Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第82回をお送りします。なお過去ログは、以下のように収納しております。
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今回分は「新たな教会の開設式」「ナポレオン三世ユージニー皇后の話」、そして「グラント将軍、来日」な話がメインとなります。本日は次回以降の区切りの関係で少し短めです。


1879年6月21日 土曜  
梅太郎は今日長崎に出発し、二、三ヶ月滞在するつもりだ。
彼がいなくなって、私たちはみな残念がっている。
「明日、東京に行きますから」
ヘップバン夫人の姪御であるリーナさんが昨日云っていたので、十一時に駅に迎えに行った。
ヘップバン夫妻にノックス氏も来られた。
浅草のスガ町に新しい教会が開かれるので、式に出るためにいらっしゃったのだ。
ヘップバン夫妻は、グリーン氏の家に昼食を取りにいらっしゃったが、リーナさんはうちに来た。
一時半に、母やド・ボワンヴィル夫人と浅草に出かけた。
教会は日本にあるあらゆる宗派の代表の人たちや信者で一杯。
私たちが入っていったとき、雪のような白髪の、気高い容貌の老人が説教をしていた。
ヘップバン博士は演壇の階段のところに坐っておられた。
私を見ると、ご自分の前の席に坐るようにと指差されれたが、夫人は自分の隣に坐るようにと私を引っ張って下さった。
「いま説教をしているのは、主人の先生の奥野昌綱氏で、キリスト教は主人から教わったのですよ」
奥野氏は大変品があり、話も上手だった。
漢文を随所に引用した古典的だが平易なスタイルで、無論普通一般の人には分からないが、学のある人にはその味がよく分かるのだった。このような人は日本での布教に非常に貴重だ。
奥野氏が終わると、タムソン氏がお祈りの指揮をとられた。
会衆全員で歌を歌った後、ソーパー氏が立って、いつものように大声のお説教調で話し出した。
「スピーチをさせられるとは思わなかった」
ソーパー氏は最初にそう切り出したが、それは日本語の間違え方からも明らかだった。
日本人牧師の一人は<とても若そうだったが>、笑声をたてないように口にハンカチを詰めていたし、ノックス氏も面白がっていた。
勿論日本語で喋るのは難しいことだし、準備をしていなければ尚更だ。
祝祷はハリス氏だったが、とても危なっかしくて、何度も間違えては訂正していた。
それがすむとお茶菓子が出た。
「わたし、こんなものは食べられないわ」
そう云って受けつけなかったのは、リーナさん。
「だって、ハンカチも持たず汗をかき、手に唾をつけて菓子を作る裸の職人を見てしまったのよ。食べられるわけがないじゃないの!」
お菓子作りの現場の様子をリーナさんが描写してみせたにもかかわらず、ミス・エルドレッドは構わず二人分平らげた。
リーナさんは築地でトルー夫人と食事をするので、そこまで送った。
帰ってみると、内田夫人がお逸とその先生も会員であるお花の会の人たちを招待していたので押しかけた。
厳選された婦人ばかりで月一回、腕の上達ぶりを見せるのである。
めいめいがブロンズの好きな花器と花を持ちより、自由に活け「イッシ」<一級>などを決めるのだ。
それから美しい小さな台に花瓶を乗せ、活けた人の級と先生の名を書いた札を台にたてかける。
今日の花は、菖蒲や杉もあったが、菊が多かった。
台と花瓶は見事なものばかりだ。
お膳のように長くて四本足がつき、水、蟹、亀の造り物が乗せてあるのもあれば、三本足のお椀形のものもあり、一本足の壺形のものもあった。
私が特に気に入ったのは三日月形の銀の器で、銀鎖で天井から吊してあった。
ピカピカに磨いてあって、暗い部屋の隅にぶら下がっていると、暖かい春の宵に低くかかっている本物の月のよう。
菊の花が懸崖に美しく活けてあった。
お客は食事をすませると、早く帰られた。
その後、屋敷中の人間――別当、植木屋、大工、女中、その他大勢――がカザリを見に集まった。


1879年6月22日 日曜 
今日は雨でいやな一日だった。
このところ土日に雨の降る傾向がある。
今日の説教は、ビンガム公使の娘婿のフレージャー氏だ。
ネヘミヤ記の「其は民心をこめて操作たればなり」(ネヘミヤ記・四・六)をとって、仕事についてとても良い説教をなさった。
主のためにそれほど一心に働けることは素晴らしいことに違いない。
午後、芝へ行くと雨にもかかわらず大勢が来ていた。
ショー夫人が横浜に一、二週間おいでになったので、代わりにお嬢様が監督だった。
芝へ竹次郎という名前の新しい車夫を連れていったら「イギリス教会は学校か?」と聞いた。
私が「寺だ」と云ったら、手を合わせて拝も始めた。
ディクソン氏は今夜、加減が悪くて祈祷会に来られないと云ってきたので、ディクソン氏抜きでした。
疋田夫人と赤ちゃん、藤島氏と小さなお嬢様がみえた。


1879年6月23日 月曜 
母が同人社から戻ってくると、ディクソン氏のお使いが、いつものスズリバコを持って来た。
水曜の午後一時半に、堀切への招待状が入っていた。
川を漕ぎのぼるのは気持ちが良いだろう。
ディクソン氏は至宝のような方だ。母が行きたがっていた、まさにその場所。
楽しいとよいのだが。
十一時に公使館へ行き、母が途中まで来た。
ビンガム夫人はとても愛想がよい。
「今度の日曜の夜、フレージャー氏と祈祷会に行くかもしれないからお願いします」
夫人はフレージャー氏と結婚後に亡くなられたお嬢様のルーシーさんのことを話しだした。
クレヨン描きの素敵な肖像画を見せて下さり、涙ぐんでおられた。
小柄でやさしい方なのだ。
家に帰ると、グレイ夫人がみえ、アンガス氏、ベルツ先生もいらっしゃった。
先生は診察カバンを持って来られて私たちみんなに注射をして下さった。
とても親切で、率直にものをおっしゃる方で、家庭医としては貴重な存在だ。


1879年6月24日 火曜 
今日、ディクソン氏から手紙が来て、身体の具合が悪く、水曜のピクニックはとりやめになってしまった。
アディは招待されてとても喜んでいたのでがっかりしていた。
今朝、杉田家へ行き、今晩、夕食に大鳥氏がみえるので、杉田先生も招待した。
先生の奥様と楽しく時を過ごし、向かいの杉田およしさんの家にも寄った。
およしさんの家はとてもきちんとしていて、武さんと赤ちゃんと一緒に住み心地よく暮らしている。
客間は清潔な畳敷きの部屋。
床の間には花が活けてあり、その後ろに掛け物が一つだけ掛けてあった。
廊下を隔てて武さんの書斎があり、机や本がきちんと並べてあった。
およしさんの居間と寝室が次にあり、揺りかごの中にはカーチャンが寝ていた。
その傍らに裁縫箱と縫物がおいてあり、火鉢にはお茶を入れるお湯がチンチンに沸いていた。
女中部屋はここと台所の間にあり、朗らかな、ばあやが君臨していた。
これらの部屋の前はずっと縁側になっていて、小さな庭とその向こうに大門が二つ、左手に小門が一つ見える。
「クララさんが入ってくるとき、大門を開けず申し訳ありません」
杉田夫人はそんなことをお詫びになった。
実家が杉田家である富田夫人がいらっしゃっていて、私と一緒に帰られた。
今夜は、大鳥氏のほか高木三郎氏、津田氏と一緒に、松平氏もいらっしゃった。
松平氏は殿様で、時々ひどく厳めしくなるが大変面白い方だ。
小鹿さんが熱を出して来られないので、お逸が来た。
勝氏も用事があって来られなかったが、楽しい夕べだった。
ナポレオン三世ユージニー皇后の一人息子の若いナポレオン公が、最近アフリカでズール人に殺されたそうです」
大鳥閣下から、そんな話を教えて頂けた。
たった一人の子供を溺愛していた皇后にはひどい打撃だろう。
バージニア出身のアメリカ人で、もとパターソンといったボナパルト夫人も最近、亡くなった。
この方はジョーゼフ・ボナパルトアメリカに叔父と亡命した時、正式に結婚したのだが、ナポレオンはその結婚を認めず、無効だと宣言した。
だがボナパルト夫人はヨーロッパの王族多数に認められ、二人の息子は陸軍か海軍で高い地位にある。
ある晩餐会のことだ。
有名なイギリスの将軍が夫人の介添えだったが、イギリス人嫌いな夫人は、いろいろなことを云ったので、腹を立てた将軍は、ついにこう言い放ったらしい。
「奥様、アメリカ人は下品な成り上がり者だと云われたことがあるのをご存じですか?」
「いいえ、でも驚きはいたしませんわ。私たちはイギリス人の子孫ですから」
夫人がそう切り返したので、相手の将軍は黙ってしまったという。
ビンガム公使は大統領を退任されたグラント将軍を横浜に出迎え、東京にお連れしに行った。
神戸に寄る予定だったのだが、コレラのため東京に直行することになったのだ。
通訳は、ひどく気取って滑稽なミス・清水ではなく、グラント夫人の小間使いがなることになっている。