Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの日記 超訳版第7回解説

【クララの明治日記 超訳版第7回解説】
「ということで、逸子初登場となった第7回のクララの明治日記超訳版をお送りさせて頂きましたわ。お逸、初出演の感想は?」
「……な、な、なんなのよーっ、コレは!? 折角出番が来たのに台詞なしなのっ!?」
「借りてきた猫を演じていたのは貴女でしょうが」
「し、仕方ないじゃない! 父様と一緒のお出掛けなって滅多にないんだし、ましてや父様の昔からの知り合いがあんなにいる場所で、ぶっちゃけるわけにはいかないでしょ!」
「フン、負け猫の遠吠えなんて、はしたないですわよ」
「なによ、負け猫って!? だいたいこんなのに勝ちも負けもないでしょ!?」
「勿論ですわ。今のは貴女をからかってみただけです」
「ユウメイ、アンタね。。。」
「……出番があるだけいいじゃありませんか。わたくしなどまだ当分先ですのよ。しかも一度登場した後、アメリカに暫く出掛けてしまいますし」
「……ゴメン、ちょっと私、反省した。
コホン。では、気を取り直して、本日の解説を」
「今回は特に解説すべき点などはありませんわね。ただ、クリスマスのお話の冒頭“来年のクリスマスを何処で祝うのだろうか?”の件から、クララ一家がこの前年のクリスマス時点で深刻な経済何にあった事が推察されますわ」
「へ? そうなの?」
「順風満帆にいっていたら、布教に身命を賭す宣教師なら兎も角、好き好んで極東の島国に来るものですか! 実質アメリカで経営していた学校が破産寸前になったので、渡りに舟とばかりに日本に来た、というのが実態に近いようですわ。もっとも、それは父親の方の事情で、母親のアンナさんに関しては真剣に布教活動を目指しておられたようですけど」
「……なるほど、森氏が心配になって契約を躊躇ったのも満更間違いじゃないのね。
それにしてもクララのお父さんって影薄いよねー。今まで紹介した7回中、登場したのはたったの3回だもん。意図的に削除してるんじゃないの?」
「いいえ、相対的に見るとかえってこの超訳日記の方が出番が多いようよ。年頃の娘の常と云えば常かも知れないけれど、こと父親に関しては何かマズイことが起こった時にしか触れていませんわ」
「……同情はするけれど、ちょっとその気持ち、分かって上げられないかなー」
「貴女のところの父親を基準にしては、何処の親も頼りなく見えてしまいますものね。
さて話変わって、今回の準主役と云うべき、中原氏と小野氏のことですけれど。お二人とも“良い人”ではいらっしゃるのだけれど、中原氏が典型的な努力・根性型の日本人なのに対して、一方の中原氏は立ち回りがよくて目端の利く日本人、といった評価で宜しいのでしょうか?」
「う〜〜〜ん、難しいところだよね」
「? 何を悩む事がありますの?」
「当然! ジャ○プ腐女子的には、どちらが攻めで、どちらが受けかで!」
「痛すぎるから折角敢えて触れないでスルーしようと思いましたのに、貴女はなんで自爆しますの!?」
「いやー、やっぱり一回に一度はネタを振らずにはいられなくって」
「そんなネタは振らなくて結構です! この馬鹿は放っておいて、愛宕山の話を少し。
愛宕山は江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社だという経緯から、何故か“天下取りの神”“勝利の神”として武士からの信仰対象になっていたようですわ」
桜田門外の変井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったって云われてるよね。それからここの“男坂”の急な石段は“出世の石段”と呼ばれていて、これは家光公が山上にある梅が咲いているのを見て“梅の枝を馬で取ってくる者はいないか”と言ったところ、讃岐丸亀藩の武士が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ています」
「中原氏が成功例を見たと証言していることから、武士にとっての“力試しの場”になっていたのでしょうね。それから妙な勘ぐりをする外国人記述者もいて“男用と女用に別れているのは差別だ”のような趣旨を書き記しているのを見た事がありますわ。まったく、この手の“勝手な見方”での“勝手な差別”を作り出す輩は古今東西、昔からいるようですわね」
「……“勝手な見方”と云えば、クララも随分困ったところがあるけれどね」
「ああ、遠慮するかと思ったのに、やっぱり取り上げますのね」
「うん、いくら親友相手でも書いておかないと、流石にこれは片手落ちだしね。クリスマスプレゼント交換した際の一節に以下のような文面があるんです。
『数多くの綺麗な贈り物のことを書くのを忘れていた。母は金ペン、絵、茶器一式、台所用品、日本の箱、五種類の絹地、茶箱を貰い、(使用人の)セイキチとウメから、仏壇の前に置く習慣になっている真鍮の装飾品一揃いを貰った。セイキチたちは、クリスマスとはどういうものかということを、そして母が朝夕神様にお祈りしているのを知っている。それで神様に礼拝するのに何か必要だろうと思ったのだ! 哀れな異教徒だ。栄光の神を崇めるのに偶像崇拝と迷信の象徴で手伝おうとするなんて!』
こういう無知に対するあからさまな態度が、日本でキリスト教が広まらなかった事情なんじゃないかな? 私たち日本人なら、誰がどう見てもセイキチとウメさんの行為は『精一杯考えた末の善意』だって分かるのに」
「……わたくしの亡くなった実の父と母も宣教師だったようですけれど、確かにその点は否定致しませんわ」
「でも同時に親友としてフォローしておくけれど、こんな態度のクララも歳を重ねるに連れて、段々“日本式”に染まっていくから」
「その辺りの経緯は、引き続き当超訳日記をご覧になって確認して頂けますと幸いですわ」
(終)


と云った所で、今週も最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
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