Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの日記 超訳版第2回−3

1875年8月30日 月曜日(クララ15歳誕生日)
 今日、私は十五歳になった! 十五などと書くと、とても老けたような気がする。去年の誕生日には、今年の誕生日を「日出ずる国」つまり美しい日本の国で迎えるなんて、考えもしなかった。しかし今日は私の人生で経験した誕生日の中で一番楽しく過ごした日となった。
 昨晩の大雨が嘘のように太陽は日除け越しに部屋に射し込んで「お誕生日おめでとう」と云っているかのように、金色の光で私を起こした。
 私の「祝賀式」は築地から出航する屋形船で開催された。舟に乗り込んだのは母、兄のウイリイ、妹のアディ、森有礼氏の甥で母と私がそれぞれ英語と歴史を教えている森有祐、そしてアメリカの我が家でお会いしたことのある中原国三郎氏と高木貞作氏、そして最近雇ったばかりの若い使用人のシズ。
「お誕生日おめでとうございます、お嬢様」
 優雅にお辞儀をして「これを差し上げます」と美しい花束を差し出した「紅顔の美少年」が有祐だ。若いのにこれほど洗練されて優雅な紳士は見たことがない。背が高く、手足は形よく小さくて釣り合いがとれ、声は優しく柔らかで、茶色の瞳は澄み、髪の毛は漆黒である。真珠のような歯と鷲鼻と優美な黄色がかった肌を持っていて、アメリカ流に云えば「まさに美の典型」である。しかし魅力的なのはその貴公子らしい態度で、何かを貰うと大変低くお辞儀をするが、卑屈さはなく、自分が高官の甥であるということを意識しているかのように振る舞う。
 共にアメリカへの長期留学の経験がある中原氏と高木氏の外観は本当に対照的だ。小柄でほっそりした中原氏、日本人としては大柄で体格もがっちりした高木氏。中原氏はその丁寧な立ち居振る舞いと同じく顔も優しげだけれど、高木氏の顔の半分は熊のように髭で覆われている(まだお年は三十にもなっておられないのに!)。だけど留学経験の賜物か、お二人とも私を一人前の「レディ」として扱ってくれるのがとても嬉しい。


 屋形船はゴンドラのように両端、特に舳先が上に曲がった長い舟で、中央部に小さな船室があった。最初は椅子が無く、床に綺麗な畳が敷かれていたけれど、やがて船員が畳を上げて、それで座席を作ってくれた。
 舟は狭い掘り割りを進んでいく。数知れぬほどの多くの橋をくぐり、沢山の艀のそばを通り過ぎ、両岸に古い大名屋敷と素朴な茶店の並んでいる、広々とした隅田川に滑り出た。
 空は青く、水は空の神々しい色を映し、船頭達の気だての良さそうな顔は喜びに輝いている。
 昼食は船中でゼリー、パン、卵、お菓子、果物など軽い物ですませ、私たちは東京でも指折りの観光地である浅草寺近くで舟を下りた。
 浅草寺の本道は赤く塗った非常に丈の高い大建造物で、ひさしの上が反っており、とても異教的な外観を呈していた。
 この国の人々は実に気持ちよく快活で、喧嘩や街路上での殴り合いは一つも見られず、すべて静かで秩序正しいように思われる。また酔っぱらいもいない。だけど神聖な筈の神を祭る祭殿の筈のこの建物の正面入口では、大勢の子供が駆けたり、きゃあきゃあ叫んだりしていた。
「あの子たちはあまり信心深いように見えませんね」
 小首を傾げながら周囲の日本人たちの反応を伺ってみるけれど、有祐は「ええ、そうですね」と軽く受け流すだけだし、中原氏と高木氏に至っては曖昧に笑うばかりだ。
 本堂の内部は大きな部屋になっていて、偶像や屋根から殆ど床まで届きそうな提灯など、意匠を凝らしたものが一杯あった。扉のそばには木造が蹲った格好で台座の上に坐っている。その像には目も鼻も口もなく、全体がすべすべしていた。
「これはですね」
 私が不思議に思っていることを中原氏が解説してくれる。なんでもこの像は健康の神様で、頭痛のする者は像の頭を撫でてから自分の頭を撫で、足の痛い者は象の足を撫でてから自分の足を撫でると病気が治るというのだ。
 呆れかえって言葉が出ない私の目の前で、可哀想な人たちが次々にやって来て、聞くことも感じることも見ることも出来ないその神に祈り、病気が癒されると思いこんで立ち去っていた。悲しいことに彼らは、哀れで無力な偶像などがとても治すことの出来ない病気、つまり罪という病気にかかっているのだ。
「あの人たちを見ていると、なんだかおかしくなるんですけど、それが当たり前でしょう?」
 そう当然のことを云ってみるけれど、三人は「ええ、そうですね」と先程と同じような反応を返すだけだ。
 ああ、一人一人の兄弟の手を取って、ぼろを脱がせ、無知から救い出し、聖母マリアのそばにおられるイエス様の神聖な足下に坐らせてあげたいと、どんなに熱望することか。


 そのあと私たちは寺の境内のすぐ外側にある美しい庭園で行われていた人形の見世物を見に行った。等身大の人形は外国風の服装をして、皆赤い髪の毛と青い眼をしていた。燃えるように真っ赤な髪と青い目の夫人と紳士の人形が腕を組んで立っていて、今にもそこから抜け出したがっているように見えた。
 速歩機に乗った赤毛の人形、松葉杖をついた人形、泣いている人形などがあり、庭師の人形は英国製のパイプを吹かしながら、花壇のそばにまるで生きた人形のように坐っており、小さな男の子の人形は風船の紐を持っていた。みんなとても上手くできていた。
 見た目は不格好な赤毛の一つ一つの人形も、素晴らしいまでに生き生きとして、以前に会ったことのある人たちのように思われた。そう、この南京木綿のスボンを吊った赤髭の男の人形なんて、今にも動き出しそうで……
「本当に憎らしい程似てますなあ」傍らの高木氏が嘆息する。
「あら、高木さん。どなたかお知り合いに似た人形でもあるのですか?」
「いえね、お父様のウィリアム先生のような立派な方がいる一方、困った外国人もおりましてな。そんな札付きの外国人たちとそっくりなのですよ、少なくともこの人形たちの一部は」
 私は恐縮した。この短い期間で在日外国人たちの不行跡は数多く聞いていたからだ。
「いやいや、クララさんにそんな風に思って貰うつもりはなかったのですよ、すいません」
 そんなやりとりをしていると、いつの間にか私は周囲の注目を一心に浴びることになっていた。人形の周りに群がっていた日本人が、突然喋り出した私を見てもっと吃驚した様子だった。どうやら私を人形だと思ったらしい。高木氏と目を合わせると、無性におかしくなってしまって、二人して笑い出してしまった。
 全てのことが楽しく過ぎ去り、このようにして私の誕生日は終わった。本当に神様は私に情けをかけて下さる。私が生涯お仕えしても、このご恩にお報いすることはできないだろう。来年も最上のお恵みをお与え下さい。
 何処でこの次の誕生日を過ごそうとも構わない。それは神様のご意志のままなのだ。全能なる神様、親しい友や両親に長寿を与え下さい。
 愛する主が天の恵みを私に注いで下さいますように。肉体的にはたとえ何処で新しい年を迎えようとも、私の精神的信頼はやはり強く「ちとせの岩」に固く打ち付けられていることが神様に分かっていただけますように。そして神の召命のしるしを得ようと常に努力してゆく私が、人生の試練に勇敢に耐えられるようにして下さい。