Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「帰ってきたクララの明治日記 超訳版」第9回をお送りします。
なお前シリーズの過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分明治12年12月分明治13年1月分明治15年11月分明治16年1月分明治16年2月分明治16年4月分明治16年5月分明治16年6月分明治16年8月分


1883年11月19日 氷川町 月曜
今日で私たちが日本に着いてからちょうど一年になる。
そして私の現在の立場から省みて、この一年、私の足は、よくも長いでこぼこ道を歩いてきたものだ。
そして何といろいろなことを経験してきたことかと、驚くばかりである。
ガスリック号の甲板に立って、だんだんはっきりしてくる日本の美しい海岸線を、愛する家族の者たちと一緒に眺めたあの明るい輝かしい日のことを、私ははっきり思い浮かべることができる。
私は山を見た。それは美しく輝いていた。
そして私はそばに立っていた母の手を握り、思った、
「私たちは旅を終えた。日本に着いた。さあ、これから奮闘だ!」
でも私はどのような奮闘かはあまり考えなかったし、何が襲いかかるかなど夢にも考えなかった。
けれど、何か大きな悲しみの影がその朝の陽をかげらせ、私の魂に重い影を投げかけていた。
母の顔を明るくしていたあの純粋な喜びとは異なるものであった。
母は巡礼の旅の目的が達せられたと思っていた。
しかし母にとってこれがすべての巡礼の終わりになるだろうとは思ってもみなかったことである。
今日で私たちの愛してやまない母が亡くなってから七ヵ月である。
更に困ったことは、私が神の恩寵を受ける資格に欠け、去年の今ごろよりも精神的にずっと悪くなっていることである。
またしても到着のあの朝の光景が甦って来て、私は寝台の上で寝返りしながらかすかな暁の光の中に、すでに起きて服を着、港から約束の地を一目見ようとしている母の姿が見えるような気がする。
「フジヤマが見える。さあ、みんなお起きなさい。じき上陸ですよ。
私かちかこんな遠いところまで無事につれてきてくださったことを神様にまず感謝しなければなりまぜん」
そう言う母の声が聞こえてくる。
神に始まり神に終わるのはまったく母らしい。
母にとって神は総てであり、今や母は神を見ているのだ。
おお何とすぱらしい考え! おお私の大切な愛する、やさしい母。
私はあなたが登りついた輝かしい、いと高きところにいつか到着できるでしょうか。
ほとんど毎夜、母の幻影が私の眠りを慰めてくれる。
しかし母がいなくては、なんという疎ましい目覚めであろう。
昨夜、私はまた母といっしょに船の甲板に立っていた。
母はやさしい幸福そうな、そして半ば楽しそうな顔つきをして波を越えて私の方へ漂ってきた、そして私が驚くのを喜んでいるようであった。
母はとても青ざめていた。ああ、何と真っ青なお顔! 
私は歓喜して母にしがみついた。
「ママ」
私は涙をうかべて叫んだ。
「では、本当に行ってしまわなかったのね」
「神様が私を健康にしてくださったのですよ」
「奇蹟ね。神様がママを治してくださったのは!」
私が見るのはいつも母の病気がよくなる夢ばかりである。
私はもっと規則正しく書かねばならないのだが母を失って、野心も全部なくしてしまった。
ミス・ジェーンが先日私に手紙でこのようなことを書いてくださった。
「人は亡き人々のことを嘆き悲しみます。
でも亡くなった人は、望んでいたとおりに生きているのです」
今朝の聖句は「一粒の麦なかりせば、云々」であった。


1883年11月20日 火曜
昨日午前中、私は生徒のウタさんとお逸さんの家へ行き、それから彼女の妹の梅子のために帽子を買いに銀座へ行った。
妹さんはいつも洋服を着ている。
私たちは大さわぎをして、とうとう青いフェルトのかわいらしい小さい水兵帽と赤い靴下を見つげた。
今日は、ウィリイとアディと一緒に用事で横浜へ出かけた。
ウィリイぱ朝鮮の人と食事をし、妹と私は買物をしてから、ヘップバン夫人を訪ねた。
今日はずっと雨で、その中を私たちは大急ぎで歩きまわらねばならなかった。
駅で汽車を待っている時、一人の朝鮮人がやって来て、実に不愉快な様子で私たちをじろじろ眺めはじめた。
私たちは女の子二人だけだったので、荷物をまとめ待合室のほかの場所へ移った。
後にその人が代理公使で、朝鮮王の義兄であることがわかったが、あんなに不作法では、どうしても紳士とは思えなかった。
アディはロンドン聖書連合の日本支部を結成する中心人物になっていた。
現在会員は七十人余りあり、将来これが日本人の間に、聖書研究を前よりも盛んにするよすがになればと願っている。
ウィリイもまた無料の施療院をはじめ、やがて母の名でコティジ記念病院を建設することができるように仕事を進めて行くことになっている。


1883年11月24日 土曜
新しい友が一人ふえた。
吉原重俊租税局長夫人がお嬢様の数えで八歳のお祝いに、アディと私を招いてくださった。
午後一時にお逸さんを誘って、一緒に吉原夫人の家へ行った。
それはすぐ近くで、大きな、半ばヨーロッパ風の住まいだったが、私たちは入口で靴を脱いでスリッパをはいた。
それからカーテンや絨毯や安楽椅子や鏡があり、壁には素敵な油絵がかかっているヨーロッパ風の大変立派な二階の客間に案内された。
吉原夫人はここに腰掛けて、日本人と結婚したオランダ婦人をもてなしておられた。
私たちがあたたかく迎えられ、話をはじめた時、吉原氏が加わり、優しいお母様は幼い娘さんのお祝いの着物を見せてくださった。
それは上品な色の縮緬の上に、金糸銀糸で美しく刺繍がしてあった。
間もなく私たちは下から呼ばれ、夫人について、階段を下り、長い廊下を通って日本間へと行った。
そこにはすでにたくさんの親戚の方たちがお祝いのつどいに集まっていた。
私たちは今日のヒロインと、他のお客様たちに紹介されてから、その方たちの間に日本式に坐った。
そして縁側から庭へとつき出した小さい仮舞台を隠しているカーテンに期待の目を向けた。
お客の中には二人の花嫁と、蝶々のような数人の子供たちと、その両親、吉原家の家族、吉原氏の兄弟がいるのに気づいた。
待っている間、おいしいケーキやお茶がまわってきて、吉原氏のかわいいお嬢様は専門家の弾く二つのギターの伴奏で歌をうたった。
このお嬢様は静枝といって、ばら色の顔のかわいらしい少女で、黒い前髪が黒い細いまゆ毛のところまで下がっていた。
立派な装いで、髪型はまるでお姫様のよう。
実際日本の本物の王女といえども、幼い吉原嬢がこの祝いの日に着ていたような美しい着物を持っている者はいないだろう。


歌をうたってから彼女は引っ込んで、もっと素敵な着物に着替え、逃げてきた極楽鳥のような格好で再び戻ってきた。
間もなくカーテンがあがり、昔の衣装をつけた二人の人が、日本人にとってはおめでたい意味をもつ“万歳”という大層凝った踊りを演じた。
これらの人は男装をしているが実は十二歳と十四歳の少女である。
これに続いてとても素敵な衣装の別の子供が、感じのよい上品な踊りを二つ三つした。
いくつかの歴史的な場面もこれら子供の役者たちによって演じられ、非常に小さいステージを使うことによって、彼らが並みの大きさの大人に見えるよう工夫されていた。
ひときわ面白い踊りが一つあった。
一人の立派な若いサムライが花のついた一枝の桜を肩に、よろけるような足取りで、歌を歌いながら、舞台に現れた。
彼は、いや彼女は<それは少女だった>上手に演じたので、見物人の中から一人の老紳士が「ウマイコト!」と叫んで手を叩いた。
この若い男は、歯磨粉を売っている商人と、桃色の着物を着た若い婦人に声をかけられた。
彼は剣の柄につけていた鏡で念入りに化粧をすませてから、この婦人と友達になった。
歯磨売りはお喋りで、大阪での凧の揚げ方をサムライに見せてあげようと言った。
彼は大阪の出ということになっているのである。
この小柄な商人はちょっとの間引っ込んで上向きの目をしたおかしなお面をかぶって戻って来た。
そして凧揚げを表わす上品な踊りを踊ったが、揚げたり強く引き戻したりのいろいろな動作がすべて完璧であった。
三味線が伴奏をし、一人の婦人がこの無言劇の説明を朗吟調でうたった。
遂に凧は下ろされ、商人はお面の上向きの目を、凝視している目にかえ、幅広い袖を広げて、新しい踊りをし、凧の動きを見事に演じた。


次は若い令嬢の“ハママツ”という芝居で、婦人や少女たちが、「お嬢様の赤い帯」と叫びながら、あちこち走りまわり、私たち観客は夢中になってつま先立って見ていた。
やっと幕が上がると、獰猛な顔つきをした泥棒が短い着物を着て、大変長い剣をもって舞台をつま先で旋回した。
間もなく立派な赤い衣装をつけ、金紙の冠をかぶった姫が、しとやかに踊りながら出てきた。
彼女は華奢な肩にのせた竹竿で、見かけは頑丈そうな紙の桶を二つかついでいた。
このような衣装や冠には普段慣れていないので、とても動きにくそう。
このこき使われている美人のハママツに扮しているのは吉原家の令嬢であった。
肩越しに彼女をじっと見つめているくせに背を向けて、近くにうずくまっている泥棒に、ハママツは目もくれないで踊り、一、二回泥棒につまずきそうになったが、なおも踊りつづけ、ポーズをとって、その紙の桶に架空の水を入れた。
しかし泥棒の出現で、この無邪気なしぐさは突然阻まれてしまった。
最初の意図はともかく、その美しさに完全に参ってしまった泥棒は、徐々にハママツの方に近づきはじめた。
しかし彼女はそれをとても嫌がって、賊に握られている袖をぐいと引き、扇子を品よく数回振って彼を倒してしまった。
ところが泥棒は、にわかに姫の魅力のとりこになり、向こう見ずになって姫を悩ましつづけた。
泥棒は、たて続けに負けたので遂に腹を立て、長い剣を突き出した。
しかし美女は扇子でそれを避け、相手がさやを落とした隙に勇ましくもそれを使って彼を強く打ち、とうとう泥棒は剣も落としてしまった。
この美しき猛者はそれをすばやく取り、このいやらしい敵をやっつけ、そのあと一人静かに踊った。
この出し物は拍手喝采を受け、小さいヒロインが戻って来た時、賞讃と讃美の言葉が浴びせかげられた。


次のプログラムは大変豪華な日本食のご馳走で、これは小さい漆塗のお盆や、凝った瀬戸物の器に盛られていた。
食事中は、女性歌手がこの会のために頼まれて来ていて、得意の歌を歌った。
それがとても上手だったので終わった時、赤井氏は叫んだ。
「ウマイネ! よい声だ。ちょうど男の声のようだ!」
歌手は拍手喝采に感激し、引き下がった。
宴と踊りは八時まで続き、その頃になると、出席していた数人の紳士にお酒がきいてきた。
赤井氏は、長い煙管の先からゆっくりのぼる煙につつまれて、ひとりで歌いはじめた。
あまり陽気になったので、とうとう夫人と子息がだまし、すかして連れ去ってしまった。
赤井氏は腕を傲慢そうに組み、威厳をもって、しかしややよろめきながら部屋を出て行った。
私たちはそのすぐ後でおいとまをして、お逸さんを門まで送り、そこで別れてからまた人力車に乗った。
私は、今日はいろいろ見せていただけて嬉しかったが、同時に、日本人が着飾ったり食物のことなどにあまりに心をつかい、大切な不滅の魂のことをなおざりにしているのを、残念に思わないでぱいられなかった。