Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの日記 超訳版第7回−1

1875年12月11日 土曜日
今朝、朝食の支度をしに下に降りたら、小野氏がいつもの威厳あるサムライの着物とは違う格好で、何かお手伝いをしようと現れた。今日は十一日だから「イチロク」の公休日にあたるのだそうだ。つまり日本では「一と六のつく日、但し三十一日は除く」が、我々でいう日曜日になるらしい。
「今日は暇ですので、是非ケーキを焼く手伝いをしたいのです」
朝食を満足げに並べた後、小野氏がそう提案されてきた。確かに食後はつまらなさそうに台所を彷徨いておられたので、私は少し思案した後「それではバターとお砂糖を掻き混ぜて頂けませんか?」と頼んでみた。
重々しく頷かれてから早速作業にかかった小野氏を、横目でチラチラ確認してみる。
宮内庁の役人であり、報知新聞の論説委員である人が、紋章のついた役人の服を脱ぎ捨てて、刺繍した帯の上に古手拭をピンで留め、新聞に出すとても重要な論説を書いているときのように、真面目くさってケーキの材料を、更に引き続いて南瓜パイの材料を掻き混ぜる姿は、とても奇妙だった。そして更に驚くべき事は、非常に厳かで几帳面に行う小野氏の仕事がパーフェクトだったことだ。程よく掻き混ぜられたケーキの、そして南瓜パイの材料は、竈で焼く前から成功が約束されているようだった。
ついでながら、小野氏は報知新聞に商法講習所に好意的な素晴らしい記事を書いているが、筆者が誰なのか知らぬまま、それに注目している人が何人もいる。
さて午前中小野氏は一言の文句もなく立ったまま手伝って下さったわけだけれど、ケーキとパイとビスケットを竈から取り出したら、予想通りまったく端麗に出来あがっていた。
小野氏は本当の紳士であり、信頼できる友人である。子供の時から女の人や女の子とよく遊んだので、女の社会が楽しいと云われる。歌人のお祖母様から教育を受け、物静かな性質なので、十四歳まで女子の学校に通われたそうだ。アメリカにだって、そんなに楽しげに台所のことを品も落とさずやってくれる男性は多くないだろう。そんな小野氏は、夕食後、病気のお友達のお見舞いに、自分で作ったパイとプディングを持っていかれた。


彼が帰宅したのは二時間ほど経って後だった。
「友達からのお返しの贈り物です」
貰ってきた御菓子とお茶を用意された後、小野氏はよいしょとばかり、大きな箱を持ってこられた。
「中に入っているのは一体何なのですか?」
「これは祖母の歌です」
私はその作品の多さに吃驚した。よく見えるようにと小野氏がわざわざ持ってきてくれた行灯をかざすと、山や森などの景色の輪郭の描かれた色紙が多くあった。更に細長い紙で壁に掛けるようになっているものもあれば、古代の巻物のように巻いたものもあり、また畳んだだけのものもあった。それを全部読めたらいいのにと、どんなに思ったことだろう!
ざっと目を通して、わからないながらもできるだけの批評をしてから、小野氏が特に感心しているらしい作品を手にとって、英語で説明して下さいとお願いした。
小野氏はしばらく躊躇い、戸惑っているようだった。
「辞書はないかな」
そう溜息をつきながら仰って、最後には諦めたように頭をぴしゃっと叩いてから、解説して下さった。
『秋の美しい月が空から、海と、波が静かに寄せては返す緑の小島を照らしていて、海は銀のように輝きながらうねっている』
なんて美しい光景を想像させる歌なのだろう!
しばらくしんとして、小野氏は考え込み、私の手元の作品をじっと見ていた。行灯の火は薄暗く、私たち二人は箱を差し挟んで坐っているという絵のような場面となった。
「日本の歌はとてもやさしいように見えますが、大変深い意味を持っていて、それを読むと考えなくてはなりません。私の祖母は物を沢山書いたし、勉強もしました。漢文も理解しました。私は時々祖母のことを考えて眠れないことがあります。そういう時この箱を取り出して悲しみに暮れるのです」
小野氏はこの美しい沈黙が乱されぬ事のないよう、静かに仰った。
「……お祖母様はいつお亡くなりになったのですか?
「十年前のことです。私は祖母が亡くなるとすぐ、生地の仙台から東京に出てきたのです。その時、たいていのものは置いてきたのに、何よりも好きなこの箱だけは手放すことが出来ませんでした」
私は重々しく頷いてから、次のように告げた。
「そういうものは金や銀より尊いから大事にする値打ちのあるものです」
ただ心の底では、神様のお言葉の方がもっともっと価値があるという気がして、あの永遠の世界のことを小野氏にも教えてあげたいと思った。その世界には人間の中の善良で高貴な賢い人々が住み、そこでは現世的な物がいくら輝いているように見えても、皆つまらなく思われるのだ。今ここにその生涯の作品が置かれているお祖母様のことを考えて、お祖母様は「道、真、生命」についてお聞きになったことがおありだったかしらと思った。
いつもの私ならはっきりとそう口に出していたかもしれない。だけど、何故かこの場では遂に最後まで言い出すことはできなかった。
その後、二人で月光のもとで富士山を見た。本当に美しい眺めだった。
月の光に輝く空に燦めく星が、夜の王冠の宝石のように富士山の頂上を取り囲み、雪に覆われた富士山は「大日本」の大山脈の王者に相応しく、白く堂々と聳えていた。
私は我が友小野氏と玄関先を歩いたが、小野氏は月を見上げながら怪しげな英語で云った。
「I lofe it.I lofe it!」と。