Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第46回をお送りします。なお過去ログは、以下のように収納しております。
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今回分は、日本人からのラブレターを渡されたクララの話、クララたちの新聞の初発行、そしてお逸たちとの目黒へのお花見の旅の話がメインとなります。


1878年4月27日 土曜日
外は土砂降りの上、少し風邪気味。
これでは一日中、何処にも行けそうにない。
気分晴らしにお菓子を作ろうと思ったのに「病人は台所に来ては駄目」と母に怒られてしまった。
母はアディの洋服を裁つ時に失敗して、がっかりしていたところなので余計機嫌が悪いのだ。
そうそう、書き忘れていたけれど、昨夜村田氏がみえた時に、とてもおかしいことが起こった。
私は月琴を見せて「主我を愛す」を弾いて聞かせてあげた。
弾き終わったら彼はこう云ったのだ。
「ああ、この曲はアメリカに行く前、清国で聞きましたよ。清国の曲ですね」
本当に清国の曲だと思っていらっしゃるのだ。
午後はずっと手紙を書いたので、沢山出すのが出来てしまった。
母はマーシャル氏の火山についての講演を聞きに、アジア協会に行った。
私は唇におできが出来て鬱陶しい。


1878年4月28日 日曜日
タムソン先生のお説教はいつになく短かったが、とてもよいお話だった。
私はビンガム公使の隣に坐っていたのだけれど、傷が痛んであまり集中できなかった。
礼拝の後、大鳥家の使用人である竹下氏を逃れるためにメイと急いで帰ってきた。
そしてみんなよりずっと早く家に着いたのだけれど、メイの家の門のところで彼に手紙を渡されてしまっ。
「大鳥氏のお嬢さんから頼まれた手紙です」
竹下氏はそう云って無理矢理渡してきたのだけれど、実際は自分のラブレターだった。
『ずっと前から貴女を愛していました。
日曜日に貴女を見かけるのが唯一の楽しみなのです。
でも、見かけるだけでなく、話をしたり、手を握ったり、写真を交換したい。』
手紙にはそんなことが書いてあった。
「勿論お母様に見せるのでしょう?」
「!?」
横から覗き込んでいたユウメイに突然そう云われて吃驚。
本当は母に見せるつもりはなかったのだけれど、結局そうすることにした。
母は怒りはしなかった。
しかし「返事は私が書きますから」と云ってくれたので、私はホッとした。


1878年4月29日 月曜日
ユウメイが今朝満開の躑躅や椿の花束を持って遊びに来た。
私たちは新聞の話をして、午後サットン氏のところへ行くことにした。
お逸は髪を島田に結ってきた。
島田の似合う人もいるが、お逸は平凡な老けた女に見える。
いつもの髪の方がよいのに!
今日からおせきが私たちの授業に加わった。
頭がいいという感じで、きっとよくできるようになるだろう。
母と、ちょっと出かけた後、ユウメイと一緒にサットン家に行ったのだけれど、頭痛がひどくて物も云えないくらいだった。
サットン氏は相変わらず陽気だったけれど、娘さんたちは横浜に行くので来られないとのことだった。
明日発行の新聞への投稿は一杯集まっている。
ジョージは政治について書き、ウィリイ・ヴァーベックは「男性を虐待することを推進するような若き女性に訴える」という論説を送って来た。
エマ、メイ、ジェニー、ガシーも皆書いている。


1878年4月30日 火曜日
輝かしい「東の星」は本日めでたく「日出ずる国」にその姿を現した。
この日を祝してクラブの女の子たち、エマ、ジェニー、ガシー、メイが家に集まった。
ジョージは後から様子を覗きにやって来た。
楽しい時を過ごして、簡単な夕食になったが、お料理はとても好評だった。
その後ゲームをいくつかした。
開会はいつものように議長がもじもじしながら宣告した。
今日は特に新聞を読み上げる仕事も加わって、議長は大変。
社説を読むのは一段ときまりが悪かった。
ウィリイ・ヴァーベックが怒っているらしい。
私が招待状を出さなかったことに腹を立てているのだ。
でも、私は口頭でちゃんとジョージと一緒に招待した筈だ。
結局嫌がらせのつもりか、ウィリイ・ヴァーベックは顔を出さなかった。
悪かったかなとも思う。
思うけれど、ジョージやエドとあまり上手くいっていなさそうだから、まあ来なくてもどうということはないだろう。


1878年5月2日 木曜日 
家中ひっくり返ったような大混乱。
その理由は他ならぬアディ嬢のパーティなのだ。
出席者は誰と誰? 殆どみんな。
ダイヴァーズ家のフレッド、イーディス、エラ、サットン家のフロラとフレディ。
ユウメイ、ヴァーベック家のエマ、ガシー、マリー・ド・ボワンヴィル。
勝家のお逸、梅太郎、七郎、それに小鹿さんが夕食の時に顔を出した。
丁度、客間と食堂の畳替えが済んだところだったので、母の部屋の家具を片付けてから、そこで思い切り暴れさせたが、そうしておいてよかった。
彼らの暴れようは、すさまじいともなんとも云えないものだった。
ガシーとフレッドの相撲の後など、あれでよく畳が残っていたと思うほど。
「殺し合うなら綺麗にやりなさいよ。下手に殺したらバラバラの身体を継ぎ合わせなければならないでしょ? 飛び散った部分をそれぞれ残しておいて頂戴」
私は不死者による異能バトルの解説役みたいにそんなことを云った。
更に一騒ぎ起こったのは、帰りに段々のところで人力車の来るのを待っていた時だ。
フレッドがガシーの髪を突然ぎゅっと引っ張ったのだ。
でもガシーは平然としたもの。
「君の髪の毛はなんでできてるんだい? 馬の毛?」
「そうよ、なんだと思ってた?」
フレッドの失礼な言い草を、ガシーは平然と切り返す。
「男の子の髪かと思ったよ」
「男の子の髪こそ馬の毛でなくちゃ。痛くないようにね」
そう云ったガシーはフレッドに襲いかかった。
フレットの髪がなんでできているかを調べようとしはじめたのだ。
フレッドは逃げだし、ガシーが追いかけた。
みんなが楽しそうな顔をして引き上げたのは六時半だった。
ちょっとしたことですぐ腹を立てるウィリイについて、エマと私は長いこと話し合った。
エマは変わった子で、ガシーがふざけちらしても平気な顔をしている。
小さい男の子には慣れていて、なんとでもできると思っているようだ。


1878年5月4日 土曜日
工部大学校に勤めているイギリス人のマンディ氏――ディクソン氏のお友達でもある――が夕食にみえた。
十一月の天長節の日に一緒に王寺へ遠足に行った方で「アメリカに定住する予定なのでアメリカ人のお宅を訪問したい」と仰っていたのだ。
彼はとても品の悪い人だ――お客様の悪口を云ったり書いたりしてはいけないが。
まず食卓についた時のこと。
アメリカの食事は初めてだから、何か間違ったことをしたら肘でつついて注意して欲しい」
ウィリイにそう云っておきながら、プディングが出たら、気味悪そうに「これはなんです?」と尋ねた。
まるで私たちがとっくに絶滅した野蛮人でもあるかのように。
夫人のこともとてもひどいこと――女の耳に入れるべきではないことを云った。
奥さんは子供が生まれてからよけい大喰らいになったので、彼の払うホテルの支払いがさぞ高いだろう! だなんて。こんなにひどい人だったとは!
ディクソン氏とつい比較してしまうけれど、ディクソン氏はまるで違う。
紳士的で、善良で、上品である。


1878年5月8日 水曜日
毎日があまり早く過ぎて行くので、何処に行くのかと思うようだ。
お逸は昔のままの髪型のお逸に戻った。
良かった良かった。
母は頭痛がして起きられなかったので代わりに私が全部教えた。
しまいにはくたびれて倒れてしまいそうだった。
それでもどうにか片付けて、最後に少し音楽の演奏をして解散した。
食後サットン家に本を返しに行ったのだけれど、お留守だったので富田氏の家に行った。
ご夫妻ともとても優しくして下さった。
家に帰ったらメイが来ていた。
珍しく何か云いにくそうにしていたけれど、
「わたくし、明日引っ越しすることになりましたの。今の我が家の持ち主である森氏が十日ほどで帰ってこられるということなので」
ユウメイが引っ越してしまうのは残念だけれど、森氏が帰ってきてくれるのである意味では嬉しい。


1878年5月11日 土曜日
満開の牡丹を見に今日は目黒に行った。
おやおさんとおすみと女中、アディとうちの女中と私の六人で、村田氏の家に行った。
村田氏、林氏、盛、富田氏が待っていて下さった。そこからみんなで目黒に向かった。
静かなところで、内田家というお茶屋が一軒あるだけである。
この建物の壁は珊瑚や貝殻の嵌め込みがある。
奇妙な衣装をまとい奇妙な髪型した皇后様の侍女がて4人来ていた。
一人は木や花や鳥の刺繍がしてある深紅の衣装を着ており、一人は紫、一人は青、一人は灰色で、四人揃ったところは綺麗であった。
侍女たちが引きあげた後、私たちでお茶屋を占領した。
「……や、やっと追いついたわ」
丁度そんな時、息せき切ってお逸と高木氏が追いついてきた。
「クララの家に行ったらもういないじゃない! 村田氏のところに行っても同じ。
だから目黒に人力車で直接向かったのよ!
そしたら、どうなったと思う? 田圃の真ん中で迷子よ、迷子! 車夫の人なんか消耗し切っちゃったから、私、人力車から降りて一緒に車を引いたのよ。それでやっと通り抜けることができたの」
お逸はそんな勇敢な大冒険を果たしてやっと内田家に着き、家の前で高木氏に会ったというわけだった。
安房守の令嬢が、人力車の梶棒の中に車を引いている姿なんて想像できない。
徳川家は最近、勝氏に一万ドルの贈り物をし、参議という非常に高い地位を提供されたそうだ。
後で、不動様――赤い炎に包まれた青い神――の寺にお参りした。
目黒不動というそうだ。
そこには「オビンズル」や花の長いテングも祀ってある。
日本語や清国語とも全く違う梵語が書いてあるのに気付いた。
村田氏はラテン語ギリシャ語に相当するのですよと云った。
昔の不幸な恋人同士――小紫と平井権八――の比翼塚にもお参りした。
富田氏に連れられて、仙台の殿様の立派なお屋敷にも行った。
今は鹿児島の殿様の所有となった美しい屋敷で、ありとあらゆる色の躑躅が咲いている。
昔仙台から種を持ってきたのだそうだが、今では大きな木になっていて、紅やピンクや真っ白の花が咲き乱れている。
美しいシダ類もあり、押し葉にするために少し取ってきた。
色々の花の素晴らしい牡丹の花もあった――深紅、薄い赤、ピンク、白、単色のものもあれば絞りのものもあった。
殆どキャベツほどの素晴らしい大きさのもあった。
中に「黒牡丹」と呼ばれているのがあった。
本当に黒いわけではないのだけれど、極めて濃い紫がかった紅色で、遠くから見ると黒く見えるのである。
逞しい獰猛な感じのする鹿児島県人の番人と話をしたが、親切で言葉も丁寧だった。
今日の散策の間に、シダの他にも、押し花にするのに良いような、色々の葉や花に気が付いた。
ちょっとしたコレクションが出来た。
花の中には根まで失敬してきたものもある。
母は一日中沈んでいたけれど、理由は十分には説明できない。
ウィリイと一緒に晩にビンガム公使のおうちへ行ってチェッカーをしたのだけれど、負けてしまった。