Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第89回をお送りします。
なお過去ログは、以下のように収納しております。
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今回分は、グラント将軍暗殺に関する噂、勝家女性陣による音楽会、そして勝家の虫干しの話題がメインとなります。


1879年8月18日 月曜 
今朝は、いろいろ用事のために早く出かけた。
はじめに永田町に行き、センタクヤで「この頃シーツやテーブル掛けのできが悪い!」と叱り、そこから築地へ。
まず第一にアメリカ公使館に行った。
客間でしばらく待っていると、ビンガム夫人がやさしい、貴婦人のような微笑をたたえて出ていらっしゃった。
この大好きな友達や、うす暗くて静かで涼しい客間から離れ難く、私は二時間もここにいた。
私たちはいろいろなことを話した。
主にコレラやグラント将軍のことなど。
ビンガム夫人は、とてもコレラを怖がっていた。
お嬢様のルーシーのお子さんがその恐ろしい病気で亡くなったからだ。
その子は、友達の家に行った帰りに、ジプシーが野宿しているところを通った。
その時、浮浪者の一人が死んでいて、その汚染された空気から伝染したのだ。
帰宅するとすぐひどい頭痛と苦しみに見舞われ、とうとうひどく苦しんで亡くなった。
「ママ、あの浮浪者を見に行かなければ、こんなコレラには罹らなかったでしょうね」
これが最期の言葉になったそうだ。
可哀想に。
グラント将軍と彼の暗殺に関する噂は、まったく嘘だとビンガム夫人は云われた。
しかしビンガム公使が誰かからとても侮辱的な手紙をもらったことは事実であった。
その手紙の中の匿名人は将軍と吉田清成氏――ワシントン駐在公使であるこの人を人々は将軍の「手下」と呼んでいる――と、あと数名の高級官吏を誹謗した。
手紙によると、将軍の滞在費として国民に既に十五万ドルの負担をかけており、もはやこれ以上我慢できないということである。
人々は提灯や団扇などにアメリカの旗があまりたくさん描いてあるので怒っている。
ビンガム公使は直ちにこの手紙を寺島宗則外務卿に渡された。
外務卿は既に同じ情報を受けており、信用できる警察を投入し、この忌まわしい脅迫の犯人は一英国人であることを突き止めたと云うことを非公式に公使に知らせた。
グラント将軍に寄せられた栄誉を妬んだか、劣悪な冗談をしかけようとしたものか。
ビンガム公使は勿論とても立腹しておられる。
しかし、イギリスのパークス公使はこの件に関しては脅迫者を知らないのだから何の咎めもない。
だが政府は、暗殺すると脅かされた人々を保護するために二重の警戒をしている。
グラント将軍は二十七日か二十八日に帰国されるそうだ。
ビンガム夫人は、合衆国政府の長としては、現在のヘイズ大統領よりもグラント将軍の方が適していると考えている。
ただ、もし将軍が再び大統領になられたら――あんなにひどくお酒を飲むことだけはやめて欲しいものだ。


1879年8月19日 火曜 
今日は一日中、母の具合が悪く、ウィリイは家にいて母の世話をした。
私は買い物があるので、十時頃町へ出かけた。
亀屋で買物をして十字屋へ行き、そこでウィリイのためにノートを買った。
ずっと前から知っているこの店の番頭は、私が褒めたので、綺麗な花瓶をくれた。
次に釆女町の精養軒に行き、そこでウメサンをうまく丸め込んで「絶対にお売りできません」といった粉砂糖を一ポンド獲得した。
私はいつものように満足して、戦利品をかかえて家に帰った。
家に帰ると松平氏がおいでになっていた。
いつものように派手ななりで、碁盤縞の洋服に、変わり模様のワイシャツ、派手な靴下、大量の宝石をつけておられ、もしその気になれば暴君にもなれそうな様子をしておられた。


1879年8月20日 水曜 
「競馬を見に市ヶ谷の戸山学校に行きませんか?」
今朝、森夫人にそう誘われた。
しかし、夕飯にビンガム夫人とジェシーがみえることになっていたので、勿論私は行かなかった。
ウィリイが私の代わりに行って、とても面白かったと云って上機嫌が帰って来た。
兄は、グラント将軍のご子息であるフレッド・グラント、西郷従道陸軍卿、川村純義海軍卿等と知り合いになり、英語が話せない人たち、または日本語が話せない人たちに通訳を頼まれた。
それでウィリイは大いに楽しんだ――二十四歳になってもまったく子供だ。
ビンガム夫人が内緒で話して下さったのだが、グラント将軍暗殺計画のビラが東京近辺にばら撒かれたのは、やきもち焼きの一イギリス人の仕業だそうである。
夜フレージャー氏がジェシーを迎えに来られた。
今夜、食卓に向かって『ジョン・ハリファックス』を読んでいると、お逸が「音楽を聴きに来ない?」と提灯を持って誘いに来た。
私は足早に歩くお逸について行った。
庭を通って前を歩いて行くお逸の提灯が闇を通して、狐火のように揺れた。
疋田家のナガヤには、勝家の婦人たちがほとんど全部集まっていて、窓の下の通りにいる楽人たちを、簾の内側から見ていた。
私は近づいて行き、皆がしているように窓の側に坐って外を見た。
四人の楽人がそれぞれ違った楽器を持ち、手拭いで顔を隠して下に立っていた。
一人の男は笛を持ち、一人は琴を、後の二人は女で、一人は三味線を、一人は鼓を持っていた。
四人ともそれぞれの楽器を持って、ゆっくりとした様子で立っていた。
長い袖が優美に揺れ、時々通り過ぎる提灯が、顔を上げて悲しげな黒い眼で、上の簾の向こう側の楽しげな少女たちの顔を見つめている姿を照らし出した。
古い氷川町の今宵の情景は、まったくロマンチックだ。
長い清潔な広い道路が、昔から変わらずに曲がりくねって、ゆるやかな上り坂になって伸びており、両側には杉の垣根と鄙びた門、長く続く大名の長屋、堂々とした構えの門などが並んでいた。
明るい月と、輝く星の下で吟遊の楽人の一団が、琴と三味線を奏で、やさしく歌を歌えば、目を輝かせて、簾からのぞいている美女たちは、その歌曲を愛で、歌が伝える感傷に頬を赤らめるのだった。
楽人たちは奏で終えて、丁寧にお辞儀をし、小声で云った。
「奥様方ありがとうございます。お退屈様でした。おやすみなさいませ」
楽団の一行が間もなく闇の中に見えなくなったかと思うと、また時々、四つの暗い影が、お城に向かって、月明かりの下を歩いて行くのが見えた。
婦人たちはしばらくの間音楽のことを語り合っていたが、それぞれの家へ別れて行った。
月影のもと静寂が街とヤシキを包む。


1879年8月22日 金曜  
昨日の朝、台所で大騒動が発生。
やさしそうな料理人の金太郎が夫の威厳を示すために、ハルの髪の毛をつかんで引きずりまわし、薪の棒でぶったのだ。
当然のことながら、怒り心頭に発した妻は、私に愚痴をこぼして気晴らしをした。
その挙げ句、今朝、旦那が肉を買いに行って留守の間に逐電してしまった。
「お嬢様、カイモノするから二十銭ください」
ハルが二階に来て、無邪気にそう云うので、多分髪結いさんにでも払うのだろうと思って、そのお金を私は、間抜けにもくれてやった。
しかしその後ハルは現れなかったというわけだ。
金太郎が帰って来てひどく怒った。
ハルが衣装を全部持って行ってしまったのでなおさらだった。
金太郎が云うには、二人は一年前に結婚して、ハルが何歳か年上だそうだ。
もっとも金太郎は棄てられたくせに、あまり堪えてないらしい。
洋服屋に新しい料理人を頼んだところ、すぐに探して来てくれた。
今夜私たちは、大きくて、たくましい男を、金太郎の代わりに雇い入れた。


今日は勝家の虫干しの日。
勝氏のお宅では古い礼装を全部家中に吊してあった。
毎年虫干しをするのがしきたりだそうである。
衣装の中にはとても珍しいものがあった。
特に私が立派だと思ったのは「ナガバカマ」と「カミシモ」だ。
ナガバカマは長い、ひきずるようなズボンで、三尺ほどの長さで、前と後に紋がついている。
「カミシモ」は一種の肩衣のようなもので、両側が翼のように突っ張っていて、やはり紋がついている。
勝氏はそのほかハカマを数具持っておられ、普段用、旅行用、出仕用とそれぞれに合った材料でできている。
旅行用のハカマは厚い繻子で、上の方はゆったりと、下は着手の足にぴったり合うようにできている。
こういうのは「タテ」という。
別の型で「ツネヨシハカマ」と云うのは、立派な錦で、普通の襞が無い。
上等の一般的なハカマは優美な形で、細かく襞があり、とても堅い生地でサワサワ音がする。
キモノにはとても美しいものがある。
柔らかい黒の縮緬で、裏は白い絹地で、厚く錦が入っている。
一室には勝の守の主君であった紀州公方徳川家茂様のご衣装がかけてあった。
五十年も前の貴重な縮緬もある。
一室は全部「火事装束」だった。
形も材料も優美で、どれにも白いビロードを切り抜いた紋が三つ、背と袖についている。
この装束はとても奇妙で、紫、青、黄などの派手な色の布でできており、胸に危害を防ぐためにエプロンのようなものがついている。
上衣、つまり羽織は燕尾服のように後ろが切り込んであり、腰のところに飾りにバンドがついている。
丁度いま私が着けているようなものだ!
もう一枚私の注意を惹いたのは、厚い布地で、影のように薄く昇り竜の絵が描いてあって、戦争の時に鎧の上に着るものである。
ジンバオリ、というらしい。
若き日の勝の守が、このような豪華な装束を着けて、しかも堂々と気高い身のこなしで戦場に赴くさまや、すぐれた名君の御前に進み出る様子が目に見えるようだ。