Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「帰ってきたクララの明治日記 超訳版」第15回をお送りします。
なお前シリーズの過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分明治12年12月分明治13年1月分明治15年11月分明治16年1月分明治16年2月分明治16年4月分明治16年5月分明治16年6月分明治16年8月分明治16年11月分明治16年12月分明治17年1月分明治17年2月分明治17年4月分明治17年5月分


1884年8月6日
今、大変陽気な二人の方をもてなしている。
生涯の四十二年間をサンドウィッチ諸島、つまりハワイで過ごされた、デイモン博士夫妻である。
ご夫妻は私たちの友人の多くを知っていらっしゃることがわかった。
ご子息は、長い間清国で宣教師をしておられたハパー氏のお嬢様のメアリさんと結婚なさっている。
夫妻はロンドンのマシソンー家とも知己で、1880年にはマイルドメイにおられた。
その時母と一緒にそこの集会に出席した。
お二人はフィラデルフィアに住む母の親友のデイモン夫人もご存じだし、勝氏が提督で二十五年前にサンドウィッチ諸島を訪れた時おもてなしをなさったそうだ。
十五年前にニューブランズウィックで勉強されていた小鹿さんにもそこでお会いしている。
遠藤さんという若い婦人が、先月の二十日からチャールズ夫人の『キリスト教国の婦人』を日本語に翻訳している。
私は遠藤さんといっしょに毎朝それを読んであげている。
チャールズ夫人とはロンドンでお会いした。お宅はハムステッドヒースにある。
ティモン氏も夫人に会っていらっしゃる。
ディモン氏はブルームスペリー・スクェアのバー家に下宿しておられたことがある。


1884年8月21日 木曜
九鬼夫人とお嬢様の衣装をととのえるのに大変忙しかった。
今日はご一緒に横浜への最後の旅をした。
九鬼夫人は熱海にいらっしゃるが、お嬢様――本当は九鬼氏の殿様の娘――は、帽子を合わせに行かなければならなかった。
お嬢様は今朝七時にここへみえて、洋服に着替えて、駅へ行った。
そこでお父様の老大名と家来に迎えられた。
兄が一緒に行ってくれて、楽しい一行になった。
殿様は立派な風采の、背の高い老紳士で、容貌はまったくヨーロッパ人のようで、明らかに大変賢い方たった。
横浜に着くと、日本の宿に行き、そこで九鬼氏に会ったが、買い物の遠征に同行すると言われた。
私たちはしばらく待たねばならなかったが、その間に殿様と愉快な話をした。
殿様は日本語しか話さないし、国外に出たこともなかった。
見聞を広めるために令嬢をアメリカに送りたいのだと言われた。
おっしゃるところによれば日本女性は広い知識がなくては母親になる資格がない。
そこで、令嬢に他人より有利になるようなことを身につけさせたいと思っておられる。
令嬢は勉強に行くのではなく、ただ外国婦人と知己になり、よい習慣を習って来るためである。
そして殿様はこう仰った。
「なかでも、キリスト教を学んで来てほしい。
私自身は神を信じることはできないが、娘には信じてほしい。
私は日本全体がキリスト教国になってほしいと思う。
もとは、悪い宗教だと思っていたが、今では世界中で一番良いものだと思う」
おお、私は自分が雄弁であって、銀の絵の中の金のリソゴのような言葉が語れたらいいのにと、どんなに願ったことであろう。
しかし私はただ熱心に、私も日本が政治的理由だけでなく、個人の幸福のためにキリスト教国になることを望むと言った。
それは、キリスト教がすべての人のために大変良いものだからである。
私はこの華族の考えと、度量の大きい見解に驚いた。
いろいろ話しているうちに、ロンドンの爆弾による陰謀についてもこう言われた。
「時に、このような残忍な方法で、同じ人間を殺そうとするこの人たちは、どんな宗教の人でしょうね」と。
私たちは九鬼氏がこの目的のために雇った立派な馬車で買物に出かけた。
そして店の主人たちを驚かした。
横浜では四頭立ての四輪大馬車はめったに見られないので。
私自身は、人力車の方がずっと便利だと思った。
私は店の主人たちが莫大な富と思われるものの前では、どんなに追従的になるかを見て嫌悪を感じた。
帽子屋の女主人のカーティスさんは、満面に笑みをたたえて、丁寧な応対をした。
薬屋は東洋人がするようなお辞儀をし、バードさんは騒ぎまくって、箱を引きずりおろし、日本の貴族のために、こぎれいな店をおかまいなく混乱状態にしてしまった。


1884年9月8日 月曜
今朝ウィリイと私は西郷中将〈現在伯爵〉のお邸の宴会に行き、大変楽しい時を過ごした。
出席者は公使館の人々と九鬼ご夫妻だけで、とても愉快だった。
伯爵の別荘は美しく、スイスの山小屋風で、優雅な家具調度が置かれていた。
椅子やソファーや長椅子などの中央飾りは伯爵夫人がご自身で刺繍されたものである。
庭も美しく、広さは三十エーカーもある。
真後ろに山がそびえ、そこから一条の滝がおどり跳ねながら脇の方に落ちていた。
伯爵夫人はもしかして私が大山夫人の旧友ではないかと尋ねられた。
もしそうなら大山夫人が亡くなってからずっと私に会いたい、そしてよい友達になりたいと思っておられたそうだ。
私は伯爵夫人と公使夫人の間に交わされた会話を全部通訳して差しあげた。
九鬼一家は十四日に出帆される。