Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第83回−6 

1879年7月4日 金曜
今晩はグラント将軍の歓迎会。
元々は父が私たちと一緒に来てくれる予定だった。
しかし丁度お昼頃、ホートン夫人から「いっしょに行きませんか?」とお誘いがあったので、母と私は七時半に芝へ出発した。
すぐにホートン氏の二輪馬車の後について上野に向かい、うちの使用人である田中は洒落た小さな車に乗って後から来た。
途中、いろいろなところに寄り、危うく人を轢きそうになりながら、沿道の「人の顔の波」をぬって、上野精養軒の石の車寄せに着いた。
クロークで上のものをとると、森氏がすぐに案内して下さり、気持ちの良い対応だった。
お客は皆、食堂の後ろの玄関に集まっていた。
お友達と一緒になって待っていると、やがて一瞬静まって「いらっした」という囁きが聞かれ、人々は将軍一行を通すためにさっと分かれた。
最初に現れたのはグラント夫妻将軍。
ヘイル・コロンビアの吹奏裡にしっかりした足取りでホールに入場され、最上段の席に着かれた。
続いて、ヘップバン博士夫妻、マッカーティー博士夫妻、ビンガム駐日アメリカ公使、同令嬢、ワッソン夫人、ヴァン・ビューレン総領事、デニソン領事ら多数の人々がこれに続いた。
それから一人一人歩み寄って将軍に謁見した。
シモンズ博士が母を、森氏が私を紹介された。
愛する祖国の前大統領との初めての会見に、私は名状しがたい気持ちに襲われた。
「初めまして、ミス・ホイットニー」
暖かく私と握手され、親切に挨拶された。
光輝ある星条旗の旗の下で、そのやさしい青い眼と正直そうに日焼けした顔を仰いだとき、私は感動の極に達し、祖国への誇りと、アメリカ人であるという歓びをかみしめた。
祖国の恥辱となるような振る舞いをすることが決してありませんように。
グラント将軍は、写真から想像するように、がっしりした体つきだが、背はそれほど高くなく、顎髭の正直そうな顔は、日にさらされたのと旅のお陰で焼けており、やさしげな青い眼と、親しみのもてる物腰だった。
夫人の方は、ずんぐりした体形でいささかがっかりしたが、笑うと愛嬌があり、物の分かった親切な方のようだ。
「グラント夫人はヘイズ夫人より気取っているのよ」
ビンガム夫人が以前そう云っておられた。
噂によると、将軍がこの世で一番賢い人だと思っておられるそうだが、それもまあ当然だと思う。
全員の紹介がすむと、ビンガム公使が短いスピーチをなさった。
「東京にいる外国人、特にアメリカ人は、偉大な勇者であり、政治家であるこのような方をお客として迎えることを名誉に思い、ここに歓迎会を開き、将軍にご出席頂き、ありがたく出席者一同、将軍が日本で愉快に過ごされますよう、実り多き旅とご多幸をお祈りします」
大拍手の後、今度はグラント将軍が簡単な答礼をなさった。
「日本でかくも親切に歓迎されたことは大きな歓びであり、帰国後も忘れることはないでしょう」
拍手が終わると、人々は夕食が美しく盛り付けられた食堂に移った。
男の人たちは、女の人たちの欲しがる大量のアイスクリーム、レモネード、シャーロット・ルースを取るのに忙しく、自分たちの飲み物まで手がまわらなかった。


次に、マッカーティ博士がテーブルを叩いて「合衆国大統領」に乾盃をした。
これを受けて、ヘップバン博士がスピーチをなさった。
大統領の苦難の道のりについて語り、尊敬は受けても大変な地位で羨ましい段ではないこと、そしてかつては国の支配者の地位まで登ったが、今は私たちとまったく変わりない立場にあられることなどを述べられた。
博士は明らかにどぎまぎしていらした。
「博士、大統領になれるくらいのスピーチじゃありませんか?」
スピーチが終わるとビンガム公使が肩を叩いて、そう軽く揶揄したので、みんな笑った。
それから将軍は立ち上がるとベランダに出、葉巻に火をつけた。
シルクハット――ここでは殆ど誰でもヘルメット帽か麦藁帽をかぶるのでまったく珍しい――を被って、煙草を吹かしている姿はとても自然だった。
次に独立記念日を祝って乾盃し、来賓のアメリカ総領事、ヴァン・ビューレン氏がそれに応じてグラント将軍の偉大さと我が祖国について、滔々たる演説をなさった。
私は教会での説教しか聞いたことがなかったので、ヴァン・ビューレン氏の迸るような雄弁ぶりにすっかり夢中になってしまった。
大変威厳のある品の良い感じで、雪のように白く長い顎髭、幅広の肩にカールした白い髪が垂れかかり、深い黒い目は鋭いがやさしそうで、男らしいしっかりした足取り、声は力強く極めて音楽的だ。
だが――書いてもよいだろうか? 
この素晴らしい人は、外見とは裏腹に道徳的に堕落していて、しばしば大酒を飲んで“けだもの”となり果てるのだ。
本当に矛盾そのものの人で、紳士的で礼儀正しいと同時に粗野で凶暴なごろつきであり、見かけは素晴らしいが中は腐っているのだ。
ヴァン・ビューレン氏は生まれついての弁舌家で、ユーモアとペーソス、宗教と愛国心を効果的に混ぜ合わせる術をよく知っている。
聴衆の反応は奇妙だった。
今笑い転げていたかと思うと、遙か彼方の故郷や既に逝ってしまった愛する人々を思い起こして眼に涙を浮かべ胸が塞がるようになったり、祖国を困難からお救いになった神のことを、抑えた調子の深い音楽的な声で語ると、人々は自ずと頭を垂れ、また何か愛国心を煽るようなことを云うと、拍手喝采になるのだった。
とても素晴らしい演説で、食事やその後のダンスと同じくらい楽しかった。
その後、リッチモンド音楽隊がかなりの出来映えの演奏をし、客は皆、花火を打ち上げている池の方に出て行った。
グラント将軍はフレッド大佐と葉巻を吸っておられたが、早くに迎えの車で帰られた。
残った客の大部分は十二時までいた。
横浜の人たちは二時まで待って、特別列車で帰った。
私は家がそんなに遠くないのでよかったと思った。


人影もない静かな通りを飛ばしてくると、7月4日の独立記念日には煌々と照っていた月が、笠を被って遠く霞み、お堀や厳めしい石垣に柔らかい光を投げ、うっとりするように美しかった。
車がカタカタと通り過ぎると、お堀の上で眠っていた色鮮やかな水鳥は頭をさっと上げ、身を震わせ、皇居の杉の木の鳥の群れの見張りは目を覚まし、車夫の甲高いかけ声に張り合ってからかうように「カーカー」と鳴いた。
それからマチへ入ったが、どこもかしこも静まりかえっていた。
ただ頭を青い「ハンカチ」ですっぽりくるんで、目だけを出した怪しげな通行人が、懐を手にして、月明かりの下をとぼとぼ歩いていくのを見かけただけだった。
ほとんどの家が閉まっており、戸の隙間から遅くまで勉強する光が漏れ、蚊取り線香の匂いが漂った。
時々、二階の格子窓から通りを見下ろしている人影が見えた。
蚊か蚤に喰われて眠れなくなったか、愛する人かいない人を思って月にそっと溜息をついている感傷的な若者だろう。
日本の有名な詩にあるように「あなたを思うと、涙の川が枕の下を流れ、休みを知らない川藻のようだ」。
速歩機を手に入れ、嬉しくて眠れなくなったらしい青年が、恐ろしいスピードで私たちの側を駆け抜け、ひやりとした。
やっとお城の通りに来、虎ノ門の荘厳な遺跡を通り抜けると、工部大学校のキューポラの時計が、月明かりにくっきりと見え、一時を打った。
これは恐ろしい場所と時間だ。
五十年前、悲劇がここで起こったのだ!
車夫の一人が云った。
「一時間早かったら、向こうの屋敷の門から、哀れな“おはつ”の亡霊が出てきて、悲鳴をあげながらお堀に身を投げるのを見られたかもしれないですよ」
ああ、美しき乙女よ!
もう不実な堪平を恨んで、山の神に丑の刻参りをすることもあるまい。
安らかに眠りなさい。
天空の罪なき世界で、もっと明るい運命が待っていたことでしょう。
やがて二つの道の分岐点になる歴史的榎の大枝が広がった榎坂に着いた。
ずっとずっと昔のこと、亡君の恨みを晴らすため、一隊の武士がこの木の下に集まり、今夜のような明るい月に向かって形見の血刀を抜き、速やかに復讐することを誓ったのだ。
宮家のどっしりした門を左手に、広い急な坂を下り、サヤサヤ揺れる竹の葉の間を月光がチラチラ洩れ、松にあたって奇妙な影をなしている薄暗い小路に入った。
夜番が手をあげて挨拶し、車夫は互いに励まし、門がさっと開かれる。
門番が甲高い叫びをあげると、玄関に着物をヒラヒラさせ、明かりを持ってお辞儀をしている人影が見え、お寺の鐘がゴーンと二時を打つと、我が家だった。