Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

帰ってきたクララの明治日記 第10−2回

1883年12月7日 金曜
大山将軍の先夫人である、昨年の8月24日に亡くなられた沢子さんは、母がかわいがっていた生徒であるが、私はその将軍と先月結婚したばかりの婦人と親しくなった。
この方は山川捨松さんと言って、十年か十一年間アメリカにいた人である。
今朝この方に会いに、永田町一丁目の美しい家へ出かけた。
夫人は私を自分の部屋へ連れて行ってから、そこで二、三時間おしゃべりをした。
よもやまの話をしたが、中でも日本における飲酒の害について語り合った。
私は母の主義を話し、人の思惑などかまわず、母が自分の父から教え込まれた禁酒主義を、どのようにして推し進めたかを話した。
『日本のような国際的なところで、こういう清教徒的な考えを持ち続げることは不可能だろう』
ビンガム公使夫人からは、そう云われていたが、母は「何故生活様式を変え、時流に従い、悪い風習に従わねばならないのか、自分にはに分からない」と答えたものだ。
このことを私が大山夫人に話したのは、大部分の日本婦人が恐れている輿論に影響されず、夫人が正しい方の味方になるよう望んだからである。
大山夫人はヴァッサー・カレッジの卒業生で、若く聡明な女性である。
更に病院で看護学研究のため、三ヵ月の講座をとったが、医師にならなかったのは友人たちの反対にあったからである。
夫人は日本には女医が是非必要であると思っている。
それは女性が慎み深くて、男性には話しにくい問題を相談できる同性の医師がいたら命が助かる場合が多いからである。
私は「ご自分がお手本になってくださればよかったのに」と思う。
大山夫人は今度、交わるようになった人たちにはきっとよい影響を与えるであろう。
私たちはまた、日本文学について楽しい語らいをした。
日本の婦人たちの間に、よい文学を紹介するために何かしたいが、もしそれが不可能なら、誰かにそれをするようにすすめることが私の願いなのである。
津田梅子さんや大山夫人のような、現在高い地位にある若い人たちに、祖国の婦人たちのためになることを何かするようにしむけることができるなら、私は自分がそれをしたのと同じように嬉しく思うだろう。


今日午後、うちは大接見会場のようだった。
午後ずっと婦人方が次々に来訪され、二人はお茶の時間までおられ、二人のお兄様が迎えに来られた。
吉原夫人はお逸さんと一緒に、それに小鹿島夫人――以前我が家に来ていた渡辺ふでさんのことだ――、津田梅子さん、梅子さんのお姉さんであるお琴さん、前田嬢、おしなさんなど。
フェノロサ夫人はテリー夫人と一緒に立ち寄られたが、私たちはお茶とケーキとオレンジーゼリーをいただいていたところだった。
日本の婦人方は笑ったり、おしゃべりしたり、手芸の針仕事をしていた。
それをたたんで帰り仕度をすると、皆は一様に云われた。
「楽しゅうございました、来週もきっと参ります」
帰る前に、お逸さんが私を客間に呼び、吉原夫人と小鹿さんの奥様と、お逸さんからの美しい縮緬をくださった。
クリスマスの贈り物にするつもりであったが、私が元旦に皇后陛下に拝謁することになっているので、お正月前に仕立てさせるのに間に合うように、今日くださったのである。
大山夫人は皇后陛下と談笑し、陛下は、夫人自身のことや、アメリカのことなどいろいろお聞きになり、大山夫人は、普通の丁寧なことばでお答えしたそうである。