Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「帰ってきたクララの明治日記 超訳版」第6回をお送りします。
なお前シリーズの過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分明治12年12月分明治13年1月分明治15年11月分明治16年1月分明治16年2月分


1883年5月8日 火曜日 氷川町
私の生活は変わったように見えるが、それでいて、不思議に普段のとおりだ。
私の生活に関係するあらゆること、家のこと、読書、書きもの、教えること、そして私の考えまでもがすべて、私の大切な母の考えと絡み合い、母は私の生活から絶対に消えることはありえないのだ。
私は母を失ったようには感じない。
というのは母がまだそのままここにいるかのように母のおだやかな影響が続いていて、私はただもう、母の望んでいることを注意深く行っているからだ。
ほかの皆もそうだ。
アディはもちろん私ほどには感じてはいない。
私より年も若いし、私ほど母と交渉をもたなかったから。
しかしウィリィは――ああ、可哀想に――母を偶像視していたほどだし、母にとっては息子以上のものであったから、母の生涯のすばらしい影響を、はっきりと感じとっているように思われる。
ウィリィは母の部屋の中のものを、何一つ変えることを許さないだろう。
そこは私たちにとって今や一種の聖域なのだ。
でもウィリイはそこにいると天国を一層近くに感ずるからそこで眠るのだと言っている。
そして本当にそうなのだ。
この神の国の入口は、母がそこで神に捧げた熱心な祈りによって聖められた。
私はそこで母と、二人だけで過ごした朝をよく記憶している。
「いっしょにお祈りをするほうが祈りがすぐにかなえられるようだ」
母はよく云っていた。
それは私か十歳か十一歳のころからの習慣であり、母は天なる父について自分が感じているとおりに私も感じるようにと教えてくれた。
一、ニカ月前に、母が捧げた祈祷の言葉を私はなんとはっきりおぼえていることか。
「おお、神よ、神の道を歩まんとするこの若き者をみそなわせ給え。
彼女を真理の道におき、虚栄からその眼をそむかしめ給よ」
これは母の大好きな祈祷であった。私の眼を虚栄からそむかしめ給え。


日本人は私たちにとても親切で、私たちは前にもましてますます責任を感じる。
私たちは、母の荷がどんなに重かったか感じはじめている。
それは、私たちが母の判断をいつも信頼し、あらゆることで母によりかかっていたからである。
私たちは、しげしげと青山にお参りに出かけ、母の貴い遺体の安息所をきれいにしている。
そしてあと三人の墓のための余地のあるそこを「私たちの場所」と呼んでいる。
疋田夫人が、ある日曜日いっしょに行ってくださり、次のように言われた。
「私は新しい考えを持っているので夫の家族とごたごたしています。
東京にお寺と墓地があり、私はそこに異教の儀式でいつかは埋葬されるのです。
私はクリスチャンになったのだから、異教徒として火葬にされ埋葬されることには同意できません、と皆に言いました。
あなたの懐かしいお母様が誰にも妨げられることなく、あたかも眠っているかのように安らかにそこに横たわっていらっしゃるのを見た時、お母様の平安をうらやましく思いました。
そして今私はお母様のそばにキリスト教の儀式で埋葬されたいと思います。
火葬の恐ろしさを考えるといつも死ぬのが怖くなります」
私は、うちの客間で洗礼を受けたあとすぐに亡くなった日本の老人の改宗に、疋田夫人が力となられたということを耳にしていた。


日曜日の夕方、私たちはおごそかな集会を開き、クリスチャンたちと祈り、読み、話をした。
その後母のうるわしい人生について語り、この人たちの改宗は母のお陰だと話し合った。
ヨシは立ち上がって言った。
「私はもう三ヵ年も信仰をもってきました。私はこの部屋のあそこで初めてキリストのことを聞きました」
そしてドアのそばの一カ所を指差しながら云った。
「あそこで洗礼をうけました。私と他に六人が」
ヨシは牧師になろうとしている。母が播いた種からどんな収穫があるのだろうか? 
私たちが再会する時、母を喜ばせるような稲の束を持って行けるよう、神よみそなわせ給え。
勝夫人は先日ここで長い間母の生涯について語り、母がはるばる二回も来日し、二回とも両家がお互いに近づき合っているのは不思議なご縁だとおっしやった。
また奥様はこうも言われた。
「お互いの愛情と尊敬の念は素晴らしいことです。
きっと、神様が私たちには何だか分からないけれど、何かの目的のためにこうお命じになったのでしょう」
奥様は、母が今回はただ死ぬために来日したようなものだけれども、それでもなお、母の人生が、死が、そして日本へのみごとな献身が決して無駄ではなかった、と心から思っておいでになる。


1883年5月14日 月曜
今日内田夫人のお茶摘みの手伝いをした。
相当量があるので、できるだけたくさん手伝いがほしかったのだ。
天気は良いし、外で涼しいすがすがしい春の空気にひたって、とても気持ちがよかった。
私の思いはたえず天のいとしい者へと向き、まわりの伸びたお茶の木の茎からよい香りの葉を摘みながら、幾度となく涙がうかんできた。
艶やかな葉かげに、あちこちに散らばって、人々は働きながらいろいろなことをしゃべり合っていた。
クリスチャンたちは同盟会や説教について、青年たちは友達や娯楽について、使用人たちは給金や物価や自分たちの主人のことについて話していた。
あたりは楽しげな声や軽やかなさざめきに満ちていた。
皆よろこんで働き、すぐに大きいニッケルメッキのお盆がお茶の葉でいっぱいになった。
台所から「ワレタビビトゾ」と讃美歌をうたうクメの声が流れてきた。
茶摘みをしていた一人の老人が私の女中の声と上手な歌をほめてくれた。


日本人に伝道をしておられる津田仙氏と新島襄氏が今朝来られ、楽しい語らいの時を過ごした。
現在世界中の教会が示している関心を彼らも持っておられる。
神の愛の焔がすべての日本のクリスチャンの間にひろがりつつあるようだ。
真の復興が今まさに来ようとしているし、皆は聖霊の洗礼を祈っている。
幼い子供たちでさえ遊ぶのをやめて友達の間に福音を広めようとしている。
神学校の生徒は大いに関心をもち、女子の学校では生徒が自分たちの部屋で祈祷会を開いていて、いつまでも寝ないので先生方は苦労している。
遠足で年長の少女たちが見えなくなると、彼らは決まって棕櫚の木の下で祈祷会をしているのだ。
私は新島氏に告げた。
「母はあなたと話をしたがっていました」
更に、日本人の間に信仰が復興してきたことを母が知ったらどんなに喜んだであろう、と申し上げた。
新島氏は感動に声を震わせてお答えになった。
「お母様はご承知ですとも、天国で」
この方の篤い信仰の人柄に打たれて、私は思わずこう思った。
「彼はキリストと共にあり、キリストから教えを受けておられる」
新島氏は真に聖人だ。
私は日本人に対してこんな風に感じたことは今までに一度もない。
おお、ここの、私たちの親しいクリスチャンたちがこの恩恵にあずかれますように。
でもこの人たちは集会に出たことがないから、人生の糧を多く必要とするのではないだろうか。
母が逝ってしまった今、誰が彼らにそれを頒つことができようか。