈り物をやりとりしている。
勝夫人は日曜日の朝、コーヒーを借りに使いをよこされた。
先週の2月17日は小鹿さんの誕生日で、勝家では敷地内の全員に大盤振る舞いをした。
私たちにもお皿やお盆にのったご馳走を届けてくださった。
それはとてもおいしく、私たちは特にお赤飯を喜んで賞味した。
食後、うちの使用人の金八を呼びに来て、彼にもご馳走してくださった。
金八とヨシとは、お皿を洗って返すか、洗わずに返すかで大議論をした。
日本では不幸の時にだけ、拝借したお皿を洗って返すのが習慣である。
今回のはおめでたい日というわけだ。