Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第61回−2

1878年11月2日 土曜日 
今朝、何をしようかと考えているところへ、玄関の銅鑼が鳴った。
「とてもよいお天気だから写生に行こう!」
ミス・ゴードン・カミングスが入って来たのだ。
彼女はダイアー夫人の馬車に乗って来ていたので、私たちはその馬車で麹町の方へ出かけた。
途中お堀のところで止まって、濃淡さまざまの緑や茶色の松や杉の木が生えている美しい芝生に覆われた土手を写生した。
凄い人だかりがしたけれど、全然平気だった。
私はせっせと彼女のために鉛筆を削る役目を負わされていたからだ。
その後でまた馬車に乗り、水道橋からの景色を描くために九段の方へ行った。
「ああ、マッタマッタ! ストップ!」
しかし、ミス・ゴードン・カミングスはそう叫んで途中で馬車を止めさせた。
そしてそのままお堀の内側の綺麗な道に入っていき、草の生えた土手の一番上まで行ってしまう。
何故か必死に制止する御者の声も右から左に聞き流し「わたしが写生する間、そこで待っているように!」と言いつけた。
御者の顔がみるみる間に真っ青になっていく。
不思議に思って理由を問いただすと、御者は巡査に見つかることを恐れていたのだ。前に巡査と一悶着あった経験があるらしい。
「なんとかして、あそこに上らないように彼女を説得してくれ」
彼は滑稽なほど低姿勢で私に懇願した。
でも、誰が何と云っても効果なんてない。なにしろ相手は“ゴーゴン”なのだから。
結局御者は手綱を握り、巡査がみえると私は道端の花を摘んでいるようなふりをした。
しかし、二人目の巡査をなんとかかわした次の瞬間、とんでもないことに思い至った。
(これは大久保利通卿の暗殺者たちが、相手が近づいた時に用いたのと同じ手口だ!)
私は慌てて花を摘むのをやめて車に戻り、巡査の注意は他の方法でそらすことにした。
しばらくして彼女が馬車の席に戻ってきた時には心底ホッとした。


それから水道橋に出て、ついでに菊の展示会が始まっている団子坂に出た。
狭い通りの入口で車を降り、展示会まで歩いた。
今年はとても美しく展示されていて、例年よりずっとよかった。
最初の庭で見たのは茶摘み女と男がお茶の葉を摘んでいる姿。女の一人は髪にお茶の花を一輪さしていた。
その他には宮廷の場面や弁天様や大きな魚、月下の殺人場面などがあった。
ちょっと引っ込んだ場所には一面に提灯をつけた屋形船があって、その船尾に男と女――女は芸者――がおり、男は煌めく刀を振り上げて恋人である彼女をまさに殺そうとしている場面であった。
非常に上手に作られた情景が沢山あり、菊の葉や蕾を使った衣装が特に美しかった。
私たちの側を通りかかったた小さい女の子が、道を教えてくれてた。
「お姉さん、年はいくつ?」
私が18歳だと答えると女の子は「あら!」と云った。
彼女の年は十二ということだったけれど、あまりに小さいので、こちらの方が吃驚した。
「おんぶしている赤ちゃんはいくつなの?」
彼女の連れている赤ちゃんの年を聞くと、一歳で名前は「岩」だと教えてくれた。


その後もミス・ゴードン・カミングスは男っぽい仕草で人々を驚かせた。
十銭を崩してもらって大きい重い銅貨ばかり渡されると、
「軽いのがいいや」
そう云って銭箱をひっつかみ、自分で好きな貨幣を選んでとった。
その次に上野に行き、木の下で一口食べてから写生するものを探した。
「ちょ、ちょっと! 何をなさるおつもりですか!?」
ミス・カミングスが突然お茶屋の前に置いてある大きいベンチを掴んだ。
そしてそのまま石段の上に持って行くと
「クララはそこに坐って楽にしていなさい」
「………………」
私はミス・カミングスの心遣いに応えようと努力した。
努力はしたのだけれど、群衆が集まってきて、楽どころかとても居づらくなった。当たり前のことだけれど。
もっとも鉛筆を削って現実逃避していられる間だけはまだましだった。
そう、鉛筆削り以外にも私には重大な使命が与えられていた。
私は綺麗な着物を着た女の子を何度も側に呼んだ。
要するに、子供たちが絵描きさんの近くへ行かないようにするのが私の役目だったのだ。
そのうち学生服を着た青年が近づいてきた。
私が英語で云ったことに一々笑っていたから、英語を勉強しているらしいと思った。
この推測は正しかった。やがてとても上手な英語で喋りだし、でも私が日本語を解すると分かると、だんだん日本語になっていった。
彼の名前は羽田といい、麹町のどこかに住んでおり、以前小石川で勉強していたとのこと。
感じのよい青年だった。
次に見栄えのしない男性が近づいてきた。
「おお、長年探し求めていたものを遂に見つけたぞ! 女の絵描きだ!」
手を握り合わせ、男は昂奮を隠しきれぬ声で叫んだ。
彼は真っ赤な顔をしていた。
けれど最初私は、段々を上ってきたせいだろうと思った。そっちの方角から姿を現したので。
彼はお喋りで、でもいろいろ喋っているうちに話し方がおかしいことに気付いたけれど、それでもはじめは何処か遠くの地方の人なのかと思った。
「もうミス・カミングスはお帰りになりますから」
そういう話をしたら、突然私の手を両手で握ってきた。
そして拝むようにその上に頭を下げると「どうか帰らないように」と私に懇願した。
私は驚いて怒った目つきをし、顔を赤くして手を引っ込め、その場を離れた。
「気をつけた方が良いですよ。酔っぱらっていますから」
羽田さんがそう囁いて注意を促してくれた。
しかし酔っぱらいの老人が仲直りの印として、懐から虫食いの木の葉や柳の小枝を取り出した時にはおかしくなった。
羽田さんを私たちの従者とみたらしく、羽田さんが怒っていると思って古い豆を差し出し、こう云った。
「食べてごらん。身体にいいよ」
羽田さんが断ると、老人はうあろうことかミス・カミングスの方にそれを持って行った。
「歯が悪くても大丈夫」
「大馬鹿者ッ!」
当然の事ながら、ミス・カミングスはすっかり腹を立て一喝した。
ミス・カミングスは勿論、私もまったく取り合わないので酔っぱらいは困り果てたらしい。「後でお茶屋に行くのだったら、代金の半分持ってもよいのだが」
言下に私たちが断ると、老人は近くの茶屋に向かっていった。
「それではご婦人が絵を描き終わるのを待つとしよう。その後でみんなでちょっと一服すればいいのだからな。ああ、酒は飲んでもお猪口に一杯だけだから大丈夫」
独り言のようにそう云って老人は立ち去った。
で、結局その後でお茶屋を覗いてみたら、老人は煙草盆と急須の横で床の上にぐっすり眠っていて、私たちが行ってしまうまでそこにいた。
滑稽な老人だったけれど、ミス・カミングスは「馴れ馴れしい」と云った。
五時に紙挟みと鉛筆箱を片付けて家路についたけれど、その前に池の中の弁天様に寄った。
それから人力車を雇って帰ってきた。馬車は上野から返してしまったのである。
私はすっかり疲れてしまい、それ以来足が痛い。
でも滑稽なことがあったから埋め合わせになる。
母は今日アディと横浜へ行った。