Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの日記 超訳版第7回−3

1875年12月16日 木曜日
昨日、夕方五時に中原国三郎氏がみえて、十時過ぎまでおられた。一ヶ月大阪に行っていて少し前に帰って来られたのだ。
中原氏はアメリカの青年のような感じの方だ。しかしアメリカでは教会に行っていたのに、今はもうあまり積極的でないことがよく分かる。安息日に人を訪ねたり、来客と会ったり、歓楽地に出かけたりしている。海外で主キリストに誓いを立てた人たちのほとんど全部がそうなのだ。
この国に帰って来ても初めのうちは教会に行ったり、安息日を守ったりするのだけれど、間もなく周りの外国人も日本人も無関心なのを見て自分も右に倣い、すぐに神への誓いを忘れ、世俗的なものだけに溺れてしまう。精霊のお力によって、この人たちを目覚めさせてあげなくてはならない。
善なる主よ、この放蕩息子たちを、どうやって教会に連れ戻したらいいか教えて下さい。
そんな中原氏も来られた今日の昼食後、みんな食堂に坐って、母と私がクリスマスツリーの装飾品を作っていた時、中原氏が突然仰った。
「気持ちの良い日だから午後お浜御殿に行きませんか」。
母は賛成し、私も午前中望郷の念にとりつかれていて、何か気分転換が必要だったので行くことにした。支度をして、母と小野氏とアディ、盛と富田夫人、中原氏と私がそれぞれ一組になって出かけ、勿体ぶって歩いて行った。しかし、とてもむうららかな日だったので、庭園に近づくにつれ元気が出てきて、間もなくすっかり楽しくなった。
「……えっ?」
でも、お浜御殿の入口で私たちは途方に暮れる事になった。一般公開日を間違えていることを今に至るまで誰も気が付かなかったのだ。
「こんなに遠くまで無駄足を踏ませて、なんとお詫びしたらよいか」
男の人たちはひどく恐縮して繰り返し謝られた。誰かが「それでは愛宕山に行きませんか?」と言い出さなかったら、日が暮れるまでそうされていたかもしれない。
かなりの道のりだったが、途中母は幾度か退屈しのぎにみすぼらしい日本の店や家を覗き、小野氏も同じように時々礼儀作法の道からそれて、富田夫人に愛想を尽かされていた。


愛宕山は江戸の街中で一番高い山だけれど、標高は僅か25.7メートルに過ぎない。
頂上へ向かう石段は二つあった。一つは小さな段が曲がりくねっている一方、もう一方は一フィートずつの段がついており、ほとんど垂直だった。
「婦人の着物はぴったりとしていて大股では上がれないので低い螺旋状の石段は婦人用で、もう一方の殆ど垂直の石段はどんな歩幅でも上れるから男子用なのです」
富田夫人と母とアディは当然婦人用の「女坂」を選択したのだけれど、私は「男坂」に挑戦する事にした。
それでも改めて坂を見上げてみると、殆ど垂直で恐ろしいほど高く見えるので、私は不安になった。
「大丈夫ですよ、私は三年前にある武士が、この殆ど垂直の石段を馬に乗って駆け上ったのを見た事があるくらいですから」
中原氏の言葉に、私はパットナム将軍の向こう見ずな跳躍を思い出した。その武士の行動は、のろのろとゆっくりした日本人的というよりは、むしろ行動的、衝動的で、アメリカ的というか、ヤンキー的な行動のように思われた。命知らずのようでありながら、気概が現れているからだ。
差し伸べられた中原氏の手を握り、私は勇気を出してみんなと一緒に競争で上ることにした。
「俺たちは、まだ登りはじめたばかりだからな! この果てしなく遠い男坂をよ!」
そう勢い込んで登り始めた我が護衛者(エスコート)たる中原氏は、でも背が低く、痩せているからすぐにへばってしまい、止まっては息をつくことになった。それでも色々な超人的な努力をした挙げ句、私は両手を取ってもらって、他の人たちがまだなかなか着かないうちに無事てっぺんに着いた。
中原氏はすっかり息切れがして、今にも倒れてしまいそうだった。私も最初気が遠くなりそうだったが、それも収まると相当烈しい運動をしたためにかえって気分が良くなった。
頂上からは東京と湾の眺めが素晴らしく、至るところに美しい白い帆船が点在する湾は空と同じくらい青かった。この山から見える有名な場所をいくつか指して下さったが、なんと一マイル先の我が家の一部が見えたのである。そして頂上の反対側では、富士山が青と淡い紅色の靄の上に堂々と聳えているのが見えた。
帰宅後、本当に素晴らしかったこの一日に、ベツドの脇に跪いて、神様に感謝の祈りを捧げた。