Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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今週も「クララの明治日記 超訳版」その第107回をお送りします。
なお過去ログは、以下のように収納しております。
明治8年8月分明治8年9月分明治8年10月分明治8年11月分明治8年12月分明治9年1月分明治9年2月分明治9年3月分明治9年4月分明治9年5月分明治9年6月分明治9年7月分明治9年8月分明治9年9月分明治9年10月分明治9年11月分明治9年12月分明治10年1月分明治10年2月分明治10年3月分明治10年4月分明治10年5月分明治10年6月分明治10年7月分明治10年8月分明治10年9月分明治10年11月分明治10年12月分明治11年1月分明治11年2月分明治11年3月分明治11年4月分明治11年5月分明治11年6月分明治11年7月分明治11年8月分明治11年9月分明治11年10月分明治11年11月分明治11年12月分明治12年1月分明治12年2月分明治12年3月分明治12年4月分明治12年5月分明治12年6月分明治12年7月分明治12年8月分明治12年9月分明治12年10月分明治12年11月分明治12年12月分
今回分は、芸者遊びを初体験するクララ、結婚の噂をバラ撒かれて激怒するクララ、そしてディクソン氏を前に乙女モード全開のクララの様子がメインとなります。


1880年1月7日 水曜
月曜日の朝、富田夫人の家へ行って、おすしの作り方を教わった。
ご飯を炊ぎ、野菜、海苔、蓮根をきざんで、オシタジとミリンをかけた。
おツネが床にござをしき、私だちはかまどの前に坐っておすしを作った。
とても面白かった。
雇い人のタミが剽軽な顔を勝手口にのぞかせて笑いながら云った。
「お嬢さんはよい日本のオカミサンになりますよ」
火曜の夜、ウィリイ、アディ、こまつ、お輝、ジェイミーと一緒にショー氏の礼拝堂で開かれたオオウツシエ――大写し絵――を見に行った。私たちも行くつもりの場所がたくさん見られてとても面白かった。
ショー氏の幻灯はすばらしい。
富田夫人は今朝、父親が来るので使用人のおテルの髪を整えてやっていた。
おテルが父親と会っている間、私は坊ちゃんの相手をした。
坊ちゃんは私が大好きで、子猫たちについていろいろ話をしてくれるのだが、私にはちっともわからない。
彼はおもちゃもすぐ壊してしまう。
午後からは杉田氏と富田氏の招待で日本式の宴会へ行った。
ディクソソ氏も招待された。
盛が今朝、ナイフやフォークを借りにきた。
十二時半にディクソン氏が来て、一緒にでかけた。
はじめ杉田家へ行って、日本に初めて外国語を紹介した大学者の祖先である杉田玄白氏の立派な彫像を見せていただいた。
杉田家の大お祖母様は若々しくて陽気な方で、お茶を出してくださり「お別れするのが残念です」とおっしゃった。
それから名前はわからないが、新橋の近くのお茶屋に行った。
途中でディクソソ氏が後ろの車から、こう話しかけられた。
「ミスーホイットニー! 僕はあした、キリスト教会でお別れの挨拶という苦しい役目が待っているのです」
「それではたくさんハンカチを持って参りましょう」
「それがよろしいでしょう。僕の分がなくなった時のために十分持って行ってください」


お茶屋は広々として気持ちがよく、お給仕が大勢いたが、これはみな、十かそこらの小さな女の子にいたるまで芸者だということがわかった。
子供は三人、大人は二人で、私たちが茶菓を終えると歌ったり踊ったりした。
はじめ芸者たちは賑やかだが、レディ然としているよりに思えたので、それほど悪い人たちではないと思った。
鮮やかな縮緬の着物を着て、ばら色のほおをした丸顔のかわいい女の子が、ふちに真っ白な吹き流しのような布をつけた扇子を広げて、くるくるくるくる、まるで大きなくもの巣でもあるかのように舞った。
終わると手をついて挨拶をした。
もう一人の子は明らかにグループの厄介者だった。
細いキラキラした目はいたずらそうで、絶えず笑っている。
富田夫人のおつゆを持ってくる時、お盆の上にすっかりこぼしてしまい、別のを急いで持ってこようとしてひっくり返って、武さんと雄さんのうしろの障子が倒れててきた。
二、三人の女の子がそれをとめようとして走り寄ったのだが、この小菊は一番最後なのに一番先に行こうとして火鉢につまずいて、きれいなお財布を火の中に落としてしまった。
これは大変なことなのだ!
富田夫人によればこの人たちの着物は茶屋のもので、それを着るためにうんと働かなくてはいけないという。
彼女たちは陽気に美しく見えるけれど、本当はとても不幸なのだ。
最後の方で、西郷中将のごひいきの芸者の桃太郎が入ってきて琴をひいた。
伴奏の三味線をひいた女の人の手は見たこともないほど小さくて美しかった。
老女が笛を吹いた。
桃太郎は次に胡弓を弾き、能面のような顔をした老女はひどく大きな声をあげて鼓を勢いよくたたいた。
桃太郎は図々しくて、いやな人のようで、私はきらいだ。
彼女の眉はとても目立ち、目が合っても大胆にそらさない。
おまけに絶えずしゃべっている。
明らかにとても気がきいている。
食事の後、彼女はなれなれしく私に手をかけて、私の服や帽子、肌までもひどく無遠慮に褒めた。
食後の踊りはむかむかするほどで、もう金輪際彼女たちが良いなどとは思わない。
どれほど美しくとも、善良であるはずがないから。
富田夫人が私の耳もとでこう囁いた。
「この人たちはよくありませんね、慎みがなさすぎます。お母様は不快のご様子ですね」
おつゆに箸をつけながら、私たちは話を続けた。
「なぜ多くの日本人青年が堕落しているか、おわかりでしょう? 芸者のせいなのです。
男の子が産まれる前はこんなことを考えたことありませんでしたが、今は息子が心配で。
でも、こんなことがわかるようになる前に、外国にやるつもりです」
「本当にお母様らしいお心づかいです。でも外国にも悪い事はございますよ」
「はい存じておりますとも。だからどなたか敬虔なクリスチャンの家族に息子を預かっていただきます」
「それは良いお考えです。真のキリスト教精神しか、このような罪を克服することはできません。ご子息が善良で気高い人になられることを心から望みますわ」
「神にそうお祈りしております」
夫人は慎ましくそう答えた。
それから鬼ごっこをした。
半玉たちは賑やかにはね回り、小菊は私になついてまつわりついた。
「名前は何とおっしやるの? わたしはあなたが誰より好き」
私は頬を軽く叩いて云った。
「私の名はクララよ、きーちゃん。
でもどうして私か好きなの? 今まで会ったこともないのに」
「やさしいし、きれいな服をきて、肌が自いから。
でもどうして私がきーちゃんだってわかったの?」
「さっき聞いたから。耳がいいのよ」
「クララさん、どうぞ私をアメリカにつれて行って」
「そうね小菊、そうしてあなたを正しく導けたらよいのにね」
私たちは夜八時半頃家に着いた。


1880年1月8日 木曜
ヘップバン夫妻と昼食のお約束があったので、今朝、新橋へ行った。
駅につくと丁度十時半の汽車が入ってきて、旅なれない旅行者をかもにしようと待ちかまえている車夫の手から博士をお救いした。
十二時に家に着くと、昼食ばかりでなくディクソン兄弟も待っていだ。
食事の間、話がはずみ、冗談が乱れ飛び、みんな上機嫌だった。
ヘップバン博士は母の隣に、私は博士とジェイミーとの間に坐った。
博士は私のほうに体を向け、云われた。
「クララさん、あなたはもの静かでいい、私はあなたが好きだよ」
その言葉がほかの人に聞こえたので恥ずかしかった。
「それは驚きました。無口なのは不運だと思っていましたのに」
私がそう云うと
「私の目からみれば、活発なほうが不運です。
静かな人が全部好きという訳ではないが、あなたは好きですよ」
私をこんなに褒めて下さるとは、博士は本当に良い方だ!
それで私は「博士のお世辞なら喜んで受けます」と云った。
ディクソン氏は食後、歌をうたったりオルガンを弾いたりしてヘップバン夫人を喜ばせた。
ジェイミーは学校のほうが始まり、自称「お山の大将」なので先に帰った。
ヘップバン夫人が、ロシア公使館のストルーベ夫人を訪ねられるので、母と私は途中の教会まで歩いた。
夫人はスペイン公使館にも寄って、先月の十二日にパークス卿夫人が亡くなったことをフェ伯爵に告げたいと言われた。
またジェノア公爵が井上夫人のところで開くレセプションに招かれているので、井上夫人にも挨拶したいとのことだった。
母は早く教会を出、私に、残ってミスーヤングマンをお茶にお連れするようにと言った。
いわれたとおりに待ったが、そうしなければよかったと思った。
みんな私か見当もつかない人と婚約したと思っているらしく、ミス・リートがこう云った。
「クララさんあなたのことを聞きましたよ。姓と国籍をお変えになるそうね」
私は驚いて「えっ」というと、ミス・ギューリックも「私もよ」と相槌を打ち、スコットランド帽を手に取って私の目の前で意味ありげにくるくるまわした。
クレッカー夫人も近寄ってきて私に手をかけ、こんなとんでもないことを云う。
「すっかり聞いてしまいましたよ。
でも心配することはありません。誰にも言っていませんから」
そして、私の頭を肩のところに引き寄せやさしくキスしてきた。
「私たちはみなとてもおめでたいことだと思っていますのよ。
ほんとにお似合いですものね」
私はこんなことを言われてほとんど半狂乱。
ミス・ヤングマンがくすくす笑いながら云ったことは一番ひどかった。 
「ヒヒヒ、オルガンを売ったんですか、そうですか、
ヒヒヒ、しかもディクソンさんにですってね。
あなたのところに戻ってきたら変じゃありません? ヒヒヒ」
みんな物言いたげな顔をしているので、私はひどく憤慨し故意に皆を避けて家に帰った。
人の噂の肴になるなんてほんとうに厭だ!


1880年1月9日 金曜
今日はクーパー氏、ディクソソ氏、相馬永胤氏、松平氏、小鹿さん、お逸が集まり、とても楽しかった。
クーパー氏と相馬氏は法律家なので話がよく合った。
松平氏は馬鹿話をしたりおかしな歌をうたって皆を面白がらせた。
彼は日本の「ポロ」用のバットも持ってきた。
これは若い貴族が馬に乗ってする遊びで、彼は今日の午後、友達としてきたという。
富田夫人は奇妙な話をした。
老人が六十一歳になると第二の幼年期に入ったとされ、家族全員からおもちゃを贈られるという。
杉田玄端先生はその年になったので、富田夫人は、型は子供用だが、大きさは彼に合うニットのシャツを贈った。
先日お逸に正月の飾り物の意味について聞いたのだけど、お逸は父上に聞かなくてはならなかった。
それによると門に横にはってある藁の飾りは注連縄で、豊穣を願い、紙は清浄を意味し、一番大切である。
第三代将軍の時に始まったもっと深い意味もあるが、それは忘れられてしまったという。
考えてみると宗教的意味があるのだから、ソーパー氏の教会の前にするのは、お寺や神社に十字架を飾るのと同じことで、不適当だと思う。
外国人が聖なる白い紙を飾っていることは日本の新聞にも出ていた。
飾り物にも意味があり、台の一部分に使われている葉先がとがっていて、柄の赤いゆずり葉は、新しい葉が出るまで古い葉が落ちないことは周知の事実だ。
つまり、跡継ぎができるまでは一家の者がこの世を去らないということである。
葉裏の白いうらじろはただの飾りだけど、海老はその背の曲がった姿のように、人が長寿であることを願うものである。
橙はほかの果物のように木から落ちることがなく、枝についたままで緑色から黄色、そしてまた緑色に戻る。
それで橙は清く正しい人が天寿を全うし、安らかに死ぬことになぞらえられる。
門の両側にたてられる松は、クリスマスの飾りの緑の葉と同じく意味はなく、ただ季節にふさわしい飾りである。
竹も特に意味はないが、常緑なので好まれるという。
こういうことがわかってよかった。
お逸はこのような事に関した本をくれると約束した。


だが話を元に戻そう。
集まった人たちの取り合わせがよかったので大変楽しかった。
食事のあと、みんな思い思いに顕微鏡や、オルガンや、母のまわりに集まった。
クーパー氏は、私のところへきて、例の大げさでセンチタンタルな言い方でこう云った。
「ああ、あなたもディクソンさんもいない東京なんて考えられません!」
この他、いろいろなことを云われたが全部は書けない。
「そうおっしゃってくださるのはとてもありがたいですけれど、ほかの友達を見つけてください」
私は最後にそういった。
だけど彼と別れたらとてもつらいのは確かだ。
彼をよく知るようになってからは、彼がとても好きになった。
他の人たちか帰った後、ウィリイと松平氏はオレンジでポロをやりだした。
私はオルガンのそばに坐って静かな美しい曲を弾きだした。
すると隣室の小さなオルガンが一音ずつ私のあとをついてくる。
音の主はディクソン氏で、曲が終わると「何か知っでいる曲を弾いてください」という。
しばらくこんな風にして楽しんだが、ディクソン氏はこの試みにすっかり夢中になった。
私の方が彼についてゆけなくなると、こんなことを云われた。
「あの最後の短調の音が隣の部屋から聞こえると、何だか気味の悪いような美しさですよ」
松平氏はついに帰ったが、帰り際に月曜に彼の家に招待された。
ウィリイとディクソン氏は大きいほうのオルガンの調子を見、私は小さい方のオルガンでいろいろな曲を弾いた。
やがてディクソン氏は手紙を読み出したが、私が「セント・ヘレナ」を弾くと、手紙を手に持ったまま入ってきて、こう云われた。
「あれを弾くとは、あなたの趣味は本当に洗練されていますね。
それこそ最高の趣味を持っていると分かりますよ」
もちろん、私は他の誰より彼から褒められて嬉しかった。
決心したにもかかわらず、自分でも認めたくないほど彼を崇拝し、心から尊敬しているあの方の口から出たこの短い言葉に較べると、マーフィー氏の大袈裟なお世辞は本当につまらなくみえる。