Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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最後に今回分の「クララの明治日記 超訳版」解説を、いつも通りにお逸(勝海舟三女)とユウメイに。今回は徳富蘆花の小説『不如帰』の虚を暴きます。


【クララの明治日記 超訳版解説第93回】
「今週は区切りの関係で短かったから、特に解説することないねー」
「というわけで、以前予告していた通り、クララとも縁が深い大山夫人と、その娘さんたちについての解説をいたしますわよ」
「では、代わって概略はわたしが。
大山夫人の本名は吉井沢子と云います。
父親は吉井友実といって、幼い頃からの親友だった大久保利通西郷隆盛と共に、薩摩藩改革派の中心人物の一人でした。
そうそう、わたしは見てないんだけど、丁度いま放送している『龍馬伝』。
あれで丁度いま寺田屋襲撃事件で怪我をした龍馬が治療兼新婚旅行で薩摩に来たところらしいけど、その時に自邸を宿舎として提供したのもこの方ね。
維新前の藩政改革でも、大政奉還後の鳥羽伏見の戦いでも活躍したんだけど、現在の歴史教科書には出てこないのはもっぱら宮内庁関係で出世したからかな?
あと西郷さんの名誉回復にも尽力していて、うちの父様とも協力して、西郷さんの子供を明治天皇に拝謁させることに尽力したり、上野の西郷像創設の発起人にもなったりと、先週解説した田中不二麿氏と同様、いわゆる明治政府内の“良識派”って感じだねー」
「そんな家庭に生まれた沢子夫人は、大山巌陸軍中将との間に四人の女の子をもうけます。
ただ残念ながら四女を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなってしまうのですけれど。
娘さんのうち上の二人、おのぶさんとおみつさん、つまり信子さんと美津子さんは既にクララの日記にも登場しているのですけれど……」
「おみつさんは病弱で、夭折。そして長女のおのぶさんは、有名な……」
「彼女が有名となるのは、徳富蘆花の処女小説『不如帰』の登場人物と模されたからですわね。
実際、徳富蘆花は大山中将家と親しい人物から“事の顛末”を聞き、それをベースに小説を書き、日本文壇に不滅の名を残すことになりすまわ」
「いまどきの人たち……って、実はブログ主も全文読んだことないので、ざっと『不如帰』のあらすじを、モデルとなった人たちの名前付きでご紹介。
『彼女の名は、浪子(大山信子)という。陸軍中将で子爵の、片岡毅(大山巌)の長女である。
浪子の実母(吉井沢子)は彼女が8歳のときに亡くなった。
後に継母となった女性(山川捨松)は、浪子を疎ましく思いつらく当たった。
浪子はそんな仕打ちに耐えていた。
それゆえ浪子の縁談が決まったときには、皆が安心し喜んだ。
夫の名は、川島武男(三島彌太郎三島通庸の長男)。海軍少尉男爵である。
しかしこの結婚を喜ばない男がいた。武男の従兄、千々岩安彦である。
安彦は地位や財産のある娘と結婚し、それを手に入れようと考えその相手に浪子を選ぼうとしたのである。
安彦は、武男の留守を狙い浪子の悪口を吹き込んだ。
武男の母お鹿(三島わか子)は何かにつけて浪子に辛く当たるようになり、武男が長い遠洋航海に出たあと、浪子が肺結核にかかったことを知ると、さらに、厳しくなる。
そして、武男が航海から帰ると、お鹿はこれを機に離婚せよと息子に迫るのだが、武男は頑として聞き入れない。
折から日清戦争が激化して、武男は心残りのまま軍艦で大陸に向けて出帆して行ったが、ここぞとばかりに浪子に辛くあたり、とうとう息子の留守中に浪子を実家に帰してしまったのである。
そして、武男が戦地からやっと帰ってきたときには、川島の家の中に浪子の姿はもうなかった。
二人は無理やり離婚させられてしまっていたのである。
川島武男は母を激しく叱りつけたが、現実を受け入れ、浪子と別れた。
武男は戦死を覚悟で軍艦に戻ったが、間もなく負傷して内地に搬送されてきた。
そして、武男が海軍病院に入院しているとき、差し出し人不明の見舞い品を受け取ったが、武男はその筆跡から浪子からのものであることをすぐ理解したのである。
戦争に勝って凱旋した片岡中将は、病気がいくらかよくなった娘の浪子を伴って、保養の旅に出た。
ところが、なんという偶然であろうか、関西本線の列車が京都の山科駅ですれちがうとき、浪子は窓の向こうに武男の姿を見つけたのである。
そして、思いあまって自分のハンケチを投げかけたが、これが二人の最後の別れとなってしまった。
やがて浪子は家族にみとられつつ、
「ああ辛い! 辛い! もう決して女なんぞに生まれはしませんよ! 苦しい……」
そう叫びながら、帰らぬ人となってしまったのであった。
武男は出張先で浪子の死を知った。涙が絶え間なくあふれ出た。
そして、浪子の墓前で父の片岡中将と武男とが再会する。
「武男さん、私もつらかった。浪が死んでも、私は貴君の親爺だ。
一緒に語り明かそうではないか」』
……とまあ“事情を知らない”明治の人たちはこの物語を涙なしでは読めなかったわけで」
「つまり、事情を知っている貴女は泣けなかったわけですのね?」
「だって、殆ど嘘っぱち、というか事実の真逆のことが書いてあるんだもの!
実際、遙か後年、徳富蘆花は自分が『不如帰』で“意地悪継母”として描いた山川捨松さん、つまり大山夫人が亡くなる直前に、公に詫びを入れてるからね。
継母を悪者にしないと、読者の涙を誘えなかったから誇張して書いて御免なさい、ってね。
本当に最低だよねー。
おのぶさんに離縁を促したのは三島家側か大山家側だったかについては諸説あるけど、いずれにせよ、この当時における“肺結核”は完全な死病、しかも伝染性がある病であって、政府高官の身近に置いておけるわけがなかったし、実家に帰ってきたおのぶさんを捨松さんが離れに押し込めた、なんていうのも根本のところでとんでもない勘違い。
アメリカ留学中に看護婦資格を取得していた捨松さんが看護のためにわざわざ離れを建てさせ、普通なら遠く離れた僻地に押しやられるところを、自宅療養可能にしたのよ。
その証拠に、おのぶさんの小康を見計らって、大山将軍と親子三人水入らずで関西旅行までしているくらいだし。
ちなみに捨松さんと大山将軍って物凄く有名なおしどり夫妻だし、捨松さんは沢子さんの連れ子たちからも“ママちゃん”と呼ばれて慕われていたんだよ。
それが一方的な情報に基づいて書かれた小説のお陰で、全部パー。
大山将軍の妻として以外にも様々な慈善活動を行い、同じ留学仲間だった津田梅子さんの女子教育についても側面援護し、日本の慈善活動家の先駆けみたいな存在だったのに。
死ぬ直前まで、そんな捨松さんが世間から謂われのない批判を受け続けたのよ!
小説家といい、マスゴミといい、本当にペンってのは役に立つことより、精神的暴力器官でしかないよね、アイツら!」
「気持ちは分からないでもありませんけれど、一つの事実を一般化するものではなくてよ。
以下のようなやりとりが残っているのは、その新聞記者のお陰なのですから。
記者『(大山)閣下はやはり奥様の事を一番お好きでいらっしゃるのでしょうね?』
捨松『違いますよ。一番お好きなのは児玉さん(=児玉源太郎参謀総長)、二番目が私で、三番目がビーフステーキ。
ステーキには勝てますけど、児玉さんには勝てませんの』」
「……捨松さんらしい機知に富んだ切り返しだけど、そんな下劣な質問をする時点で最低だと思うんだけどね、その新聞記者」
「お逸がヒートアップし過ぎていますので、後にクララとも親友になる山川捨松さんについては、改めて後日の解説で紹介させて頂きますわ」
(終)


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