Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第19回−3

1876年8月29日 火曜日
今日は鎌倉の大仏の見学だ。海辺に沿って出かけたのだけれど、道のりの大部分を歩かなくてはならなかったので、かなり辛かった。
鎌倉はタイクーンの一人のいた古都で、江の島から約四マイル、東京から十五マイルのところにある。今はとても綺麗で清潔な村なのだけれど、その大きさや、遺跡としてあちこちに散在するお寺から、昔の壮大さが偲ばれる。
まず三橋という、掃除のゆき届いた大きな茶屋でお昼を食べた。小さな庭には緑色の池があって、中に何もいないかと思ったら、お菓子を投げ込むと金魚が水面に群がって出て来た。とても大きい金魚もいた。
巡礼を大勢見かけた。こんなに多いのは富田夫人によると理由があるらしい。
「あの人たちは昔は裕福なサムライだったのですが、政治の変革のために貧乏になったので、自分の国まで歩いて行かなくてはならないのですよ」
私たちのそばに坐った巡礼は「ああ、今日は十六里歩いたな」と呟いていた。
茶屋を出てから、少し先の小高いところにある観音堂に向かって歩いた。
石段を沢山上って頂上に出ると、古いお寺があって、中に三百体のの仏像があった。この古いお寺の裏には納屋のようなお堂がある。
「仏像は光が嫌い」だということなので、素早く入って戸を閉めると、蝋燭の光で、金箔を施した楠の高さ三十フィートの仏像が見えた。これはなんでも千七百十五年も前の物なのだそうだ。しかも十六年間も海中にあったのだそうで、それでも手に蓮の花を持っていたという。
慈悲の女神と云われ、顔が七つ、手が千本あり、知恵と力を象徴しているという。天井に取り付けた滑車で、提灯が吊り上げられて、仏像の顔が見えるようになっていた。
「どうして堂内を暗くしておくのですか?}
そう尋ねたら、お坊さんたちは呆れたような顔をした。ここで、観音と大黒天<富と幸福の神>の絵を買った。


次に立ち寄ったのは、戦争の神を祀った鶴岡八幡神社だった。
その神様は日本の十五代天皇で、その治世に中国の古典が日本に導入されたのだそうだ。そして今、戦いの神<ハチマン>として崇められている。
私がこれまで見た中で一番立派な神社で、境内は清潔でよく手入れされていた。美しい太鼓橋が蓮池にかかり、蓮の中で生まれた弁天のために鳥居が建てられている。
入口にいた老人から、漢字が刻んである鋼の小さな刀を買った。これは自殺や殺人をしないためのお守りなのだそうだ! 
私たちは聖なるサケ<御神酒>を一口すすり、お米を一粒食べたが、これは食べ過ぎで死ぬのを防ぐためだという! 
それから二人のサムライが、美しい骨董品を沢山見せてくれた。その中に、実に優雅に工夫を凝らした金と銀で仕上げた家光の弓矢と箙や、五ポンドほどの重さの家康の兜があった。これが本当に家康のつけたものだとしたら、彼はきっと「銅頭」の人間だったに違いない。同じく家康の物で、大きな貝に真鍮の口金をつけたラッパがあって、私も吹いてみた。もし家康がこれを知っていたら「野蛮人の口に汚されるくらいなら、いっそ」と、そのラッパを粉々に砕いてしまっただろう。
非常に優美な細工の、三百五十九年前の刀が二本あったけれど、これはウィーン博覧会に出品したものである。
それから葦でできた仕上げも音色も美しい、七百年前の「パンの笛」つまり葦笛もあった。これ以外にも六百八十年前の墨壺や、千七百七十年前の神功皇后の鐙もあったけれど、この皇后は初めての女帝で、ハチマンの母であり、朝鮮に出兵した人だ。
そうしてようやく本来の目的地の大仏に着いた。
大仏は高さ六十フィートで、幅はその半分ほど。青銅製の像で六百年前のもので、胎内は大きな空間になっている。
私たちは梯子を登って、大仏の背中にある窓から外を見た。胎内から出た後、よじ登って大仏の親指の上に坐ってみた。だけどそれを見た一人のサムライがひどく不快がった。そのサムライはそのような女らしくない行為を見せないように、自分の奥さんを追い払った。実際に富田夫人もあまりいい顔をしていなかった。
それから江の島に戻るため、車夫たちは軽快な早足で私たちを運んでいった。